ミリカン の 実験。 ミリカンの油滴実験と電気素量 ■わかりやすい高校物理の部屋■

「よーく考えよ~実験ノートは大事だよー」ってミリカンさんが言ってた

ミリカン の 実験

ミリカンの油滴実験(ミリカンのゆてきじっけん)は、、らがに行ったの(素電荷・)を測定するためのである。 彼らは、二枚の金属電極間で帯電させた油滴に働くとで決まる油滴の運動を測定して、油滴の帯電量を測定した。 実際には電極間のの向きを変化させて、油滴の速度の変化から電荷を決定する。 多くの油滴に関して実験を繰り返すことによって、測定値がいつもある特定値の整数倍にあたることが見出された。 実験装置外観 左に油滴を作る霧吹きが、正面に顕微鏡が写っている。 電界中で落下している油滴に働く力は次の4つである。 重力と電界による吸引力が釣り合った条件が得られたとしても、精度を得るための問題の1つは重力を計算するために必要な油滴の半径の測定精度であると思われる。 油滴の半径は0. 001mm程度であり、空中に浮遊している油滴の半径を測定することになるからである。 しかも重力は半径の3乗に比例するので誤差の影響は大きくなる。 による油滴のは、電場がない時には0. 半径は電場にはよらないので、速度の平均値(電場がない時の速度)の平方根に比例する。 出典 [ ].

次の

Photo

ミリカン の 実験

若き日のロバート・ミリカン(1891年) マコーキタの高校を卒業後、に進学し、1891年にの号を取得。 オベリン大学で2学年まで修了した時点で、ギリシア語の教授に「ギリシア語で優秀な者なら誰でも物理学を教えられる」と物理学の講師を頼まれた。 それまで物理学には全く縁がなかったが、夏休み中に勉強し講師を務めるようになった。 これがきっかけで物理学を志すようになった。 その後に入学し、1895年にの博士号を取得した。 同大学で物理学のを取得したのはミリカンが最初だった。 まず講師として物理学に関わったことからミリカンは熱心な教育者となり、様々な入門的な教科書を執筆し 、大衆的な人気を得た。 多くは他の教科書に比べて時代に先行していた。 単なる計算問題ではなく概念的なことを訊ねる練習問題を多く掲載していた点も特徴である。 1902年、結婚。 3人の息子をもうけた。 電気素量の計測 [ ] 油滴実験の実験装置の外観 左に油滴を作る霧吹きが、正面に顕微鏡が写っている。 1909年、教授を務めていたで単一のの電荷量()を計測するを開始した。 油滴実験の精度を高めるために水滴のかわりに蒸発の少ない油滴を使うという重要なアイデアは当時大学院生だったのものだったが 、ミリカンは論文を単独名で発表した。 その代わりとしてフレッチャーの学位論文はフレッチャーの単独署名とされた。 ミリカンはこの業績などにより1923年のを受賞。 フレッチャーは亡くなるまでその密約を守り続けた。 ミリカンはまず1910年に結果を公表したが 、 ()が矛盾する計測結果を発表し、両者の間で論争が起きた。 その後ミリカンは装置の改良に取り組み、1913年にさらに正確な研究結果を公表している。 は基本的の1つであり、その値を正確に知ることは極めて重要だった。 ミリカンらの実験は、2つの小さな電極間で帯電した小さな油滴を重力に逆らって宙に浮かせ、そのときにかかっている力を測定するものである。 電場の強さがわかれば、小滴上の電荷を特定できる。 多数の小滴で実験を繰り返し、電荷量が常に一定の値の倍になることを示した。 その値 1. 現在のは 1. ミリカンが油滴実験をしていたころ、原子がもっと小さい粒子から構成されていることが明らかになりつつあったが、誰もがそれを信じていたわけではなかった。 1897年に、らがを構成する粒子のを測定し、水素イオン()の約1000倍~4000倍と見積もった。 しかし、当時の電気と磁気に関する知識では、電荷を連続的な値として扱うことで説明できるレベルであり、それは光を光子の流れとしてではなく連続波として扱うことで説明がつくのと同様だった。 の優れた点は、電気素量の正確な測定を可能にしただけでなく、電荷が実際には量子化された量であることを実地に示した点である。 ゼネラル・エレクトリック社のは電荷は連続量だと信じていたが、ミリカンの装置を使ってみてミリカンの結果が正しいことを確信したという。 データ選択に関する議論 [ ] ミリカンが電気素量の2度目の測定実験で結果として採用したデータの選択については、若干の議論がある。 Allan Franklin によれば、最終的な電荷の値には影響しないものの、ミリカンが170あまりのデータから58例のデータを選択したことで統計誤差が小さくなるようにしたとしている。 それによって、ミリカンの電気素量測定結果の誤差は0. そうしていたとしてもミリカンの測定結果は当時の誰よりも正確だったはずだが、ミリカンは誤差を小さく見せることでわずらわしい議論をなるべく避けようとしたと見られている。 これに対して はミリカンが60日間の実験期間に測定した結果を使ったと論文に記している点に注目し、捨てた計測結果はその期間外のものであることを証明した。 光電効果 [ ] が光の粒子性に関する1905年の論文を発表したとき、ミリカンは光がだとするこれまでの膨大な蓄積によってアインシュタインの論文は正しく評価されないだろうと考えた。 そこで彼はアインシュタインの理論を評価する10年に及ぶ実験を開始した。 そのためには、非常にきれいな表面の金属電極を作る必要があった。 実験結果はあらゆる面でアインシュタインの予測を立証していたが、ミリカンはアインシュタインの理論が正しいことに確信を持てなかった。 1916年、彼は「アインシュタインの光電方程式は私の判断では今のところ満足できる理論的基礎を持たない」が、それでもの「実際の現象を非常に正確に表している」と記している。 その後1958年に出版した本では、単に彼の実験結果は「アインシュタインの光の粒子論以外のいかなる解釈も不可能だ」と明言している。 光電効果の定量的実験により、ミリカンは光電子のエネルギーと光の波長からを求めた。 ミリカンの業績は現代の素粒子物理学の基礎の一部となっているが、ミリカン自身の考え方はそれよりやや保守的だった。 例えば、1927年版の彼の教科書でもの存在を明言しており、アインシュタインの相対性理論についてはアインシュタインの顔写真を掲載した部分で当たり障りのない注記として触れているだけだった。 また、1928年には「(爆弾も含めた)原子力利用は不可能だ」と発言している。 後半生 [ ] 1917年、天文学者はの前身であるのスロープ大学を主要な科学研究教育機関にするべく、ミリカンを説得して年間数カ月だけ同大学で過ごすことを承諾させた。 数年後スロープ大学はカリフォルニア大学となり、ミリカンはを辞めてカリフォルニア工科大学の執行委員会委員長(事実上の学長)に就任。 ミリカンは1921年から1945年までその職を務めた。 同大学でのミリカンの研究は主に「」("cosmic ray" という用語はミリカンが作った)だった。 20世紀始めの物理学の話題の一つは電離箱の電荷の自然放電が、高度が高くなるほど大きくなることで、らの気球を用いた観測での存在が示されていた。 1930年代、は宇宙線の正体を荷電粒子だとし、ミリカンは高エネルギーの光子だとしていた。 の増大を相殺し宇宙のを回避するために神が新たに生み出す原子の産声が宇宙線光子だとミリカンは考えていた。 宇宙線が地球のによって逸らされることが判明し、結局コンプトンが正しい(すなわち宇宙線は荷電粒子である)ことが証明される。 ミリカンは第一次世界大戦時の国家研究協議会 NRC 副会長を務め、対潜水艦用の装置や気象関係の装置などの開発に関与した。 私生活では大の好きで、3人の息子の長男クラークはの技術者として有名になった。 次男のグレンも物理学者で、登頂で知られるの娘と結婚。 グレンは1947年、登山中の事故で死亡した。 晩年、ミリカンはキリスト教信仰と科学の関係に興味を持つようになる。 そのテーマで1926年から1927年にかけてで講義を行い、後に Evolution in Science and Religion として出版。 また、より物議をかもす信念としてを信じていた。 その関係でミリカンはに参加し、人種差別主義者が集まっていたカリフォルニア州サンマリノに住むようになり、そこを賞賛していた。 ウェスティングハウスのタイムカプセル [ ] 1938年、ミリカンは次のような文章を書き、1939年ので埋められたタイムカプセル に収めた。 1938年8月22日現在、選挙で代表を選ぶ方式の政府はアングロサクソン系、フランス系、スカンジナビア系などの国で採用されているが、ほんの2世紀前まで全世界の人類の運命を握っていた独裁制の国家との激しい衝突に直面している。 理性的で科学的で先進的な原則が勝利すれば、戦争のない黄金時代が到来するかもしれない。 独裁制が勝利すれば、過去と同様の戦争や抑圧が繰り返されるだろう。 死とその後 [ ] 1953年、カリフォルニア州サンマリノの自宅でで死去。 カリフォルニア州の に埋葬された。 ロサンゼルス近郊にはミリカンの名を冠した中学校や高校がある。 にはミリカン研究所という建物がある。 またにはミリカンの名を冠した通りがいくつかある。 1982年1月26日、がミリカンの肖像を採用した切手(37セント)を発行した。 受賞歴 [ ]• 1913年• 1922年• 1923年 ノーベル物理学賞、• 1925年• 1937年• 1940年 脚注・出典 [ ]• National Academy of Sciences. 2010年12月29日時点のよりアーカイブ。 2011年2月13日閲覧。 New York Times. 1949年3月22日. 2018年8月30日閲覧。 と共同執筆した教科書として A First Course in Physics 1906 , Practical Physics 1920 , Elements of Physics 1927 , New Elementary Physics 1936 がある。 David Goodstein Jan-February 2001. PDF. American Scientist: 54—60. Harvey Fletcher June 1982. Physics Today: 43. Millikan, A new modification of the cloud method of determining the elementary electrical charge and the most probable value of that charge, Phys. Mag. XIX, 6 1910 , p. 209• Ehrenhaft F. Zeit. , 10 1910 , p. 308• Millikan, On the Elementary Electric charge and the Avagadro Constant, Phys. Rev. II, 2 1913 , p. 109• アルベルト・マルチネス「ニュートンのりんご、アインシュタインの神 : 科学神話の虚実」 青土社• Franklin, A. 1997. The Chemical Educator 2 1 : 1—14. Goodstein, David 2000年. Engineering and Science. Pasadena, California: California Institute of Technology. 2010年6月25日時点の [ ]よりアーカイブ。 2010年8月閲覧。 "Millikan, Robert Andrew", v. 15, 1928—1929, p. 1486, Retrieved on June 13, 2007• Evolution in Science and Religion 1927 , 1973 edition: Kennikat Press,• , , March 16, 2000, p. Retrieved on March 30, 2007. 参考文献 [ ]• Goldstein, D. , " ", Engineering and Science, 2000. No 4, pp30—38 pdf. Millikan, R A 1950. The Autobiography of Robert Millikan• Millikan, Robert Andrews 1917. The Electron: Its Isolation and Measurements and the Determination of Some of its Properties. The University of Chicago Press. Nobel Lectures, " — Nobel Biography". Elsevier Publishing Company, Amsterdam. Robert Andrews Millikan " — Nobel Biography". Kevles, Daniel A. 1979 , "Robert A. Millikan", Scientific American, vol. 240 no. 1, pp. 142—151. Kargon, Robert H. 1977 , "The Conservative Mode: Robert A. Millikan and the Twentieth-Century Revolution in Physics", Isis, vol. 68 no. 244, pp. 509—526. Waller, John, "Einstein's Luck: The Truth Behind Some of the Greatest Scientific Discoveries". Oxford University Press, 2003. Physics paper On the Elementary Electrical Charge and the Avogadro Constant extract• - 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 Retrieved from on March 30, 2007. Part of a series on Notable American Unitarians. - Linus Pauling and the Nature of the Chemical Bond: A Documentary History• in January 1927. の一分野がに基づいて新たに再編されることを宣言した文章。

次の

ミリカンの油滴実験と電気素量 ■わかりやすい高校物理の部屋■

ミリカン の 実験

ミリカンの実験:物理学解体新書 物理学 解体新書• ミリカンの実験 > >>>ミリカンの実験とは ミリカンの実験とは ミリカンの実験とは、電気素量 素電荷 を測定するための実験である。 ロバート・ミリカンが1909年に実施した。 ミリカンの油滴実験ともいう。 帯電させた油滴を、金属電極間に散布する。 油滴はゆっくり降下するが金属電極間の電場を調整すると、油滴が空中でピタリと静止する。 重力とクーロン力がバランスしたからだ。 このときの電場の強さから、油滴の電荷を決定するができる。 ミリカンの実験の実験が行われた時代にはすでに、トムソンによって比電荷が測定されていた。 比電荷とは電子の質量と素電荷の比率のことだ。 つまり比率は分かっていたが、質量または素電荷のそれぞれの値は分かっていなかったのだ。 ミリカンの実験によって、素電荷が分かったため、これに合わせて質量も分かったのだ。

次の