夢に描かれるの待ってた。 窮鼠はチーズの夢を見るあらすじネタバレ!原作の結末は一線を越える?

web.neustar.biz: きっと、いい日が待っている(字幕版): ラース・ミケルセン, ソフィー・グローベール, ハーラル・カイサー・ヘアマン, アルバト・ルズベク・リンハート: generic

夢に描かれるの待ってた

1960年代の、デンマークでの児童養護施設の秩序主義、権威主義的養護の実態と施設内虐待の実態を描いた映画です。 映画としてもスリル満点。 一瞬脱力させてくれるところもご愛嬌。 あらすじは、他のレビュアーが書かれていますから、割愛。 気が付いた点をいくつか。 冒頭、万引きをしたエリックとエルマーが捕まって、呼び出された母が弁明するところ、「男と同じ仕事をしているのに女の賃金が低いから」抗議します。 なんだよ、今の女性の貧困の話かよ、と思いますが、これが当時に実情を参考に作られたセリフだとしたら、今の日本は60年前のデンマークか?と呆然とします。 それと、所長が最後まで子供のため、とこだわって、エルマーに分かったと言わせようとするところ。 自分が子供を矯正する責任を負っているという強烈な勘違い、これは虐待する親にも共通するところであり、本質を鋭くついた脚本であると唸らざるを得ません。 それは、エルマーが自分がなりたいものは「宇宙飛行士です」と言った途端にビンタが飛ぶという強烈な演出にも表れています。 子どもが主体的に夢を語ることは矯正に値することなのです。 盛んに食事中に私語を禁止しようとする光景が描かれます。 確かに授業中の私語は大体ロクでもない話ですから、授業を受けたい子供の邪魔になることもあり、まあ注意されてもやむをえんかとも思いますが、私語を禁止する光景が描かれるのは必ず食事場面です。 権威主義者にとって一番簡単に秩序維持感を満足させるからでしょうね。 深く研究された脚本だと思います。 しかし今時の日本でも、東京都の一時保護所が似たようなことをしていたと明るみに出ました。 子どもを指導・矯正の対象としか見られない人間は子ども相手の仕事をしてはいけないのですよ。 でも多いんだよなこれが。 ということで、このような映画をプライムで見れるようにしてくれたAMAZONの見識にも悔しいけど感謝せざるをえませんな。 デンマーク製のドラマ。 1967年、児童施設に送られた兄弟が体罰や理不尽な虐待に耐えながら希望を捨てずに生きてゆく姿を描いたドラマ。 人類が間もなく月に降り立つだろうという時代の一方で非人道的行為が罷り通る現実が描かれていた。 親から見捨てられた子供たちが大半の養護施設。 校長以下、教師らは施設の少年たちの特性を見極め生かすなどせず、ただ単純労働、肉体労働者かよくて職人に育て上げれば良し、としか考えていない。 エリックとエルマー兄弟の地獄のような施設での生活。 禁止されている筈の体罰が罷り通っている。 狂気としか思えない校長の言動。 性的虐待をする教師の存在。 夢を持つことも許されず、問答無用の暴力。 死んだ魚のような眼の少年たちに活力が感じられるのは仲間を苛める時くらいだ。 校長のサディスティックな性癖が乗り移ったようにしか見えなかった。 ただ一人の味方だと思っていた教師ハマーショイにも裏切られ、兄弟に味方する者はいなくなった。 15歳になっても施設から解放されないことを知ってエリックは強硬手段に出たがその結果意識不明の重体にされてしまう。 意を決したエルマーによって検査官に施設の実態が露見し、兄弟はそしてほかの少年たちも施設から解放された。 兄弟を演じた子役、他の少年たちも見事に演じていたと思う。 無邪気だったエルマーが兄のために校長らと戦う決心をするまでに成長するところは素晴らしかった。 出演者は「THE KILLING」のソフィー・グローベールが教師のハマーショイ役、校長にマッツ・ミケルセンの兄ラース・ミケルセン(頭のてっぺん以外はよく似ている)。 このようなドラマは演じていた大人の役者たちも精神的に大変だったのではないかと思う。 脚本、演出は丁寧で撮影は凝ったものであった。 ただ母が亡くなった知らせを受けたエリックの様子に他の少年たちが気付いたのに勘のいい筈のエルマーが気付かなかった場面は不自然に思えた。 時間経過が分かりにくかったが、「ツァラトゥストラはかく語りき」(「2001年宇宙の旅」のテーマ曲として使用)のレコードを掛けた事で1968年になっていることが分かった。 終盤近く、エルマーが一人で外出し、自由な「外の世界」に触れ感動する場面は良かったが、もう少し尺をとっても良かったのではないかと感じた。 児童虐待は今も耳にするが俺の子供時代には一般の学校で児童に暴力をふるう教師はざらにいて、親もそれが当たり前だと思っており問題になる事ほとんど無かった。 日本で子供の人権を守る意識が高まるようになったのはつい最近になってのことである。 最も親も学校も子供に手を出さなくなった代わりに戸塚ヨットスクールのような施設が現れてきた。 体罰と躾の境界線がどこにあるか、線引きすることは難しいものである。 レビューとただの感想が違うということを理解できない連中、どうにかならんのか? 一応、ゆるいハッピーエンドではあるものの、報復感情の伏線も多くが回収されないため、観た後にとてつもない不快感が残る映画です。 時代背景が1960年代ということで、たった半世紀ほど前の事実に基づいた内容ということにも驚かされます。 ヘック校長以下は、本来は特に悪人というわけでもなく、その場の空気にしたがっただけの「陳腐で凡庸な悪」なのでしょうが、彼らこそが最も罪深いと感じました。 思えば、わずか十数年前まで、欧州は大戦で血で血を洗う殺し合いをしていたわけで、子供の人権などというものが普遍的なものとして意識されはじめたのは、ごく最近のことと考えるべきなのでしょう。 映画の最後にもありましたが、長期にわたって強烈な恐怖体験をしたエルマー・エリックはじめ子供たちのその後の人生への影響ははかりしれず、彼らのモデルとなった実在の方々が、現在どのように過ごされているのか、案じずにはいられませんでした。 事実を基に作られた、ら・し・い・けど、実感としては「ふ~ん」と 言う感じで終わってしまった。 でも、こういったお涙頂戴物って昔から日本人は好きだよねぇ。 それが評価に反映されていると思います。 私も好物です。 最後はハッピーエンドで、娯楽映画として正しい終わり方だと思います。 これって兄弟のストーリーではあるけど、語りは同じ養護施設にいた 別の少年と言う、ちょっと俯瞰図的な見方をした作りになっている辺り は成功しているなと思った。 何故星5つでないか・・・それは、最後に二人とも助かってしまったから。 ここはストーリー的には、やっぱりどちらかが死んでしまって養護施設の 職員がその責任を問われて全員悪事が明るみに出て処分されるところまで 行ったら星5つでした。 まあ・・・事実を基にしているということで、実際二人とも助かったん だろうから、それはそれで良かった思うけど、ドラマ性にはやっぱり ちょっと弱いよね。 体罰による教育方法は間違ってるが正しい事もある。 生活苦や病気で亡くなった人達に本気で同情する。 しかし、 引きこもりや働く意欲の無い日本人を生み出す日本の教育方法や子育てもどうかと思う。 親の理由で離婚した、母子家庭・父子家庭にも問題あると思う。 親のエゴイズムで、生活苦になるのが嫌なら、離婚しなければいいし、 文句があるなら、補助金や手当ももらうな。 言い訳にしか聞こえない。 自分で稼げ。 「子は宝」一番に子供の事を考えるべきだと思う。 好きで結婚した者同士だが、結婚後に嫌いになる。 そんな未来も想像できずに恋愛や結婚する事自体が浅はかで、 対処が出来ないから我々の税金が引きこもりや生活保護に利用される。 時代背景もあるが、 今の日本では 病気になって死んでも財産は残せる。 日頃からその準備をしないから、 親が居なくなった時に苦労するのだと思う。 日頃から、 散財・贅沢せずに、 必死で子を守り、寄り添ってあげて、 一人前の大人に育てる義務と責務が親にはあると思う。 体罰は必要悪だったのか!? 反発精神、、、、 反骨精神、、、、 強くたくましい子供だった、、、、.

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窮鼠はチーズの夢を見るあらすじネタバレ!原作の結末は一線を越える?

夢に描かれるの待ってた

泰麒と驍宗のその後が遂に描かれる 『白銀の墟 玄の月(しろがねのおか くろのつき)』は2019年刊行作品。 に続く「十二国記」シリーズ、九作目の作品である。 前作である『丕緒の鳥』が2013年に登場してから5年ぶり。 長編作品としては『黄昏の岸 暁の天』が2001年に刊行されてからなんと18年ぶりの新作ということになる。 あまりに長すぎる! 待ちに待った最新刊『白銀の墟 玄の月』はなんとシリーズ最長。 全四巻もの長大な作品として登場した。 まず第一巻と第二巻が2019年10月12日に、そして第三巻と第四巻はおよそ一か月後の11月9日に刊行された。 『白銀の墟 玄の月』第一巻:あらすじ 諸国の王、麒麟たちの助けを借りて泰麒は遂に戴国への帰還を果たす。 同行する李斎と共に、失踪した驍宗の行方を追い求める二人。 白雉が落ちていない以上、王は存命である筈。 冬を迎え極寒と窮乏にあえぐ戴国の人々。 一方、簒奪者阿選は、不可思議な無気力の中にいた。 王位を奪った阿選は何故、政を放置するのだろうか……。 『白銀の墟 玄の月』第二巻:あらすじ 李斎と別行動を取った泰麒が目指したのはこともあろうに敵の本拠地、鴻基の白圭宮だった。 阿選との対面を果たした泰麒は告げる「阿選が王であると」。 一方、驍宗の行方を追い求める李斎は、遂にその手がかりをつかみゆかりの地を訪れる。 しかし、そこに王の姿はなく、驍宗と思われる人物は既に他界しているという信じがたい事実を知らされる。 『白銀の墟 玄の月』第三巻:あらすじ 反阿選の志を戴く人々が次第に結集しはじめる。 李斎は懐かしい旧知の人々との再会を果たす。 白圭宮で孤軍奮闘する泰麒は、囚われの身となっていた正頼との対面を果たし、その変わり果てた姿に衝撃を受ける。 そして、遂に失われし戴国の王、驍宗が地上へとその姿を現す。 驍宗の身柄を抑えるべく、阿選は現地に軍勢を差し向ける。 『白銀の墟 玄の月』第四巻:あらすじ 遂に李斎らは驍宗と再会し、反阿選の軍を興す。 しかし驍宗は阿選軍に囚われの身となり。 李斎らが率いる軍勢は、圧倒的な阿選軍の前に敗北を喫する。 驍宗に王位の禅譲を迫る阿選は、鴻基にて屈辱的な王位継承の儀式を行おうとする。 絶望的な状況の中、泰麒が選んだ決断はあまりに過酷なものであった。 「十二国記」戴国関連の物語の時系列 『白銀の墟 玄の月』は、物語の流れとしては外伝としての『魔性の子』、そしてシリーズ二作目の『風の海 迷宮の岸』、直接的には『黄昏の岸 暁の天』の「その後」が描かれた作品である。 時系列的にはこんな感じ。 あまりの長大な時間に目がくらみそうだ。 いかんいかん、感想を書く前の前説明だけで2,000文字近くかかってしまった。 以下、ポイントごとに『白銀の墟 玄の月』を読み解いていく。 戴国の全貌が明らかに 全四巻となった『白銀の墟 玄の月』はとにかく長い!小野不由美作品としては全五巻の『屍鬼』に続く長さであろう。 長いだけあって、物語の背景部分の説明にかなりの分量を割いている。 これまで描かれてこなかった戴国の姿が克明に描かれている。 十ニ国の中では北東に位置する戴だが、柳、芳と並んで寒さの厳しさには定評がある地域である。 本作では極寒の地で労苦を重ねる戴の人々の暮らしが度々描かれ、王と麒麟が不在であったこの国にどれほどの惨禍が見舞ったのかが明らかになっていく。 また戴国の特色として、宗教的な勢力の大きさは特筆すべき事項であろう。 道観寺院や仏教(これ海客経由で蓬莱から伝わったんだっけ?)勢力が強い力を持ち、人々の暮らしを支え、文化を伝えている。 これらの勢力はやがて、反阿選への動きを糾合する柱となっていく。 個人の物語から群像劇へ 『白銀の墟 玄の月』以前の「十二国記」シリーズは、どちらかというと王や麒麟など、特定の人物を主人公として深く掘り下げ、個人の成長を描く側面が強い作品だった。 しかし本作では泰麒と李斎、この二人を軸として物語は展開していくものの、描かれている人物の数がかなりの数に登っている。 キャラクターの名前と役割が覚えられなくて苦労した読者も多いのではないだろうか(登場人物紹介が欲しかったよね)。 結果として泰麒と李斎に割かれた分量は減少し、個人の物語というよりは、群像劇としての側面が強くなっている。 この点、シリーズは別になるが『屍鬼』を想起させられる。 個人的には泰麒の心理をもっと掘り下げて欲しかった気もする。 以前から気になっていたけど、驍宗の内面は今回もほとんど描かれない。 そこが一番知りたいところだったのだけど……。 ここはあえて書かないと決めていた部分であったのかもしれない。 自らの手を汚す麒麟 本作の最大のカタルシスは、のエピソードを経て再び戴国へと還って来た泰麒の凄絶な覚悟である。 正頼を救うため警備の兵に暴力を振るい、王でない阿選に叩頭し誓約をなし、遂には流血を厭わず剣を振るう。 「戴国の麒麟は化け物か」琅燦(ろうさん)らをして、驚愕せしめた泰麒の行動の数々は、これまでの「十二国記」世界の常識を知るものであればあるほど、あまりに衝撃的である。 これらの泰麒の行動の背景には、もちろん驍宗への思慕や李斎や同志たちへの想い、民への配慮もあっただろう。 しかし、その決意を根底で支えていたのは二度目の蓬莱時代、での苛烈な体験である。 泰麒は十二国での記憶を失い、忌むべきものとして蓬莱で暮らし、多くの犠牲を無感動に受け流し屍山血河を築いてきた。 そんな泰麒に対して、故国喪失者としての共感から、唯一、心を寄せてくれた広瀬。 しかし記憶を取り戻した泰麒はそんな広瀬すらも、蓬莱に置き去りにし、この地に還って来たのである。 おそらくはまだ雪のない遠く遥かな海辺の街。 もう二度と帰ることもない泰麒の故郷。 そこで引き起こされた大量の死。 それを無意味な犠牲にすることだけは、あってはならない。 (中略) それでもその岸を故郷と呼べるのは、たった一人、居てもいいと言ってくれた人がいたからだ。 『白銀の墟 玄の月』三巻 p195より 泰麒が麒麟としての禁忌を乗り越えられたのには「広瀬」の存在があった。 ただ一人残された広瀬にも意味があった。 あちらの世界で生きていなかった分、こちらでは生きなくてはならない。 もう目はそらせない。 あの人を置いてきたことへの贖罪の気持ち。 での広瀬と過ごした日々が、泰麒の決意を底から支えているのだ。 この事実に震撼とさせられた読み手は多いのではないだろうか。 これは泣く。 しかもこの想いが広瀬に届くことはないのだから。 驍宗と阿選はどこで差がついた 前代の泰王である驕王の時代、禁軍の双璧として並び称された驍宗と阿選。 人柄においても、武術、政治力に置いてもほぼ同格であったかと思われた二人だが、どこで差がついたのか? あくまでも「まっとうな人間」であろうとした驍宗と、臣としての栄達を最上のものと考えた阿選。 最初は僅かな差であったとしても、根本的な志の違いは長い歳月の間に複利となって大きな負債となっていく。 ただ、この結果は最初は本当に僅かなものであり、一つ間違えれば驍宗と阿選の運命は全く逆になっていたかもしれない。 比べるときにはそもそも己の優を計るために比べるのだ 『白銀の墟 玄の月』三巻 p101より 驍宗も同じ立場に立てば簒奪を企図したかもしれない。 そんな可能性もあったのである。 驍宗が居ない時代に生まれていたら、同格の存在に対する嫉妬の感情を知らなければ、阿選はひょっとしたら優れた王になっていた可能性が十分にあると思う。 琅燦の狙いは何だったのか? 今回の事件、阿選を扇動して事を起こさせた黒幕は琅燦である。 琅燦は妖魔である次蟾(じせん)を使役し、多くの官吏を「病む」ことで廃人に追いやり、阿選の簒奪を助けている。 それいで、琅燦は驍宗への敬意を持ち続けており、陰ながら李斎らの行動を援助していた形跡すらある。 琅燦の行動は謎めいていて、その真意は最後まで明かされない。 ただ、琅燦は黄海に基盤を持つ、黄朱の民出身であることは判明しており、既存の権威に縛られない自由な考え方をする人物であったろうことは想像が出来る。 麒麟が王を選び、王が国を統べる。 そんなこの世界の仕組みに対して、麒麟と王を生きながらにして存在を隠してしまったらどうなるのか?天意が及ばない状況を意図的に作り出した上で、民意による是正措置は働くのか?そんな「実験」を興味深く冷静に観察しているように見える。 琅燦の「実験」のために生じた犠牲者は計り知れない数に登っており、人道的には全く許されないことであろう。 しかも琅燦はその罪の償いすらしていないのだ。 一個人の企てとしてはあまりに非人間的に過ぎるので、背後になんらかの存在があるのでは?黄朱の民出身であるが故に、その背後には犬狼真君の意思が介在しているのでは?などと個人的には予想しているのだがどうだろうか? この点、今後刊行されるであろう短編集で解明されることを切に願う。 さすがにこの中途半端な状態で放置されるのは辛い。 民の意思は具現化されたのか? 第四巻、ラスト100ページを切って、物語は微塵も収束する気配が見えない。 さすがにヤバいのではと焦り出した読者は多いのではないだろうか?非常にスローペースで進んできたこの物語だが、終盤の一気呵成ぶりは圧巻である。 終盤の大逆転の火蓋を切ったのは泰麒からである。 まず泰麒が事を起こし、耶利(やり)がそれを支える。 ここに至って李斎らが驍宗を救出、更には英章が兵を挙げ鴻基に迫る。 誰が欠けても驍宗は助からなかっただろうし、逃亡も成功しなかった。 麒麟にあるまじき、自ら剣を取って人を傷つけられる能力、更に転変可能という最強カードを最後まで伏せておいた泰麒の「化け物」ぶりが際立つ。 ところでこの逆転劇は、民意の反映なのだろうか?この物語では、民衆の世論は阿選によって徹底的にコントロールされている。 李斎らの蜂起は支持されず、驍宗は民の投石によって殺害されてしまう可能性があった。 泰麒によって、驍宗の正当性が証明された後でさえも、民衆は真の王を支持するのではなく、報復への恐怖のあまり逃げ出す始末である。 となると、今回の顛末は簒奪政権を民の意思の具現化が阻んだというよりは、もともとの天意によるシステムが、不正なバグを取り除いた。 そんな風に思えてしまうのである。 一見すると感動的な大団円にも思えるのだが、小野不由美作品らしい皮肉な幕引きと捉えることもできる。 この先はどうなるの? 「十二国記」久しぶりの長編作品は、待っただけの甲斐はあったものの、新たに数多くの謎を残している。 以前に小野不由美は「長編はあと一作」(「ダ・ヴィンチ」2012年9月号「特集 小野不由美」)と言及しているのだが、本作で最後になってしまうのか まずは、発売が明示されている短編集の登場を待ちたいところである。 その他の「十二国記」シリーズの感想はこちらから•

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絵本に描かれる「眠り」のいろいろな意味| たまひよ

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少年のアビス3話のあらすじネタバレ 『情死ヶ淵』の話題から橋の上で心中する事を、ナギの方から持ちかけられた令児は誘われるままにナギの家に行く事になります。 キスをし、童貞という事もバレたところでシャワーを浴びに行きます。 恐る恐る部屋に戻ると、そこにはアクリルのデビュー曲・透明ビーズの衣装を着たナギがいました。 アイドルとやるという実感を持たせてくれる為、ナギは唯一持って来たというその衣装を着てくれました。 いざベッドへ。 仰向けにナギの胸を触っていると、チャコにアクリルを紹介して貰った時の事が令児の頭をよぎりました。 思わず目が向けられた映像の中のナギを、チャコが絶対これから来るアイドルと教えてくれました。 そのアイドルが今目の前で、映像の曲と同じ衣装を着ているという事に緊張し過ぎた令児は勃っていない事をナギに指摘されます。 緊張を解くために一時休止になります。 アクリルの平均年齢は17.5歳ということで、自分と同じ歳か尋ねる令児。 しかしその平均年齢は結成時のもので、現在のナギは二十歳でした。 じゃあこれは淫行じゃんと言うナギ。 そのナギにとってはマニュアルをこなしただけですが、煙草を買う事を初めて注意された事にも、令児は『真面目』と言います。 頭固いとかよく言われるとぼやくナギを令児は笑います。 どんな人だと思っているの? と聞かれた時、初めて青江ナギを『人』だという事を思い出しました。 そこで令児はもっとナギをちゃんと見たいからと、衣装を脱いでもらう事にしました。 無事、事を済ませた令児は部屋の水槽に一匹だけいる寂しそうな熱帯魚に気付きます。 『凪』という熱帯魚の名前を教えてくれたナギはなにか意味ありげな表情で煙草を吸っていました。 飲み物を貰おうと冷蔵庫を開けてみると、中にはたくさんのお酒がありました。 その時、部屋にぶらりと入ってきた男は部屋の電気を点けました。 今日は『あっち』と聞いていたナギにも男の登場は想定外の事で、どっちもボクの家と言う男は裸の令児とナギに対して何の驚きも無い様子です。 それは、コンビニで弁当を貰っていたホームレスの男でした。 令児はこの男の事をナギに問うと、平然と来た返答は『私の夫』でした。 少年のアビス3話の感想と考察 まぁ……落ち着こう。 それが読み終わった時の感想でした。 一緒に心中どころか、このまま帰りに令児が一人身投げしてもおかしくない展開です。 反応も出来ないほど呆然とした表情の令児が最後のコマに描かれて終わっていますが、そんな顔しか出来ません。 1話から数えてまだ1日しか経っていませんが、その中で令児は縁を切りたい幼馴染の玄の家がやっている土建屋で働かなきゃいけないという絶望感からのナギとの出会いに自転車デートがあって、心中を提案されて童貞まで捨てさせて貰い……という夢のような時間が続いてきました。 それがたった一晩です。 『私の夫』という三文字で、その夢のような時間がふと終わりを迎え、叩き落とされたのではないかと思います。 令児がどうかはわかりませんが、実際にアイドルファンは好きなアイドルが熱愛発覚する事で急にアンチ化するケースもあるので、一部のファンには繊細な問題のように思えます。 だからこそアイドルは彼氏の存在をどうにかひた隠して活動しているわけですが、ナギは熱愛どころか既に結婚もしているという現実が待っていました。 しかし、青江ナギを『人』として向き合った今の令児は決して『アイドル』として向き合ったわけではありません。 知り合ったばかりの自分の事をよく理解してくれる、憧れの綺麗なお姉さんが結婚していたというだけの話。 ……こう考えたら更に辛い状況になってしまいました。 デビュー曲の衣装を、これだけ持って来たと言っていた事から察するに、もしかしたらアクリルは既に解散かナギの脱退が決定しているのかもしれません。 結婚してこのホームレスの男が住むこの町に来たのかもしれませんし、そもそも『ホームレスの男』も令児が見た目と弁当を貰っていた事からそう決めているだけで実際はわかりません。 ナギもホームレスに弁当をあげていたと言われた時に否定はしていなかったので、実際にホームレスなのかもしれません。 今日は『あっち』というのも、実はこの男は不倫相手でもいるのかという事を匂わせていますが、裸の二人に対して何も追及していない事を見るとナギも男を連れ込むのは初めてではないのかもしれません。 謎は増える一方で、令児の長い夜もまだまだ続きそうです。 令児に感情移入しながら読んでいたので、なかなか辛い展開です。

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