コーヒー ルンバ。 コーヒールンバ

コーヒー・ルンバ: 二木紘三のうた物語

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メンバー [ ]• 平岡 佐智男(ひらおか さちお、 1982-07-17 (38歳) - ) 出身。 身長168cm、体重68kg、。 大学には合格したが、入学費を納め忘れて入学出来なかった。 その後に入社し、3店舗で店長を務める。 店舗最高売り上げの記録を更新したことがある。 店長時代には商品開発にも携わり、「アイスエスプレッソ」を発案し、タリーズのメニューとして全国の全店舗で発売された。 平岡が店長として新店舗立ち上げの話もあったが、ある時「今がピークかも」と思い、お笑いを本職にすることを決め退社。 退社後も好きが高じ、全国のコーヒー店を巡る他、利きコーヒーも出来る。 また自分の部屋を改造して、コーヒー焙煎技術向上にも努めているほどである。 その後も、から不定期で自分の店「SACHIOPIA COFFEE」を内で開店している。 いつもコーヒーが入ったをバッグに入れて持ち歩いている。 かつてはコンビ「ゾーズ」で活動。 西原 朗演(にしはら あきひろ、 1977-07-27 (42歳) - ) 出身。 身長170cm、体重60Kg、血液型はAB型。 愛称は「にっしー」 からまでは、コンビ「ニッシーマーシー」で活動。 特技は。 趣味は。 のファン。 (認定)、初段の資格有り。 相方の平岡のことを、同期生で年下だが「平岡さん」と呼んでいる。 かつては「さん」抜きで呼んでいたが、ネタの方向性やどうすれば売れるかというプランのなどを全部平岡が決めているので、そう言ったことから気が付いたら「さん」付けで呼ぶようになっていたという。 略歴・概説 [ ] 、元ゾーズの平岡、元ニッシーマーシーの西原でコーヒールンバ結成。 元々二人は松竹芸能東京養成所3期生同士で、ゾーズとニッシーマーシーはチキン野郎(現・)と共にこの3組によるユニット「6人マン」での活動もしており 、親交があった。 「次に組むなら平岡さんしかない」と思って、西原から誘った。 最初に付けたコンビ名は 「2人マン」だったが、結成したばかりの頃に先輩たちにあいさつ回りをしていた中で、に「コーヒー店で働いていたんやから、『コーヒールンバ』でやれ」と言われてすぐに改名した。 、共に演じている。 漫才では、ある一つの言葉(など)を度忘れして、言葉を次々につながりで連想して行って度忘れしたという言葉を導き出すというネタを披露している。 出演 [ ] テレビ [ ]• () - 2013年11月9日出場、最高361KB• (NHK総合) - 平岡のみ• () - 2015年2月13日、平岡のみ• 「コーヒールンバのこれはPON! だけの豆情報! 」と銘打って出演。 (日本テレビ)• (日本テレビ) - 平岡のみ• まもなく! 芸人報道(日本テレビ)• (、YNN)• 笑う経済白書 THEピンキリSHOW(TBS)• (TBS) - 平岡のみ• ザ・トライアル(フジテレビ) - 2013年4月27日• (フジテレビ)• (フジテレビ)• (フジテレビ)• (フジテレビ)• 真夜中のオーディション(平岡のみ)• 完全版3時間スペシャル() - 平岡のみ• () - 2014年5月22日、平岡のみ• 有言実行バラエティ! タイムチャレンジャー()• (関西テレビ)• () - 2013年8月16日、平岡のみ• (TBS) - 2015年3月29日深夜。 「お笑いE-girls杯」でこの日出演した7組の芸人の中から優勝者に選ばれた• 第28・29話 2016年9月29日、フジテレビ - スタッフ 役 平岡のみ ラジオ [ ]• () - 2014年8月22日、平岡のみ• マイナビ () - 2017年2月25日 映画 [ ]• (2016年3月12日公開、)- 平岡のみ出演 単独ライブ [ ]• 第1回単独ライブ 〜俺の花びら〜(2013年5月11日、新宿角座)• 第2回単独ライブ 〜休憩と反省〜(2014年7月4日、新宿角座)• 第3回単独ライブ 〜好きなコーヒーを少しばかり〜(2015年5月6日、新宿角座)• 第4回単独ライブ 「喫茶店の窓辺から」(2016年7月23日、新宿角座) 掲載 [ ]• () - 平岡コーヒー企画が掲載• () 脚注 [ ] []• 『ロケットライブ』(フジテレビ)番組公式サイト 2012年10月26日. 2015年2月16日閲覧。 コーヒールンバ平岡のブログ「珈琲遍路」 2011年4月9日. 2015年2月16日閲覧。 ()番組公式サイト 2014年8月22日. 2015年2月16日閲覧。 お笑いナタリー 2016年9月11日. 2016年9月22日閲覧。 2017年3月6日. 2017年3月6日閲覧。 2017年3月6日. 2017年3月6日閲覧。 2011年11月25日. 2015年2月11日閲覧。 コーヒールンバ平岡のブログ「珈琲遍路」 2014年12月30日. 2015年2月16日閲覧。 コーヒールンバ西原ブログ「そろそろ来そうな気がします」 2016年10月25日. 2017年3月6日閲覧。 お笑いナタリー 2015年3月30日. 2015年3月30日閲覧。 外部リンク [ ]• sachiohiraoka -• cafenisshi -•

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1ヶ月に2キロという緩やかなペースの減量により、大きなリバウンドもなく、1年かけて彼は23キロのダイエットに成功した。 その痩せて変貌した容姿が話題だ。 ファンをはじめ、ネットでは「やだ、高橋一生にしか見えない」と騒然となっている。 そんな高橋一生...... いや、平岡佐智男に、コーヒーダイエットの前後での心境の変化を訊いてみた。 「デブはモテる」を鵜呑みに、本能の赴くまま食す 平岡は芸人であるため、容姿も含めて"オモシロイ"と思われることを上位に考えていた。 デブ上等とばかりに、「一日中、ナチュラルに暴飲暴食してましたね」と言う。 そんな平岡の"おデブ時代"の一日をまとめてみた。 【朝】 11時頃起床 朝ごはんは食べない 【昼】 食べ放題レストランは確定 安くて旨い中華料理の食べ放題をヘビロテ デザートにコンビニでアイス買うこと確定 ブログを書くことを理由にカフェへ 【夜】 晩ご飯に焼肉食べ放題が多い 【深夜】 お菓子を寝る1時間前まで食べている 時にはおにぎりを握ったまま寝ている 就寝は2〜3時 ダイエット宣言をした日のブログにも書いてあったが、今まで「太ってる方が仕事ある」「太ってる方がモテる」「ていうか、平岡さんぐらいの太り方が1番モテる」という言葉を疑わず、デブ道を邁進していたようだ。 その心境の変化について聞いてみると......。 血圧が高かったんです。 減量した今、体調はどうですか? 「おかげさまで正常値に近い140ぐらいにまで戻すことができました。 そうしたら『痩せたね』の次に、『顔色がいい』と言われることが多くなって。 仕事なので"オモシロイ"も大事ですけど、やっぱり健康が第一ですよ。 『痩せる』というより『健康になる』という意識の方が強かったですし、自分の得意とするコーヒーでダイエットができるというところが、1年以上も楽しく続けて来られた理由だと思います」 太っていた時代とは"真逆の人間"に! ダイエットから学んだこと この写真、もはやコーヒールンバ平岡ではない。 ただのスリムなステキ男子だ。 体重が減って体が軽くなると、都心のオアシスでヨガを嗜もうとするぐらい、心も軽くなるというのか? 23キロの減量に成功し、見栄えと共にどんな変化があったのかを率直に訊いてみた。 でも確かに高橋一生さん、似てるかも......。 それにしてもスリムな体を手に入れて、何が一番変わりましたか? 「痩せたことで『好きな服が着られる!』といった喜びや楽しみはもちろんあります。 『とうとう俺もスキニーパンツ履ける!』とか、『ユニクロのSが入る!』とかね。 でも一番大きな収穫といえば、生活時間の改善と自分の身体に真剣になる意識が変わったこと。 今までまったく身体のことを考えずに生活してきたので、『ゴメンナサイ』って謝りたいです」 そんな平岡の最近の生活を訊くと、おデブ時代とは全然違うスタイルが見えてきた。 【朝】 7時頃起床 スペシャリティコーヒーを使ってバターコーヒーを飲む 一息ついてブログを書く 読書 観葉植物に太陽の光と水をあげる 【昼】 お腹が空いたらお昼ごはんに 【夜】 野菜とお肉たっぷりのお鍋中心の食事 0時には就寝 「食べる物が自分の体を作る」ということ。 平岡は、第一にそれを学んだと真剣なまなざしで語る。 「痩せる」よりも大事な「健康」。 だからしっかり学び始めた コーヒーダイエットを通じて、平岡が最も変わったことといえば「身体のことに関する勉強」を始めたことだろう。 痩せるとはどういう仕組みで、身体はどう成り立っているのか。 これまでも平岡は、"がむしゃらなダイエット"を何度か試み、その度にリバウンドを経験してきたという。 それはがむしゃらという"無理"が、結局のところ継続不可能だったということだ。 コーヒーダイエットも『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』という本がきっかけで始めました。 今となっては『自分の身体のことを全然わかってなかったなぁ』と、本当に思わされますね。 『これは〇カロリー、あれは〇カロリー』って、以前は数字ばかり気にしていたんですよ。 もちろん、それも大事な指標なのですが、タンパク質と糖質だったら同じカロリーでも食べている栄養素が違うわけです。 これなら満腹になるまで食べても痩せられる。 もし果物やスイーツを同じカロリーだけ食べていたら、痩せなかったと思うんですよね。 ダイエット中は"好きな物を食べる"ことと"減量する"ことを、できる限り両立させたいじゃないですか。 それは『4-3の法則』と勝手に命名したものなんですけど、週7日のうち4日勝てれば、毎日我慢しなくても減量はできるんです。 残りの3日間は『ダイエット中なのにちょっと食べ過ぎちゃったな』なんて、思い通りにいかなくても大丈夫。 この法則にしたがえば、誰でも無理せずにダイエットできるのではないでしょうか」 このようにコーヒーダイエットを通じて得た知識と実体験を、平岡は講演やセミナーで語っている。 「楽しく痩せて健康になる」ことは、"なんとなく"では実現しないと、平岡自身が一番よく知っているからだ。 現在は、コーヒー芸人としての活動に加え、バターコーヒーダイエットでの成功体験を普及する活動も精力的に行っている。 平岡のブログやインスタでも、その情報を惜しげもなく提供しているので、「ダイエットしたい」「健康になりたい」と思う人はぜひチェックしてみよう。 とにもかくにも、コーヒールンバ平岡が高橋一生になれて本当にめでたしである。 【プロフィール】 コーヒールンバ平岡佐智男 松竹芸能所属のお笑い芸人 1982年7月17日 血液型: O型 開催日/2月10日(月)、11日(火・祝) 開場・開演/10日(月) 17:00開場/18:00開演/終演21:00(最終入場20:30) 11日(火・祝) 9:00開場・開演/終演18:00(最終入場17:30) 会場/ 展示ホールA~D 神奈川県横浜市西区みなとみらい1-1-1 主催/TBSラジオ お問い合わせ/TBSラジオ イベントダイヤルTEL03-5570-5151(平日10時~12時、13時~17時) 「松竹芸能新宿角座」にてライブ出演中 インスタグラム.

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2度見するほど別人! コーヒールンバ平岡が23キロ減、その秘密はバターコーヒーダイエット|テレ東プラス

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作詞・作曲:Jose M. 彼の甥のウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco) が、1960年に演奏してから世界に知られるようになりました。 ウーゴの演奏はインストゥルメンタルで、歌はありませんでしたが、現在までに各国語の歌詞による800あまりのカヴァー・ヴァージョンが発表されています。 そのなかでも最大のヒットとなったのは日本語ヴァージョン、とくに中沢清二の日本語詞による西田佐知子版でした。 発売は昭和36年(1961) 8月。 翌年1月に発売されたザ・ピーナッツ版もよく売れましたが、西田佐知子版が上回りました。 『コーヒー・ルンバ』は、日本でつけられたタイトルです。 原曲はルンバではなく、ウーゴ・ブランコが創り出したオルキデアというハイテンポのリズム形式です。 ペローニの原詞は、おおよそ次のような意味。 コーヒー農場に黄昏が迫り、静けさが広がると、聞こえてくる古いコーヒーミルの音。 それは悲しい恋の歌のようだ。 恋の痛みや悲しみ。 それは、夜更けまで休みなくコーヒーを挽き続ける混血児(zambo) のマヌエルが出す響きだ。 zambo (サンボ) は、南米のスペイン語圏・ポルトガル語圏で、奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人と現地のインディオもしくはムラ-トとの混血のこと。 ムラ-トは、白人と黒人の混血を指します。 Manuelは男性の名前で、末尾のlはルとイの混ざったような音。 女性の場合はManuelaとなります。 中沢清二の日本語詞は原詞とはまったく違い、コーヒーが恋の秘薬のようになっています。 コーヒーはエチオピア原産で、これが中東・イスラム地域からヨーロッパへ、さらに全 世界に広まったもの。 イスラム世界では、初期には宗教的な秘薬として僧侶にだけ飲用が認められていました。 中沢清二の歌詞は、こうした歴史を下敷きにしたものでしょう。 『一杯のコーヒーから』(藤浦洸作詞、服部良一作曲) や『』『』などにあるように、コーヒーを飲む店は、まさしく恋が生まれ、消えていく場所でもあります。 歌詞に出てくるモカマタリのモカは、アラビア半島南西端にある港町アル゠ムハーから。 このローマ字表記Al Mukhaが英語に入ってmochaとなったもの。 15世紀に入ると、イエメン北西部の高原地帯はコーヒーの一大産地となり、アル゠ムハーはその積み出し港として栄えました。 ここから積み出されたコーヒー豆がモカですが、 対岸のエチオピア産の豆もいっしょに輸出されたため、両方合わせてモカと呼ばれています。 モカのうち、イエメン産がモカマタリ。 (上の絵はコーヒー取引中のアラブの商人を描いた古画) 『コーヒー・ルンバ』がリリースされた昭和36年、私は同郷の友人を介してマレーシアからの留学生で華僑の息子のK君と知り合いました。 友人は中国語のクラスで彼と知り合ったとのことでした。 あるとき、その友人がK君のアパートに招かれてコーヒーをごちそうになったときのことを、ちょっと興奮した感じで話してくれました。 「ガラスの容器が2つあり、下の容器に水、上の容器にコーヒーの粉を入れて重ね合わせてから、アルコールランプで熱する。 水が沸騰したら、一気に上の容器に上がる。 アルコールランプを消してしばらくすると、コーヒーが下の容器に落ちてくる。 それをカップに注いで、好みで砂糖とミルクを入れて飲むんだ。 きみ、知ってるか?」 田舎の高校を出て間もない私が知っているわけがありません。 怪訝な顔をしている私に、彼は「こんどいっしょに行ってご馳走になろう」といってくれました。 数日後にK君の部屋で見た光景は、驚くべきものでした。 今考えると普通のコーヒー・サイフォンでしたが、コーヒーを淹れる仕組みを見たのはそれが初めてでした。 それに加えて、喫茶店以外でもコーヒーが飲めること、しかも自分の部屋でコーヒー豆を挽き、淹れて飲む学生がいるということも驚きでした。 ナイーブでしたね。 K君は大学卒業後、アメリカの大学だか大学院だかに留学しましたが、その後の消息はわかりません。 勉強好きでしたから、学究になったかもしれません。 なお、昭和35年(1960) 前後からインスタントコーヒーの国産化が進みだしましたが、私も友人たちもその存在を知りませんでしたし、知っていたとしても買えなかった思います。 (二木紘三) 懐かしい『コーヒー・ルンバ』・・・今でも特に健康体験をを兼ねたコンサートでよく演奏されるほど人気があります。 《蛇足》でモカマタリはイエメン産だったとまた勉強になりました。 ウン十年前九州の喫茶店の方がコーヒー豆を栽培されたとの記事が新聞に載っていましたが、日本製のコーヒーは現在あるのでしょうか? 投稿: 尾谷光紀 2014年1月28日 火 21時59分 昭和30年代前半はコーヒー1杯50円でした。 クリームあんみつも50円、女性同士だったら断然あんみつ、コーヒーは香りだけで良いと思っていました。 同じ50円ならあんみつのほうが得だと思っていました。 コーヒーのブラックを頼む男性をみると「気取り屋」だと思いました。 大学の授業料が払えずに退学寸前の青年が50円のコーヒーを奢ってくれたことがありました。 10円のコッペパン1個で1日を過ごす事も度々あると話してくれましたが、奢ってもらわないと失礼になると思って飲みました。 30年後に大学の教授になったと聞いた時はホッとしました。 コーヒーの味と同じ、苦い思い出がやっとその時消えました。 貧乏も苦いけれど懐かしい味がします。 投稿: ハコベの花 2014年1月30日 木 22時41分 この曲は私が若い頃西田佐知子の歌で馴染んでいました。 何年か前からは、高速道路のサービスエリアにある自販機でコインを入れコーヒーのボタンを押すと流れ出すようになったリズミカルでメロディも美しい何とも魅力的な曲です。 浮き浮きして、コーヒーが出来上がるまで他人に分からない程度に腰でリズムをとったりしながら身体が踊り出すのを抑えている感じです。 カラオケでも時々歌ったりしています。 you tubeには沢山出ています。 「パラグァイアルパ『コーヒールンバ』」のような国内のプロかアマチュアか分からないがアルパとギターの素晴らしい演奏や「コーヒールンバLos Awkis アンデス 上野で」のような南米の人たちのものなど国内外のそれぞれ特徴のある演奏が聴けます。 私の「お気に入り」にも10曲以上入っています。 コーヒールンバは時代を超えて世界中の人たちを魅了しているのではないでしょうか。 私の場合、また当時の殆どの友人も、頼むのは紅茶やソフトドリンクでなく必ずコーヒーでした。 コーヒーに含まれるカフェインはヒトに対して覚醒作用、利尿作用があります。 カフェインは本来植物が動物に食べられないように分泌する物質アルカロイドの一種で、特に昆虫にとっては有毒なようで、コーヒーの出し殻を庭に撒いておくと蟻(虫)よけになります。 ヒトでも血中濃度が高すぎると神経毒として作用し、様々な症状を引き起こします。 アメリカなどでは、カフェインを除去した『デカフェ』を好む人も多いですが、ノンアルコールビールみたいなもので、私は好きではありません。 投稿: Yoshi 2014年2月10日 月 23時57分 前年に「アカシアの雨がやむとき」を歌う西田佐知子をTVでみたとき、今までの歌手とは違った洒落た雰囲気があり、またその雰囲気とは違ったアルトで投げやりのようでいて、そうでないような、変にべたつかない歌い方にいいなあと思いました。 翌36年、高2の時「コーヒールンバ」の軽快なリズムに嵌まりました。 当時、池袋にクラッシック音楽を流す「コンサートホール」という喫茶店がありました。 高校の文化祭の打ち上げで部員たちと行き、注文を取り来たとき、絶対こう言うんだと決めていました。 「琥珀色した飲み物を」と、でも言えませんでした。 それから何回か喫茶店に入ったときも、言いたくて言いたくて仕方がなかったのですが、言えずじまいでした。 西田佐知子のさらりとした感じとポップスがすごく良かったのですが、早々に音楽界から寿退職してしまいました。 歌っていた期間が短かったせいか、とても印象にのこっています。 投稿: konoha 2018年1月 8日 月 19時10分 私が初めてコーヒーを口にしたのは、なんと高校三年の時です。 S42年 私の住んでた町は人口3万でしたが、純喫茶店というのが一軒もありませんでした。 笑っちゃいますョね。 大阪は茨木市の喫茶店でです。 喫茶店デビューもその時ということになります。 遠縁のおばさんと二人でした。 インスタントコーヒーを飲む人も私の近所にはいませんでした。 初めてのコーヒーの味の感想は「苦いっ!」でした。 チョコレートの味に近いものだと思っていましたから…。 上京して、各種学校に通っていた頃は、学校内の喫茶室で特製の「ブルーマウンテン」を飲んでましたっけ…。 安価だったので…。 井上陽水は、この歌を初めて聴いたとき、「コーヒー モカマタリ」のところを、「コーヒーも鎌足」と思ったそうです。 ハハハッ…ですネ。 そういえば、高校の生徒手帳に「喫茶店出入り禁止」と記されていましたけど、あれはなんだったのだろう……。 投稿: かせい 2018年2月20日 火 00時28分 エキゾチックなムード、情熱のリズムに一度聞いて魅了されました。 当時15歳の私は既に歌謡御三家、春日、三橋、島倉から少しづつ距離を置き、フランク永井、石原裕次郎、ダークダックス、他諸々の抒情歌にハマっていました。 取り分け、西田佐知子さんの美貌と都会的なムードに憧れを知りました。 同じころ流れない日はなかった村田英雄の王将。 党員教師に 王将が胸に響くと言ったら「あんなのは音楽ではないよ。 シューベルトを聴きなさい」と言われました。 思えば、彼も未だ青年、30歳でした。 当時 テレビも蓄音機もない貧農の娘がどうやって「シューベルト」に出逢えたでしょうか。 滑稽ですね。 理想のみを語って現実を見てない甘ちゃん。 最近は毎日 ベートーベンやショパンを聞いています。 昔日の感が込み上げます。 インターネットの恩恵に浴せる幸いを 少しほろ苦く噛みしめています。 ハコベの花様のコメントも秀逸ですね。 きっとその青年 ハコベの花様に恋をしていたのですね。 告白の勇気がなかったのですね。 後年教授になられとは他人事ながら嬉しく思います。 かせい様のコメントにも笑いを誘われました。 も鎌足 いいですね。 投稿: りんご 2018年2月20日 火 09時21分.

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