神戸 山口組。 太田興業(神戸山口組)

“寝返り”山健組・中田組長逮捕で神戸山口組は存続危機|日刊ゲンダイDIGITAL

神戸 山口組

組員数は約8,900人(構成員約4,100人、準構成員約4,800人)。 とととを除く43の都道府県に系列組織を置いている(2019年末時点)。 、及びとともにから主要暴力団に位置づけられている。 山口組の組員は1名の「組長」()、数名の「舎弟」(弟分)、および数十名の「」(子分)から成る計100人弱に過ぎないが、組長を除く全組員はそれぞれが数十人から数千人の構成員を抱える組織の首領であり、「」(直系組長)と呼ばれる。 米経済誌『』の推計(2014年)では、世界のあらゆるの中で屈指の収益力を有する組織であるとされ、の密売やなどの非合法ビジネスによる総収入は年間およそ66億ドル(約7000億円 )に達する。 これはに次ぎ、の最大組織を凌ぐ規模にあたる。 従軍を終えたは折から急激な発展を見せていたに新天地を求め、海運業の労務者となってのち大嶋組に下属。 その大嶋組を率いた大嶋秀吉の主従関係を上位に辿ればやがてはのに行き着いた。 (大正4年)のことであった。 しばらくは大嶋組の傘下にあって活動したものの、いつしかその勢力は本家の大嶋組を凌ぐものとなり、1925年におけるの二代目襲名を経て、の開設に伴う利権を巡り大嶋組と対立、死者を伴う激しい抗争の末に同卸売市場の運搬作業の独占権を得るに至り、1932年をもって大嶋組から独立した。 三代目:急成長 1942年における山口登の死後、しばらくは跡目が決することなく組長不在の状態にあったものの、1946年にを首領に据えた三代目体制が発足。 この田岡率いる三代目体制下にあって、昭和30年代〔1955〜1964〕から昭和40年代〔1965〜1974〕にかけて日本全国各地へ進出、を繰り返しながら急速に勢力を拡大していった。 田岡襲名時の山口組の総勢はわずか33人に過ぎないものであった。 それが1965年までに、傘下424団体、総勢9450名を数える巨大組織に発展。 その間に当事者となった対立抗争は日本の各地を舞台としたもので、「」、「」、「鳥取抗争」、「」、「」、「」などが主要なそれであった。 によるいわゆる「」のさなかで直系組長らの脱退と直系組織の解散が相次ぐに至り、一時期弱体化するも、勢力の回復を経て、田岡の死去の前年にあたる1980年までに、2府33県に559団体、1万1800人余の総勢を擁する組織に成長。 そうした三代目体制期を築いた田岡は山口組のとして記憶されるに至った。 その過程で抗争相手のにより暗殺された竹中に代わって、抗争が終結するに至った平成元年〔1989〕、傘下を率いたを首領に据える五代目体制が発足。 施行の年でもあった1992年には、直系組織総数が三代目体制下1963年以来の最大数(120超)を記録した。 五代目体制期の1995年にが発生すると、渡辺自身の陣頭指揮による組織ぐるみの災害救援活動を展開。 その活動はの記者でさえ『半端なものではなかった』と言わしめた。 1997年になると五代目体制開始以来の非常事態と言われた「」が発生。 この事件は以後の組織に混迷をもたらす未解決の懸案事項となった。 2004年から長期休養に入るとともに組織運営の全権を執行部へと委譲していた渡辺であったが、2005年7月に引退を表明。 予期なき突然の引退であった。 ここに16年間の長きにわたった五代目体制が終焉。 そして、若頭の役にあったの新たな襲名をもって、同年のうちに六代目体制が発足し現在に至っている。 山口組分裂抗争(2015年~) 2015年8月には、篠田組長の出身母体にあたるのとのを筆頭とする諸団体との不和が表面化し、事実上の分裂事態が発生した。 9月には離脱した13団体と新加入した1団体が新組織「」を結成、初会合を開いたと報じられている。 分裂後、山口組と神戸山口組のそれぞれの傘下団体が関係する事件がまでに20都道府県で49件発生しており、警察庁はと認定している。 その後、同年に警察が対立抗争状態と認定してから2019年末までに72件発生している。 2016年4月、と共に、への指定が検討されることとなる。 5月には神戸山口組から任侠団体山口組(現・絆會)が分裂したことで、事実上山口組は3団体に分裂した。 そして、任侠団体山口組(現・絆會)とは、2017年から2019年末までに8件発生している。 2020年1月、山口組は神戸山口組と共に両組織の拠点がある兵庫、愛知、大阪、京都、岐阜、三重の6府県のにより特定抗争指定暴力団に指定された。 綱領と組指針 山口組は以下の「」を定めている。 山口組は侠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す。 一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。 一、外は接するに愛念を持し、信義を重んず。 一、長幼の序を弁え礼に依って終始す。 一、世に処するに己の節を守り譏を招かず。 一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる。 この5か条の「綱領」は時代に制定されたもので、定例会などの行事の際に唱和される。 加えて、年度ごとに定められる「組指針」がある。 歴代組長 氏名 在任期間 備考 初代 - 2代 1925年 - 山口春吉の実子 3代 - 4代 - 組長 5代 - 二代目組長 6代 2005年 - 組長、二代目総裁 歴代若頭 山口組における「」は、「組長」に次ぐナンバー2の立ち位置にあたり、にいう「理事長」、にいう「」や「」、にいう「」に相当する。 二代目時代• (- ) 三代目時代• ( -) - 解任• (- ) - 辞任• ( - ) - 事故死• ( - ) - 病死 三代目代行時代• ( - ) - 四代目山口組組長へ昇格 四代目時代• ( - ) - 一和会により暗殺 四代目代行時代• ( - )- 五代目山口組組長へ昇格 五代目時代• ( - ) - 中野会により暗殺• () - 六代目山口組組長へ昇格 六代目時代• ( - 現在) 六代目山口組 主たる事務所(本部)は4-3-1である。 一次団体にあたるこの本部「山口組本家」に対し、二次団体の首領は「本家」に直に繋がる組長という意味を込めて「直系組長」あるいは「直参」(じきさん)と呼ばれ、「本家」にあってはそれぞれ、「組長の弟」を意味する「舎弟」(6名)あるいは「組長の子供」を意味する「若衆()」(約80名)の役職名を与えられている。 日本全国に散らばるこれら直系組織は「関東・北海道」、「中部」、「大阪北」、「大阪南」、「阪神」、「中国・四国」、ならびに「九州」という7つのブロックに分かたれ、各ブロックの長は執行部から選出される。 この「ブロック制」は五代目体制発足直後の1990年に全国の暴力団に先駆けて導入されたもので、当初は「大阪中」のブロックも存在していたものの、2007年にこれが廃された結果、全国7ブロックとなった。 各ブロックごとに毎月「ブロック会議」と呼ばれる会合を開いており、各ブロック長は管轄地域の直系組長と執行部との伝達役のような役割を担っている。 組長 役職 氏名 生年 出身団体 在任期間 六代目山口組組長 1942年01月2日 弘田組、 名古屋市中村区 2005年7月- 組長代行(舎弟) 1937年7月20日 - 2018年5月9日 國領屋下垂一家、 浜松市中区 2005年7月- 執行部 役職 氏名 二次団体 本部 若頭 三代目(総裁) 名古屋市中村区 舎弟頭・九州ブロック長 青山千尋 二代目 福岡市中央区 統括委員長(舎弟) (本名:姜弘文) 大阪府東大阪市 本部長・中国・四国ブロック長 森尾卯太男(本名:服部盛夫) 鳥取県米子市 舎弟頭補佐 鈴木一彦 北海道旭川市 若頭補佐・関東ブロック長 本名 : 丸橋芳夫 五代目 東京都台東区 若頭補佐・関西ブロック長 江口健治 二代目 大阪市浪速区 若頭補佐・東海ブロック長 高木康男 (本名:陣内唯孝) 六代目 静岡市清水区 若頭補佐・中部ブロック長 三代目 名古屋市中村区 若頭補佐・北陸地区長 野村孝 三代目 大阪市北区 若頭補佐・阪神・中国地区長 安東美樹(本名:安妟行) 二代目 兵庫県姫路市 若頭補佐 津田力(本名:津田智加良) 四代目 和歌山県和歌山市 若頭補佐 薄葉政嘉(本名:薄葉暢洋 十一代目 愛知県豊橋市 舎弟 役職 氏名 二次団体 本部 最高顧問 川合康允 岐阜県大垣市 顧問 青野哲也 七代目 浜松市南区 幹部 役職 氏名 二次団体 本部 幹部・組織委員長 高野永次(本名:高次龍) 三代目 大阪市中央区 幹部・北海道地区長 茶谷政雄(本名:茶谷正夫) 札幌市白石区 幹部 富田丈夫 浜松市中区 幹部 清田健二 十代目 愛知県瀬戸市 幹部・組長付 薄葉政嘉 十一代目 愛知県豊橋市 幹部・慶弔委員長 能塚恵 三代目 大阪市中央区 幹部・組織委員 秋良東力(本名:金東力) 大阪市浪速区 幹部・四国地区長・組織委員 加藤徹次 本名:加藤徹司 六代目 高知県高知市 幹部 生野靖道(本名:生野靖一) 四代目 大分県大分市 兵庫若中 役職 氏名 二次団体 本部 若中 野元信孝 三代目 神戸市中央区 大阪若中 役職 氏名 二次団体 本部 若中 布川皓二 本名:布川耕治 二代目 大阪府大阪市 若中 里照仁 本名:照屋里美 二代目 大阪府大阪市 若中 山下昇(本名:森尾昇) 大阪府東大阪市 若中 鈴川驗二(本名:鈴川憲司) 六代目 大阪府大阪市 若中 吉村俊平 本名 : 山口俊平 四代目 大阪府大阪市 若中 新井錠士 本名 : 松岡錠司 二代目 大阪府大阪市 若中 金田芳次 本名 : 金芳次 二代目 大阪府大阪市 若中 植野雄仁(本名:金奎轍) 二代目 大阪府大阪市 他都道府県若中 役職 氏名 二次団体 本部 若中 良知政志 静岡県吉田町 若中 北島虎 本名 : 北嶌延幸 二代目 愛知県名古屋市 若中 貝本健 愛知県名古屋市 若中 篠原重則 二代目 香川県高松市 若中 田保伸一 二代目 石川県金沢市 若中 落合勇治(本名:落合益幸) 二代目 静岡市駿河区 若中 田中三次 三代目 熊本県熊本市 若中 田堀寛 二代目 愛知県名古屋市 若中 塚本修正 静岡県富士市 若中 一ノ宮敏彰 本名 : 一ノ宮敏哲) 福岡県福岡市 若中 高山誠賢(本名:姜義幸) 滋賀県大津市 若中 山嵜昌之 三代目 横浜市中区 若中 浜田重正 二代目 横浜市中区 若中 波入信一 本名:李人言 七代目 福島県会津若松市 若中 中山和廣 三代目 愛媛県今治市 若中 佐藤光男 東京都渋谷区 若中 井上茂樹 二代目 岡山県岡山市 若中 渡部隆 四代目 北海道札幌市 若中 平松大睦 二代目 新潟県新潟市 若中 小林良法 三代目 徳島県徳島市 若中 森健司 本名 : 森健次 三代目 愛知県名古屋市 若中 杉山志津雄 本名 : 杉山静夫 三代目 三重県四日市市 他団体関係 友好団体 率いる六代目体制に入って以降の山口組は、『盃外交』と呼ばれる活発な他団体交流を展開し、かつての反目組織をすら含む日本各地の暴力団組織と友好関係を築いてきた。 三代目 - 組長・串田芳明は司忍の代紋違いの舎弟。 - 団体同士の親戚縁組。 - 会長・塩島正則を司忍が後見。 五代目 - 会長・守屋輯を司忍が後見。 三代目 - 会長・長岡寅夫を司忍が後見。 - 会長・金海芳雄を司忍が後見。 三代目 - 会長・池澤望と若頭・が五分兄弟分。 二代目 - 会長・吉良博文と六代目山口組相談役・が五分兄弟分。 六代目 - 会長・馬場美次を六代目山口組若頭・が後見。 七代目 - 総長・温井完治を髙山清司が後見。 八代目 - 組長・南喜雅を髙山清司が後見。 - 稲川会三代目総長・と六代目山口組若頭補佐三代目組長・竹内照明が五分兄弟分。 - 総裁、七代目総長が司忍の出所祝いを送る。 非友好団体 を本拠地とするは六代目山口組と数多の抗争事件を引き起こしてきたが、組長の司忍が出所した2011年をもって正式な組織間交際関係を樹立。 山口組関係者の言によれば、六代目山口組が組織ぐるみの縁を持たないのは、とのみである。 出典 []• Report. 1-40. 2020年4月4日閲覧。. 『』 -• 『』 2015年8月27日• 『』 2015年1月26日• 『』 2014年9月16日 (中国語)• 『』 2014年9月14日 (英語)• 24 2011年• 219-235 2008年• 『もう一つの日本 山口組』 p. 85 1990年• 『』 1999年• 『』 2013年10月5日• 2015年8月27日• 2015年9月6日• 『』 2016年3月7日• 鹿児島読売テレビ. 2016年4月14日閲覧。 - 、2017年5月1日配信・閲覧• 読売新聞 2020年1月7日. 2020年1月8日閲覧。 『』 2015年1月28日• 『』 2013年12月5日• 『』 2014年• 22 2011年• 『山口組三代目 1野望篇』 p. 43 1982年• 21-22 2011年• 23 2011年• 72 2008年• 73 2008年• 『』 2007年12月17日• 『』 2011年5月23日• 『』 2006年7月23日 および 『』 2006年7月22日 関連項目•

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太田興業(神戸山口組)

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現在、使用制限がかけられている神戸山口組事務所 特定抗争指定暴力団に指定されたことで、現在は使用禁止制限がかけられている 六代目山口組総本部(神戸市灘区)。 その六代目山口組が分裂する以前、二次団体である 雄成会(本部・京都市)の高橋久雄会長は、当番責任者という重責を務めていた。 現役時代の筆者がガレージ当番で総本部に泊まり込みに行くと、夜中に総本部の駐車場内を黙々と見回る高橋会長の姿をよく目にしていたことを覚えている。 その後の六代目山口組の分裂に伴い、 神戸山口組傘下となった雄成会だが、その高橋会長が、ゴールデンウィークの明けた5月7日夕刻に京都府警を訪れて、引退を表明したのである。 突然の出来事ではあったが、業界内では数日前から、高橋会長が引退するのではないかという噂が各所で飛び交っていたのは確かだった。 実話誌記者が解説する。 「その後、尾ヒレがついたように、高橋会長だけでなく、どこどこの親分も引退するようだ、いや、あの幹部も一緒に辞めるようだ、といったようなさまざまな噂が流れていました。 それらは信憑性が高いものばかりではないのですが、最初に引退の噂が流れたのが、高橋会長だったのは確かです。 こうした情報が入った場合、我々のような記者も、以前であれば、すぐに雄成会の本部事務所前へと行き、組員の出入りや事務所の様子をうかがったり内部関係者に話を聞いたりすることで、そうした噂が事実であるか、ある程度裏取りすることもできたんです。 しかし、今は事務所に使用制限がかけられているなどするため、そうした取材もできない。 そうこうしているうちに、7日に雄成会の本拠地のある京都府警を高橋会長が訪れ、組織の解散届を提出し、自身の引退を申し入れたことがわかりました」 昨今、特定抗争指定暴力団への指定と新型コロナウイルスの影響で、小康状態が続いていた山口組分裂騒動。 そんななかでの神戸山口組幹部の引退は唐突感が拭えないものだったが、ある捜査関係者はこう分析する。 「去年、神戸山口組の幹部が立て続けに襲撃される事件が起きた。 最初は熊本で、その次が北海道。 そして兵庫県尼崎市では、神戸山口組幹部がマシンガンによって殺害された。 それらは明らかに、六代目山口組サイドが意図的に幹部を狙い撃ちにしているという動きだった。 そして、マシンガンで組幹部を殺害した容疑者は、事件後、現場から逃走を図り、京都府内で逮捕されているのだが、逮捕後にはっきりと『高橋会長を殺害しようとしていた』と供述しており、実際に容疑者が使用していた自動車内には、ライフル銃や拳銃のほか、実弾も見つかっていた。 つまり、身柄が確保されていなければ、高橋会長を襲撃していた可能性は極めて高かった。 その後、六代目山口組サイドが高橋会長の周辺を探っているという噂まであった。 高橋会長の心中を察すると、そうしたことも、今回の引退に関係しているのではないか」 もちろん、これは捜査関係者の推測であり、引退の真相がどこにあるのかはわからない。 だが、高橋会長の引退が、今後、神戸山口組内部になにかしらの影響を及ぼすことは間違いないのではないか。 さらに、表面上は沈静化している山口組分裂問題も、水面下では大きな動きが起こり始めていると見るほうが自然なのかもしれない。 以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。 著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。 最新小説『』が発売中。

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六代目山口組vs神戸山口組 栃木“鉄パイプ集団奇襲”の裏側|ニフティニュース

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組員数は約8,900人(構成員約4,100人、準構成員約4,800人)。 とととを除く43の都道府県に系列組織を置いている(2019年末時点)。 、及びとともにから主要暴力団に位置づけられている。 山口組の組員は1名の「組長」()、数名の「舎弟」(弟分)、および数十名の「」(子分)から成る計100人弱に過ぎないが、組長を除く全組員はそれぞれが数十人から数千人の構成員を抱える組織の首領であり、「」(直系組長)と呼ばれる。 米経済誌『』の推計(2014年)では、世界のあらゆるの中で屈指の収益力を有する組織であるとされ、の密売やなどの非合法ビジネスによる総収入は年間およそ66億ドル(約7000億円 )に達する。 これはに次ぎ、の最大組織を凌ぐ規模にあたる。 従軍を終えたは折から急激な発展を見せていたに新天地を求め、海運業の労務者となってのち大嶋組に下属。 その大嶋組を率いた大嶋秀吉の主従関係を上位に辿ればやがてはのに行き着いた。 (大正4年)のことであった。 しばらくは大嶋組の傘下にあって活動したものの、いつしかその勢力は本家の大嶋組を凌ぐものとなり、1925年におけるの二代目襲名を経て、の開設に伴う利権を巡り大嶋組と対立、死者を伴う激しい抗争の末に同卸売市場の運搬作業の独占権を得るに至り、1932年をもって大嶋組から独立した。 三代目:急成長 1942年における山口登の死後、しばらくは跡目が決することなく組長不在の状態にあったものの、1946年にを首領に据えた三代目体制が発足。 この田岡率いる三代目体制下にあって、昭和30年代〔1955〜1964〕から昭和40年代〔1965〜1974〕にかけて日本全国各地へ進出、を繰り返しながら急速に勢力を拡大していった。 田岡襲名時の山口組の総勢はわずか33人に過ぎないものであった。 それが1965年までに、傘下424団体、総勢9450名を数える巨大組織に発展。 その間に当事者となった対立抗争は日本の各地を舞台としたもので、「」、「」、「鳥取抗争」、「」、「」、「」などが主要なそれであった。 によるいわゆる「」のさなかで直系組長らの脱退と直系組織の解散が相次ぐに至り、一時期弱体化するも、勢力の回復を経て、田岡の死去の前年にあたる1980年までに、2府33県に559団体、1万1800人余の総勢を擁する組織に成長。 そうした三代目体制期を築いた田岡は山口組のとして記憶されるに至った。 その過程で抗争相手のにより暗殺された竹中に代わって、抗争が終結するに至った平成元年〔1989〕、傘下を率いたを首領に据える五代目体制が発足。 施行の年でもあった1992年には、直系組織総数が三代目体制下1963年以来の最大数(120超)を記録した。 五代目体制期の1995年にが発生すると、渡辺自身の陣頭指揮による組織ぐるみの災害救援活動を展開。 その活動はの記者でさえ『半端なものではなかった』と言わしめた。 1997年になると五代目体制開始以来の非常事態と言われた「」が発生。 この事件は以後の組織に混迷をもたらす未解決の懸案事項となった。 2004年から長期休養に入るとともに組織運営の全権を執行部へと委譲していた渡辺であったが、2005年7月に引退を表明。 予期なき突然の引退であった。 ここに16年間の長きにわたった五代目体制が終焉。 そして、若頭の役にあったの新たな襲名をもって、同年のうちに六代目体制が発足し現在に至っている。 山口組分裂抗争(2015年~) 2015年8月には、篠田組長の出身母体にあたるのとのを筆頭とする諸団体との不和が表面化し、事実上の分裂事態が発生した。 9月には離脱した13団体と新加入した1団体が新組織「」を結成、初会合を開いたと報じられている。 分裂後、山口組と神戸山口組のそれぞれの傘下団体が関係する事件がまでに20都道府県で49件発生しており、警察庁はと認定している。 その後、同年に警察が対立抗争状態と認定してから2019年末までに72件発生している。 2016年4月、と共に、への指定が検討されることとなる。 5月には神戸山口組から任侠団体山口組(現・絆會)が分裂したことで、事実上山口組は3団体に分裂した。 そして、任侠団体山口組(現・絆會)とは、2017年から2019年末までに8件発生している。 2020年1月、山口組は神戸山口組と共に両組織の拠点がある兵庫、愛知、大阪、京都、岐阜、三重の6府県のにより特定抗争指定暴力団に指定された。 綱領と組指針 山口組は以下の「」を定めている。 山口組は侠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す。 一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。 一、外は接するに愛念を持し、信義を重んず。 一、長幼の序を弁え礼に依って終始す。 一、世に処するに己の節を守り譏を招かず。 一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる。 この5か条の「綱領」は時代に制定されたもので、定例会などの行事の際に唱和される。 加えて、年度ごとに定められる「組指針」がある。 歴代組長 氏名 在任期間 備考 初代 - 2代 1925年 - 山口春吉の実子 3代 - 4代 - 組長 5代 - 二代目組長 6代 2005年 - 組長、二代目総裁 歴代若頭 山口組における「」は、「組長」に次ぐナンバー2の立ち位置にあたり、にいう「理事長」、にいう「」や「」、にいう「」に相当する。 二代目時代• (- ) 三代目時代• ( -) - 解任• (- ) - 辞任• ( - ) - 事故死• ( - ) - 病死 三代目代行時代• ( - ) - 四代目山口組組長へ昇格 四代目時代• ( - ) - 一和会により暗殺 四代目代行時代• ( - )- 五代目山口組組長へ昇格 五代目時代• ( - ) - 中野会により暗殺• () - 六代目山口組組長へ昇格 六代目時代• ( - 現在) 六代目山口組 主たる事務所(本部)は4-3-1である。 一次団体にあたるこの本部「山口組本家」に対し、二次団体の首領は「本家」に直に繋がる組長という意味を込めて「直系組長」あるいは「直参」(じきさん)と呼ばれ、「本家」にあってはそれぞれ、「組長の弟」を意味する「舎弟」(6名)あるいは「組長の子供」を意味する「若衆()」(約80名)の役職名を与えられている。 日本全国に散らばるこれら直系組織は「関東・北海道」、「中部」、「大阪北」、「大阪南」、「阪神」、「中国・四国」、ならびに「九州」という7つのブロックに分かたれ、各ブロックの長は執行部から選出される。 この「ブロック制」は五代目体制発足直後の1990年に全国の暴力団に先駆けて導入されたもので、当初は「大阪中」のブロックも存在していたものの、2007年にこれが廃された結果、全国7ブロックとなった。 各ブロックごとに毎月「ブロック会議」と呼ばれる会合を開いており、各ブロック長は管轄地域の直系組長と執行部との伝達役のような役割を担っている。 組長 役職 氏名 生年 出身団体 在任期間 六代目山口組組長 1942年01月2日 弘田組、 名古屋市中村区 2005年7月- 組長代行(舎弟) 1937年7月20日 - 2018年5月9日 國領屋下垂一家、 浜松市中区 2005年7月- 執行部 役職 氏名 二次団体 本部 若頭 三代目(総裁) 名古屋市中村区 舎弟頭・九州ブロック長 青山千尋 二代目 福岡市中央区 統括委員長(舎弟) (本名:姜弘文) 大阪府東大阪市 本部長・中国・四国ブロック長 森尾卯太男(本名:服部盛夫) 鳥取県米子市 舎弟頭補佐 鈴木一彦 北海道旭川市 若頭補佐・関東ブロック長 本名 : 丸橋芳夫 五代目 東京都台東区 若頭補佐・関西ブロック長 江口健治 二代目 大阪市浪速区 若頭補佐・東海ブロック長 高木康男 (本名:陣内唯孝) 六代目 静岡市清水区 若頭補佐・中部ブロック長 三代目 名古屋市中村区 若頭補佐・北陸地区長 野村孝 三代目 大阪市北区 若頭補佐・阪神・中国地区長 安東美樹(本名:安妟行) 二代目 兵庫県姫路市 若頭補佐 津田力(本名:津田智加良) 四代目 和歌山県和歌山市 若頭補佐 薄葉政嘉(本名:薄葉暢洋 十一代目 愛知県豊橋市 舎弟 役職 氏名 二次団体 本部 最高顧問 川合康允 岐阜県大垣市 顧問 青野哲也 七代目 浜松市南区 幹部 役職 氏名 二次団体 本部 幹部・組織委員長 高野永次(本名:高次龍) 三代目 大阪市中央区 幹部・北海道地区長 茶谷政雄(本名:茶谷正夫) 札幌市白石区 幹部 富田丈夫 浜松市中区 幹部 清田健二 十代目 愛知県瀬戸市 幹部・組長付 薄葉政嘉 十一代目 愛知県豊橋市 幹部・慶弔委員長 能塚恵 三代目 大阪市中央区 幹部・組織委員 秋良東力(本名:金東力) 大阪市浪速区 幹部・四国地区長・組織委員 加藤徹次 本名:加藤徹司 六代目 高知県高知市 幹部 生野靖道(本名:生野靖一) 四代目 大分県大分市 兵庫若中 役職 氏名 二次団体 本部 若中 野元信孝 三代目 神戸市中央区 大阪若中 役職 氏名 二次団体 本部 若中 布川皓二 本名:布川耕治 二代目 大阪府大阪市 若中 里照仁 本名:照屋里美 二代目 大阪府大阪市 若中 山下昇(本名:森尾昇) 大阪府東大阪市 若中 鈴川驗二(本名:鈴川憲司) 六代目 大阪府大阪市 若中 吉村俊平 本名 : 山口俊平 四代目 大阪府大阪市 若中 新井錠士 本名 : 松岡錠司 二代目 大阪府大阪市 若中 金田芳次 本名 : 金芳次 二代目 大阪府大阪市 若中 植野雄仁(本名:金奎轍) 二代目 大阪府大阪市 他都道府県若中 役職 氏名 二次団体 本部 若中 良知政志 静岡県吉田町 若中 北島虎 本名 : 北嶌延幸 二代目 愛知県名古屋市 若中 貝本健 愛知県名古屋市 若中 篠原重則 二代目 香川県高松市 若中 田保伸一 二代目 石川県金沢市 若中 落合勇治(本名:落合益幸) 二代目 静岡市駿河区 若中 田中三次 三代目 熊本県熊本市 若中 田堀寛 二代目 愛知県名古屋市 若中 塚本修正 静岡県富士市 若中 一ノ宮敏彰 本名 : 一ノ宮敏哲) 福岡県福岡市 若中 高山誠賢(本名:姜義幸) 滋賀県大津市 若中 山嵜昌之 三代目 横浜市中区 若中 浜田重正 二代目 横浜市中区 若中 波入信一 本名:李人言 七代目 福島県会津若松市 若中 中山和廣 三代目 愛媛県今治市 若中 佐藤光男 東京都渋谷区 若中 井上茂樹 二代目 岡山県岡山市 若中 渡部隆 四代目 北海道札幌市 若中 平松大睦 二代目 新潟県新潟市 若中 小林良法 三代目 徳島県徳島市 若中 森健司 本名 : 森健次 三代目 愛知県名古屋市 若中 杉山志津雄 本名 : 杉山静夫 三代目 三重県四日市市 他団体関係 友好団体 率いる六代目体制に入って以降の山口組は、『盃外交』と呼ばれる活発な他団体交流を展開し、かつての反目組織をすら含む日本各地の暴力団組織と友好関係を築いてきた。 三代目 - 組長・串田芳明は司忍の代紋違いの舎弟。 - 団体同士の親戚縁組。 - 会長・塩島正則を司忍が後見。 五代目 - 会長・守屋輯を司忍が後見。 三代目 - 会長・長岡寅夫を司忍が後見。 - 会長・金海芳雄を司忍が後見。 三代目 - 会長・池澤望と若頭・が五分兄弟分。 二代目 - 会長・吉良博文と六代目山口組相談役・が五分兄弟分。 六代目 - 会長・馬場美次を六代目山口組若頭・が後見。 七代目 - 総長・温井完治を髙山清司が後見。 八代目 - 組長・南喜雅を髙山清司が後見。 - 稲川会三代目総長・と六代目山口組若頭補佐三代目組長・竹内照明が五分兄弟分。 - 総裁、七代目総長が司忍の出所祝いを送る。 非友好団体 を本拠地とするは六代目山口組と数多の抗争事件を引き起こしてきたが、組長の司忍が出所した2011年をもって正式な組織間交際関係を樹立。 山口組関係者の言によれば、六代目山口組が組織ぐるみの縁を持たないのは、とのみである。 出典 []• Report. 1-40. 2020年4月4日閲覧。. 『』 -• 『』 2015年8月27日• 『』 2015年1月26日• 『』 2014年9月16日 (中国語)• 『』 2014年9月14日 (英語)• 24 2011年• 219-235 2008年• 『もう一つの日本 山口組』 p. 85 1990年• 『』 1999年• 『』 2013年10月5日• 2015年8月27日• 2015年9月6日• 『』 2016年3月7日• 鹿児島読売テレビ. 2016年4月14日閲覧。 - 、2017年5月1日配信・閲覧• 読売新聞 2020年1月7日. 2020年1月8日閲覧。 『』 2015年1月28日• 『』 2013年12月5日• 『』 2014年• 22 2011年• 『山口組三代目 1野望篇』 p. 43 1982年• 21-22 2011年• 23 2011年• 72 2008年• 73 2008年• 『』 2007年12月17日• 『』 2011年5月23日• 『』 2006年7月23日 および 『』 2006年7月22日 関連項目•

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