明治19年。 小学校令 (明治19年勅令第14号)

明治

明治19年

明治以降は「一世一元(いちげん)」とし、天皇1代の間にただ一つの元号を用いて改元しない。 明治元年9月8日の改元の詔によって制度化。 在位中の天皇は「今上天皇(きんじょうてんのう)」と呼ばれる。 薨去(亡くなられた)された天皇の諡号(しごう/おくりな)は慣習的に在位期間の元号を用いる。 干支(えと)についてはこちらのページを参照。 12月3日を明治6年元日とする。 (1867〜1912) 1867年(慶応3年)徳川幕府から朝廷に政権を返上する「大政奉還」で朝廷が日本の政治の頂点に返り咲く「王政復古」が始まる。 1868年9月「明治」に改元。 同年12月、天皇の名により王政復古の大号令を出す。 明治45年(1912年)7月30日薨去。 大正時代(たいしょうじだい) 20世紀初頭。 1921年11月、疾患のため皇太子裕仁親王 昭和天皇 が摂政に就任。 大正15年(1926年)12月25日薨去。 昭和時代(しょうわじだい) 20世紀半ば。 1926年践祚、1928年京都で即位。 第二次世界大戦終結後、1947年日本国憲法により象徴天皇となる。 昭和64年(1989年)1月7日薨去。 【践祚(せんそ)】 (「践」はふむ意、「祚」」は主人が堂に登る東側の階段、ひいて天子の位の意) 皇嗣が天皇の位を承け継ぐこと。 先帝の崩御あるいは譲位の直後に行われる。 もと即位と同義であったが、桓武天皇の時より別の日に行うことが常例となる。 【薨去(こうきょ)】 皇族または三位以上の人の死去。 【うるう年/閏年(うるうどし)】 日本では明治6年元日より太陽暦(新暦/グレゴリオ暦)を採用。 太陰暦(旧暦)の「明治5年12月3日」を「明治6年(1872年)1月1日」と定める。 新暦(グレゴリオ暦)では4年に1回うるう年を設ける。 平年は2月を28日までとし、うるう年は29日を設ける。 うるう年は「西暦年が4で割り切れる年(干支では子・辰・申)」。 ただし、「西暦年が100で割り切れるが400では割り切れない年は平年とする」。 西暦2000年は100で割り切れて400でも割り切れるので「うるう年」となります。 明治5年11月9日、改暦の詔書と太政官布告により明治6年(1872年)より新暦開始。 ただし先の勅令の内容が「西暦年が100で割り切れるが400では割り切れない年は平年とする」規定をを含まないため、勅令「閏年ニ關スル件」(明治31年勅令第90号)を出して、うるう年の決め方をグレゴリオ暦に合わせ、1900年を「平年」としました。

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明治

明治19年

第一条 小学校ヲ分チテ高等尋常ノ二等トス 第二条 小学校ノ設置区域及位置ハ府知事県令ノ定ムル所ニ依ル 第三条 児童六年ヨリ十四年ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トシ父母後見人等ハ其学齢児童ヲシテ普通教育ヲ得セシムルノ義務アルモノトス 第四条 父母後見人等ハ其学齢児童ノ尋常小学科ヲ卒ラサル間ハ就学セシムヘシ其就学ニ関スル規則ハ文部大臣ノ認可ヲ経テ府知事県令ノ定ムル所ニ依ル 第五条 疾病家計困窮其他止ムヲ得サル事故ニ由リ児童ヲ就学セシムルコト能ハスト認定スルモノニハ府知事県令其期限ヲ定メテ就学猶予ヲ許スコトヲ得 第六条 父母後見人等ハ小学校ノ経費ニ充ツル為メ其児童ノ授業料ヲ支弁スヘキモノトス其金額ハ府知事県令ノ定ムル所ニ依ル 第七条 寄附金及其他ノ収入金アリテ小学校ノ経費ニ供スルトキハ其収入及支出ノ方法ハ府知事県令ノ定ムル所ニ依ル 第八条 授業料及寄附金等ヲ以テ小学校ノ経費ヲ弁シ能ハサル場合ニ於テハ区町村会ノ議決ニ依リ区町村費ヨリ其不足ヲ補フコトヲ得 第九条 小学校教員ノ俸給旅費ハ府知事県令ノ定ムル所ニ依ル 第十条 小学校資金ノ収入及支出ハ其管理者ヨリ毎三箇月府知事県令ニ報告スヘシ 第十一条 小学校ニ属スル資産ノ管理ニ関スル規程ハ府知事県令ノ定ムル所ニ依ル 第十二条 小学校ノ学科及其程度ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依ル 第十三条 小学校ノ教科書ハ文部大臣ノ検定シタルモノニ限ルヘシ 第十四条 私立学校ニ於テ小学校ト均シキ普通教育ヲ児童ニ施サントスルモノハ予メ府知事県令ノ認可ヲ経ヘシ 第十五条 土地ノ情況ニ依リテハ小学簡易科ヲ設ケテ尋常小学科ニ代用スルコトヲ得但其経費ハ区町村費ヲ以テ之ヲ支弁スヘシ 第十六条 小学簡易科教員ノ俸給ハ地方税ヲ以テ之ヲ補助スルコトヲ得• 底本:• 底本中の旧字を新字に改めた。 関連項目 [ ]• 明治19年文部省令第7号• 明治19年文部省令第8号• 明治19年文部省訓令第1号• 明治19年文部省令第12号• 明治20年文部省訓令第3号 外部リンク [ ]• (国立公文書館)•

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明治18年にあった出来事や活躍した人物 Weblio辞書

明治19年

現在入手できる一番古いタイプの戸籍がこの明治19年式戸籍です。 この戸籍には、家を一つの単位として戸主を中心に直系と傍系の親族が記載されています。 現在のような夫婦を単位とした戸籍ではなく、多くの親族が戸籍に名前を連ねています。 この明治19年式戸籍から、転籍や家督相続に伴う除籍制度が設けられるようになりました。 今、この明治19年式戸籍を手に入れようとすると、除籍または改製原戸籍としてになります。 明治19年式戸籍のフォーマット この戸籍は、私が取り寄せた直系先祖の明治19年式戸籍です。 個人情報ですので、住所や名前など人物を特定できる箇所は修正しています。 薄いピンクで色付けした箇所が、ひとつ前の壬申戸籍からの変更点です。 壬申戸籍では「〇〇番屋敷」と屋敷番で記載されていた右上の本籍が、この明治19年式戸籍から「〇〇番地」に変わりました。 この戸籍から4人の直系先祖が分かる この一枚の戸籍から4代の先祖情報が読み取れるのが分かるでしょうか? まず戸主のA。 そして戸主の記載欄の左に「父」とありますので、これでAの父Bが分かります。 さらに父の記載欄の右横に「亡祖父〇〇長男」とありますので、ここからAの祖父Cも判明します。 最後は「長男」という項目からAの長男Dが分かります。 私が取得できた戸籍ではこれが一番古い戸籍で、これ以上古い戸籍情報はありませんでした。 この戸籍からは一番古いご先祖様Cの出生年月日は分かりませんでした。 Bの出生日がこの戸籍からは読み取れ「文政7年」と書かれています。 文政7年は西暦に直すと1824年です。 つまり今から約190年前のご先祖様の詳細とその一つ上のご先祖様の名前まで分かったことになります。 一番古い先祖が分かる このように古い戸籍には家単位で構成されていますので、一枚からたくさんの情報を得ることが出来ます。 実はもう一枚つづきの戸籍があって、そこには孫の名前まで書いてありましたから、実際には2枚で5代の先祖情報が判明しました。 ただし孫くらいまでになると、もう少し新しい戸籍の内容と重複していますので、 ここでは一番古い先祖情報が分かればOKです。 見ての通り、明治時代初期の戸籍ですので当然手書きです。 これはまだ解読できやすいほうです。 この時代の戸籍は、変体仮名や旧字体の数字なども多く使われているため、保存状態が悪かったり乱筆だったりすると、慣れてこないと読み解くのが難しいです。

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