しゅう けい きょう ふ しょう 整形。 【漢方解説】苓桂朮甘湯(りょうけいじゅつかんとう)|漢方セラピー|クラシエ

身体醜形障害

しゅう けい きょう ふ しょう 整形

しょうぐもんどうしょう じょう. 聖愚問答抄 上. ぶんえい 2ねん 44さい おんさく. 文永 二年 四十四歳 御作. それ せいを うけし より しを まぬがれざる ことわりは. 夫れ 生を 受けし より 死を 免れざる 理りは. かしこき みかど より いやしき たみに いたるまで ひとごとに これを しると いえども. 賢き 御門 より 卑き 民に 至るまで 人ごとに 是を 知ると いへども. じつに これを だいじとし これを なげくもの 1000まんにんに ひとりも ありがたし. 実に 是を 大事とし 是を 歎く 者 千万人に 一人も 有がたし. むじょうの げんき するを みては うときをば おそれ したしきをば なげくと いえども. 無常の 現起 するを 見ては 疎きをば 恐れ 親きをば 歎くと いへども. さきだつは はかなく とどまるは かしこき ように おもいて. 先立つは はかなく 留るは かしこき やうに 思いて. さくじつは かの わざ きょうは この こととて いたずらに せけんの5よくに ほだされて. 昨日は 彼の わざ 今日は 此の 事とて 徒らに 世間の 五慾に ほだされて. しらこまの かげ すぎやすく ひつじの あゆみ ちかずく ことを しらずして. 白駒の かげ 過ぎやすく 羊の 歩み 近づく 事を しらずして. むなしく いしょくの ごくに つながれ いたずらに みょうりの あなに おち. 空しく 衣食の 獄に つながれ 徒らに 名利の 穴に をち. さんずの きゅうりに かえり 6どうの ちまたに りんねせん こと. 三途の 旧里に 帰り 六道の ちまたに 輪回せん 事. こころ あらん ひと だれか なげかざらん だれか かなしまざらん. 心 有らん 人 誰か 歎かざらん 誰か 悲しまざらん. ああ ろうしょうふじょうは しゃばの ならい. 嗚呼 老少不定は 娑婆の 習ひ. えしゃじょうりは うきよの ことわり なれば はじめて おどろくべきに あらねども. 会者定離は 浮世の ことはり なれば 始めて 驚くべきに あらねども. しょうかの はじめ よを はようせし ひとの ありさまを みるに. 正嘉の 初め 世を 早うせし 人の ありさまを 見るに. あるいは おさなごを ふりすて あるいは おいたる おやを とどめおき. 或は 幼き 子を ふりすて 或は 老いたる 親を 留めをき. いまだ そうねんの よわいにて よみじの たびに おもむく. いまだ 壮年の 齢にて 黄泉の 旅に 趣く. こころの なか さこそ かなしかるらめ. 心の 中 さこそ 悲しかるらめ. いくも かなしみ とどまるも かなしむ. 行くも かなしみ 留るも かなしむ. かの そおうが しんにょに ともないし なさけを いっぺんの あさの くもに のこし. 彼 楚王が 神女に 伴いし 情を 一片の 朝の 雲に 残し. りゅうしが せんきゃくに あいし おもいを しちせの こういんに なぐさむ. 劉氏が 仙客に 値し 思いを 七世の 後胤に 慰む. よが ごとき もの なにに よって うれいを やすめん. 予が 如き 者 底に 縁つて 愁いを 休めん. かかる やまがつの いやしき こころ なれば みには おもいの なかれかしと いいけん. かかる 山左の いやしき 心 なれば 身には 思の なかれかしと 云いけん. ひとの ふるごとさえ おもいで でられて すえの よの わすれがたみにも とて. 人の 古事さへ 思い出 でられて 末の 代の わすれがたみにも とて. なにわの もしほぐさを かきあつめ みずくきの あとを かたちの ごとく しるしおく なり. 難波の もしほ草を かきあつめ 水くきの あとを 形の 如く しるしをく なり. かなしいかな いたましいかな. 悲しいかな 痛しいかな. われら むし より このかた むみょうの さけに よいて 6どう ししょうに りんねして. 我等 無始 より 已来 無明の 酒に 酔て 六道 四生に 輪回して. あるときは しょうねつ だいしょうねつの ほのおに むせび. 或時は 焦熱 大焦熱の 炎に むせび. あるときは ぐれん だいぐれんの こおりに とじられ. 或時は 紅蓮 大紅蓮の 氷に とぢられ. あるときは がき けかちの かなしみに あいて 500しょうの あいだ いんしょくの なをも きかず. 或時は 餓鬼 飢渇の 悲みに 値いて 五百生の 間 飲食の 名をも 聞かず. あるときは ちくしょう ざんがいの くるしみを うけて. 或時は 畜生 残害の 苦みを うけて. ちいさきは おおきなるに のまれ みじかきは ながきに まかる. 小さきは 大きなるに のまれ 短きは 長きに まかる. これを ざんがいの くと いう. 是を 残害の 苦と 云う. あるときは しゅら とうじょうの くを うけ. 或時は 修羅 闘諍の 苦を うけ. あるときは にんげんに うまれて はっくを うく. 或 時は 人間に 生れて 八苦を うく. しょうろうびょうし あいべつりく おんぞうえく ぐふとっく 5じょうおんく とう なり. 生老病死 愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦 五盛陰苦 等 なり. あるときは てんじょうに うまれて 5すいを うく. 或時は 天上に 生れて 五衰を うく. かくの ごとく さんがいの あいだを しゃりんの ごとく まわり. 此くの 如く 三界の 間を 車輪の ごとく 回り. ふしの なかにも おやの おやたる この こたる ことを さとらず. 父子の 中にも 親の 親たる 子の 子たる 事を さとらず. ふうふの あいあえるも あいあえたる ことを しらず. 夫婦の 会遇るも 会遇たる 事を しらず. まよえる ことは ようもくに ひとしく くらき ことは ろうがんに おなじ. 迷へる 事は 羊目に 等しく 暗き 事は 狼眼に 同じ. われを うみたる ははの ゆらいをも しらず. 我を 生たる 母の 由来をも しらず. せいを うけたる わがみも しの おわりを しらず. 生を 受けたる 我が 身も 死の 終りを しらず. ああ うけがたき にんかいの せいを うけ あいがたき にょらいの しょうきょうに あい たてまつれり. 嗚呼 受け難き 人界の 生を うけ 値い 難き 如来の 聖教に 値い 奉れり. いちげんの かめの うきぎの あなに あえるが ごとし. 一眼の 亀の 浮木の 穴に あへるが ごとし. こんど もし しょうじの きずな をきらず. 今度 若し 生死の きづなを きらず. さんがいの ろうはんを いでざらん こと かなしかるべし かなしかるべし. 三界の 籠樊を 出でざらん 事 かなしかるべし かなしかるべし. ここに ある ちじん きたりて しめして いわく. 爰に 或る 智人 来りて 示して 云く. なんじが なげく ところ じつに しかなり. 汝が 歎く 所 実に 爾なり. かくの ごとく むじょうの ことわりを おもいしり ぜんしんを ほっすものは りんかく よりも まれなり. 此くの 如く 無常の ことはりを 思い知り 善心を 発す 者は 麟角 よりも 希なり. この ことわりを さとらずして あくしんを ほっす ものは ぎゅうもう よりも おおし. 此の ことはりを 覚らずして 悪心を 発す 者は 牛毛 よりも 多し. なんじ はやく しょうじを のがれ ぼだいしんを おこさんと おもわばわれ さいだいいちの ほうを しれり. 汝 早く 生死を 離れ 菩提心を 発さんと 思はば 吾 最第一の 法を 知れり. こころざし あらば なんじが ために これを といて きかしめん. 志 あらば 汝が 為に 之を 説いて 聞かしめん. そのとき ぐにん ざ より たって たなごころを あわせて いわく. 其の時 愚人 座 より 起つて 掌を 合せて 云く. われは ひごろ げてんを がくし ふうげつに こころを よせて いまだぶっきょうと いうことを いさいに しらず. 我は 日来 外典を 学し 風月に 心を よせて いまだ 仏教と 云う 事を 委細に しらず. ねがわくば しょうにん わが ために これを とき たまえ. 願くば 上人 我が 為に 是を 説き 給へ. そのとき しょうにんの いわく. 其の時 上人の 云く. なんじ みみを れいりんが みみに よせ. 汝 耳を 伶倫が 耳に 寄せ. めを りしゅが まなこに かつて こころを しずめて わが おしえを きけ. 目を 離朱が 眼に かつて 心を しづめて 我が 教を きけ. なんじが ために これを とかん. 汝が 為に 之を 説かん. それ ぶっきょうは 8まんの しょうきょう おおけれども しょしゅうのふぼ たること かいりつには しかず. 夫れ 仏教は 八万の 聖教 多けれども 諸宗の 父母 たる事 戒律には しかず. されば てんじくには せしん めみょう とうの さった. されば 天竺には 世親 馬鳴 等の 薩タ. とうどには えこう どうせんと いいし ひと これを おもんず. 唐土には 慧曠 道宣と 云いし 人 是を 重んず. わが ちょうには にんのう 45だい しょうむてんのうの ぎょうに. 我が 朝には 人皇 四十五代 聖武天皇の 御宇に. がんじんわしょう この しゅうと てんだいしゅうを わたして とうだいじの かいだん これを たつ. 鑒真和尚 此の 宗と 天台宗と 両宗を 渡して 東大寺の 戒壇 之を 立つ. しかし より このかた とうせいに いたるまで すうちょうとし ふり そんき ひに あらたなり. 爾し より 已来 当世に 至るまで 崇重年 旧り 尊貴 日に 新たなり. なかんずく ごくらくじの りょうかんしょうにんは かみ いちにん より しも ばんみんに いたるまで. 就中 極楽寺の 良観上人は 上 一人 より 下 万民に 至るまで. しょうしんの にょらいと これを あおぎ たてまつる. 生身の 如来と 是を 仰ぎ 奉る. かの ぎょうぎを みるに じつに もって しかなり. 彼の 行儀を 見るに 実に 以て 爾なり. いいじまの つにて むつらの せきまいを とっては しょこくの みちを つくり. 飯嶋の 津にて 六浦の 関米を 取つては 諸国の 道を 作り. しちどうに きどを かまえて にんべつの ぜにを とっては しょがに はしを わたす. 七道に 木戸を かまへて 人別の 銭を 取つては 諸河に 橋を 渡す. じひは にょらいに ひとしく とくぎょうは せんだつに こえたり. 慈悲は 如来に 斉しく 徳行は 先達に 越えたり. なんじ はやく しょうじを はなれんと おもわば 5かい 250かいを たもち. 汝 早く 生死を 離れんと 思はば 五戒 二百五十戒を 持ち. じひを ふかくして ものの いのちを ころさずして. 慈悲を ふかくして 物の 命を 殺さずして. りょうかんしょうにんの ごとく みちを つくり はしを わたせ. 良観上人の 如く 道を 作り 橋を 渡せ. これ だいいちの ほう なり. 是れ 第一の 法 なり. なんじ たもたんや いなや. 汝 持たんや 否や. ぐにん いよいよ たなごころを あわせて いわく. 愚人 弥 掌を 合せて 云く. よくよく たもち たてまつらんと おもう. 能く能く 持ち 奉らんと 思ふ. つぶさに わが ために これを とき たまえ. 具に 我が 為に 是を 説き 給へ. そもそも 5かい 250かいと いう ことは われら いまだ ぞんち せず. 抑 五戒 二百五十戒と 云う 事は 我等 未だ 存知 せず. いさいに これを しめし たまえ. 委細に 是を 示し 給へ. ちじん いわく なんじは むげに おろかなり. 智人 云く 汝は 無下に 愚かなり. 5かい 250かいと いうことをば おさなごも これを しる. 五戒 二百五十戒と 云う事をば 孩児も 是を しる. しかれども なんじが ために これを とかん. 然れども 汝が 為に 之を 説かん. 5かいとは 1には ふせっしょうかい 2には ふちゅうとうかい. 五戒とは 一には 不殺生戒 二には 不偸盗戒. 3には ふもうごかい 4には ふじゃいんかい 5には ふおんじゅかい これなり. 三には 不妄語戒 四には 不邪淫戒 五には 不飲酒戒 是なり. 250かいの ことは おおきあいだ これを りゃくす. 二百五十戒の 事は 多き 間 之を 略す. その ときに ぐにん れいはい くぎょうして いわく. 其の 時に 愚人 礼拝 恭敬して 云く. われ きょう より ふかく この ほうを たもち たてまつるべし. 我 今日 より 深く 此の 法を 持ち 奉るべし. ここに よが ねんらいの しるひと ある ところに いんきょせる こじ ひとり あり. 爰に 予が 年来の 知音 或 所に 隠居せる 居士 一人 あり. よが しゅうたんを とむらわん ために きたれるが. 予が 愁歎を 訪わん 為に 来れるが. はじめには おうじ びょうぼうとして ゆめに にたる ことを かたり. 始には 往事 渺茫として 夢に 似たる 事を かたり. ついには ぎょうまつの めいめいとして わきまえ がたき ことを だんず. 終には 行末の 冥冥として 弁え 難き 事を 談ず. うつを さんじ おもいを のべて のち よに とうて いわく. 欝を 散じ 思を のべて 後 予に 問うて 云く. そもそも ひとの よに ある だれか ごしょうを おもわざらん. 抑 人の 世に 有る 誰か 後生を 思はざらん. きへん いかなる ぶっぽうをか たもちて しゅつりを ねがい. 貴辺 何なる 仏法をか 持ちて 出離を ねがひ. また もうじゃの ごせをも とむらい たもうや. 又 亡者の 後世をも 訪い 給うや. よ こたえて いわく. 予 答えて 云く. いちにち ある しょうにん きたって わが ために 5かい 250かいを さずけ たまえり. 一日 或る 上人 来つて 我が 為に 五戒 二百五十戒を 授け 給へり. まことに もって しんかんに そみて たっとし. 実に 以て 心肝に そみて 貴し. われ ふかく りょうかんしょうにんの ごとく およばぬ みにも わろき みちを つくり. 我 深く 良観上人の 如く 及ばぬ 身にも わろき 道を 作り. ふかき かわには はしを わたさんと おもえるなり. 深き 河には 橋を わたさんと 思へるなり. そのとき こじ しめして いわく. 其の時 居士 示して 云く. なんじが どうしん たっときに にて おろかなり. 汝が 道心 貴きに 似て 愚かなり. いま だんずる ところの ほうは あさましき しょうじょうの ほう なり. 今 談ずる 処の 法は 浅ましき 小乗の 法 なり. されば ほとけは すなわち はっしゅの たとえを もうけ. されば 仏は 則ち 八種の 喩を 設け. もんじゅは また 17しゅの さべつを のべたり. 文殊は 又 十七種の 差別を 宣べたり. あるいは ほたるび にっこうの たとえを とり. 或は 螢火 日光の 喩を 取り. あるいは すいせい るりの たとえ あり. 或は 水精 瑠璃の 喩 あり. ここを もって 3ごくの にんしも その はぶん ひとつに あらず. 爰を 以て 三国の 人師も 其の 破文 一に 非ず. つぎに ぎょうじゃの そんちょうの こと かならず ひとの うやまうによって ほうの たっときに あらず. 次に 行者の 尊重の 事 必ず 人の 敬ふに 依つて 法の 貴きに あらず. されば ほとけは えほうふえにんと さだめ たまえり. されば 仏は 依法不依人と 定め 給へり. われ つたえ きく じょうこの じりつの しょうしゃの ふるまいは. 我 伝え 聞く 上古の 持律の 聖者の 振舞は. さつを いい しゅうを いうには ちじょうの ことば あり. 殺を 言い 収を 言うには 知浄の 語 有り. ぎょううん かいせつには ししの おもいを なす. 行雲 廻雪には 死屍の 想を 作す. しかるに いまの りっそうの ふるまいを みるに ふけん ざいほうを たくわえ りせん しゃくしょうを なりわいとす. 而るに 今の 律僧の 振舞を 見るに 布絹 財宝を たくはへ 利銭 借請を 業とす. きょうぎょう すでに いはい せり. 教行 既に 相違 せり. だれか これを しんじゅ せん. 誰か 是を 信受 せん. つぎに みちを つくり はしを わたす こと かえって ひとの なげき なり. 次に 道を 作り 橋を 渡す 事 還つて 人の 歎き なり. いいじまの つにて むつらの せきまいを とる. 飯嶋の 津にて 六浦の 関米を 取る. しょにんの ながき これ おおし. 諸人の 歎き 是れ 多し. しょこく しちどうの きど これも たびびとの わずらい ただ このことに あり. 諸国 七道の 木戸 是も 旅人の わづらい 只 此の事に 在り. がんぜんの ことなり. 眼前の 事なり. なんじ みざるや いなや. 汝 見ざるや 否や. ぐにん いろを なして いわく. 愚人 色を 作して 云く. なんじが ちぶんを もって しょうにんを ぼうじ たてまつり. 汝が 智分を もつて 上人を 謗じ 奉り. その ほうを そしる こと いわれ なし. 其の 法を 誹る 事 謂れ 無し. しって いうか おろかにして いうか おそろし おそろし. 知つて 云うか 愚にして 云うか おそろし おそろし. その とき こじ わらって いわく ああ おろかなり おろかなり. 其の 時 居士 笑つて 云く 嗚呼 おろかなり おろかなり. かの しゅうの びゃっけんを あらあら もうすべし. 彼の 宗の 僻見を あらあら 申すべし. そもそも おしえに だいしょう あり. 抑 教に 大小 有り. しゅうに ごんじつを わかてり. 宗に 権実を 分かてり. ろくおんせしょうの むかしは けじょうの とぼそに みちびくと いえども. 鹿苑施小の 昔は 化城の 戸ぼそに 導くと いへども. じゅぶかいけんの むしろには その とくやく さらに これなし. 鷲峯開顕の 莚には 其の 得益 更に 之れ無し. そのとき ぐにん ぼうぜんとして こじに とうて いわく. 其の時 愚人 茫然として 居士に 問うて 云く. もんしょう げんしょう じつに もって しかなり. 文証 現証 実に 以て 然なり. さて いかなる ほうを もってか しょうじを はなれ すみやかに じょうぶつ せんや. さて 何なる 法を 持つてか 生死を 離れ 速に 成仏 せんや. こじ しめして いわく われ ざいぞくの み なれども ふかく ぶつどうを しゅぎょうして. 居士 示して 云く 我れ 在俗の 身 なれども 深く 仏道を 修行して. ようしょう より おおくの にんしの ことばを きき ほぼ きょうぎょうをも ひらきみるに. 幼少 より 多くの 人師の 語を 聞き 粗 経教をも 開き見るに. まつだい われらが ごとく なる むあくふぞうの ためには ねんぶつ おうじょうの おしえに しくは なし. 末代 我等が 如く なる 無悪不造の ためには 念仏往生の 教に しくは なし. されば えしんの そうずは 「それ おうじょう ごくらくの きょうぎょうは じょくせ まつだいの もくそく なり」と いい. されば 慧心の 僧都は 「夫れ 往生極楽の 教行は 濁世 末代の 目足 なり」と 云ひ. ほうねんしょうにんは しょきょうの ようもんを あつめて いっこう せんしゅうの ねんぶつを ひろめ たもう. 法然上人は 諸経の 要文を 集めて 一向 専修の 念仏を 弘め 給ふ. なかにも みだの ほんがんは しょぶつ ちょうかの すうちょう なり. 中にも 弥陀の 本願は 諸仏 超過の 崇重 なり. はじめ むさんあくしゅの がん より おわり とくさんほうにんの がんに いたるまで. 始め 無三悪趣の 願 より 終り 得三法忍の 願に 至るまで. いずれも ひがん めでたけれども だい18の がん ことに われらが ために しゅしょう なり. いづれも 悲願 目出けれども 第十八の 願 殊に 我等が 為に 殊勝 なり. また じゅうあく ごぎゃくをも きらわず. 又 十悪 五逆をも きらはず. いちねん たねんをも えらばず. 一念 多念をも えらばず. されば かみ いちにん より しも ばんみんに いたるまで この しゅうを もてなし たもう こと たに ことなり. されば 上 一人 より 下 万民に 至るまで 此の 宗を もてなし 給う事 他に 異なり. また おうじょうの ひと それ いくばくぞや. 又 往生の 人 それ 幾ぞや. その とき ぐにんの いわく じつに しょうを はじて だいを したい. 其の 時 愚人の 云く 実に 小を 恥じて 大を 慕ひ. あさきを さって ふかきに つくは ぶっぽうの ことわり のみに あらず. 浅を 去て 深に 就は 仏教の 理 のみに 非ず. せけんにも これ ほう なり. 世間にも 是れ 法 なり. なんじ はやく かの しゅうに うつらんと おもう. 我 早く 彼の 宗に うつらんと 思ふ. いさいに かの むねを かたり たまえ. 委細に 彼の 旨を 語り 給へ. かの ほとけの ひがんの なかに 5ぎゃく 10あくをも えらばずと いえる. 彼の 仏の 悲願の 中に 五逆 十悪をも 簡ばずと 云へる. 5ぎゃくとは なんらぞや 10あくとは いかん. 五逆とは 何等ぞや 十悪とは 如何. ちじんの いわく 5ぎゃくとは ちちを ころし ははを ころし あらかんを ころし ぶっしんの ちを いだし わごうそうを はす. 智人の 云く 五逆とは 父を 殺し 母を 殺し 阿羅漢を 殺し 仏身の血を 出し 和合僧を 破す. これを 5ぎゃくと いうなり. 是を 五逆と 云うなり. 10あくとは みに みつ くちに 4 こころに みつ なり. 十悪とは 身に 三 口に 四 意に 三 なり. みに みつとは さつ とう いん. 身に 三とは 殺 盗 婬. くちに 4とは もうご きご あっく りょうぜつ. 口に 四とは 妄語 綺語 悪口 両舌. こころに みつとは とん じん ち. 意に 三とは 貪 瞋 癡. これを 10あくと いうなり. 是を 十悪と 云うなり. ぐにん いわく われ いま げしぬ. 愚人 云く 我 今 解しぬ. きょう よりは たりきおうじょうに たのみを かくべきなり. 今日 よりは 他力往生に 憑を 懸くべきなり. ここに ぐにん また いわく. 爰に 愚人 又 云く. もってのほか さかんに いみじき みっしゅうの ぎょうじん あり. 以ての外 盛に いみじき 密宗の 行人 あり. これも よが なげきを とむらわんが ために らいりんして. 是も 予が 歎きを 訪わんが 為に 来臨して. はじめには きょうげん きごの ことわりを しめし. 始には 狂言 綺語の ことはりを 示し. ついには けんみつ 2しゅうの ほうもんを だんじて よに とうて いわく. 終には 顕密 二宗の 法門を 談じて 予に 問うて 云く. そもそも なんじは いかなる ぶっぽうをか しゅぎょうし いかなる きょうろんをか どくじゅし たてまつるや. 抑 汝は 何なる 仏法をか 修行し 何なる 経論をか 読誦し 奉るや. よ こたえて いわく われ いちにち ある こじの きょうに よって じょうどの 3ぶきょうを よみ たてまつり. 予 答えて 云く 我 一日 或る 居士の 教に 依つて 浄土の 三部経を 読み 奉り. さいほう ごくらくの きょうしゅに たのみを ふかく かくるなり. 西方 極楽の 教主に 憑を 深く 懸くるなり. ぎょうじゃに わく ぶっきょうに 2しゅ あり. 行者の 云く 仏教に 二種 有り. 1には けんきょう 2には みっきょう なり. 一には 顕教 二には 密教 なり. けんきょうの ごくりは みっきょうの しょもんにも およばずと うんぬん. 顕教の 極理は 密教の 初門にも 及ばずと 云云. なんじが しゅうしんの ほうを きけば しゃかの けんきょう なり. 汝が 執心の 法を 聞けば 釈迦の 顕教 なり. わが しょじの ほうは だいにちかくおうの ひほう なり. 我が 所持の 法は 大日覚王の 秘法 なり. じつに さんがいの かたくを おそれ じゃっこうの ほうだいを ねがわば. 実に 三界の 火宅を 恐れ 寂光の 宝台を 願はば. すべからく けんきょうを すてて みっきょうに つくべし. 須く 顕教を 捨てて 密教に つくべし. ぐにん おどろいて いわく. 愚人 驚いて 云く. われ いまだ けんみつ にどうと いうことを きかず. 我 いまだ 顕密 二道と 云う事を 聞かず. いかなるを けんきょうと いい いかなるを みっきょうと いえるや. 何なるを 顕教と 云ひ 何なるを 密教と 云へるや. ぎょうじゃの いわく よは これ がんぐにして あえて けんを そんせず. 行者の 云く 予は 是れ 頑愚にして 敢て 賢を 存ぜず. しかりと いえども いま 1 2の もんを あげて なんじが もうまいを かかげん. 然りと 雖も 今 一 二の 文を 挙げて 汝が 矇昧を 挑げん. けんきょうとは しゃりほつ とうの しょうに よって おうじんにょらいのとき たもう しょきょう なり. 顕教とは 舎利弗 等の 請に 依つて 応身如来の 説き 給う 諸教 なり. みっきょうとは じじゅほうらくの ために ほうしん だいにちにょらいのこんごうさったを しょけとして. 密教とは 自受法楽の 為に 法身 大日如来の 金剛薩タを 所化として. とき たもう ところの だいにちきょう とうの さんぶ なり. 説き 給う 処の 大日経 等の 三部 なり. ぐにんの いわく じつに もって しかなり. 愚人の 云く 実に 以て 然なり. せんぴを ひるがえして かしこき きょうに つき たてまつらんと おもうなり. 先非を ひるがへして 賢き 教に 付き 奉らんと 思うなり. また ここに うきくさの ごとく しょしゅうを まわり よもぎの ごとく けんけんに てんずる. 又 爰に 萍の ごとく 諸州を 回り 蓬の ごとく 県県に 転ずる. ひにんの それとも しらず きたり もんの はしらに よりたちて ほくそえみ かたる ことなし. 非人の それとも 知らず 来り 門の 柱に 寄り立ちて 含笑 語る 事なし. あやしみを なして これを とうに はじめには いう ことなし. あやしみを なして 是を 問うに 始めには 云う 事なし. のちに しいて といを たつる とき かれが いわく. 後に 強て 問を 立つる 時 彼が 云く. つき そうそうとして かぜ ぼうぼうたりと なりかたち つねに ことに ごんごまた つうぜず. 月 蒼蒼として 風 忙忙たりと 形質 常に 異に 言語 又 通ぜず. その しごくを たずぬれば とうせいの ぜんぽう これなり. 其の 至極を 尋れば 当世の 禅法 是なり. よ かの ひとの ありさまを み その げんごを ききて ぶつどうの りょういんを とう とき. 予 彼の 人の 有様を 見 其の 言語を 聞きて 仏道の 良因を 問う 時. ひにんの いわく しゅたらの おしえは つきを さす ゆび. 非人の 云く 修多羅の 教は 月を さす 指. きょうもうは これ ごんごに とどこおる もうじ なり. 教網は 是れ 言語に とどこほる 妄事 なり. わが こころの ほんぶんに おちつかんと いでたつ ほうは その なをぜんと いうなり. 我が 心の 本分に おちつかんと 出立 法は 其の 名を 禅と 云うなり. ぐにん いわく ねがわくは われ きかんと おもう. 愚人 云く 願くは 我 聞んと 思ふ. ひにんの いわく じつに その こころざし ふかくば かべに むかい. 非人の 云く 実に 其の 志 深くば 壁に 向い. ざぜんして ほんしんの つきを すましめよ. 坐禅して 本心の 月を 澄ましめよ. ここを もって せいてんには 28そ けい みだれず. 爰を 以て 西天には 二十八祖 系 乱れず. とうどには 6その そうでん めいはく なり. 東土には 六祖の 相伝 明白 なり. なんじ これを さとらずして きょうもうに かかる. 汝 是を 悟らずして 教網に かかる. ふびん ふびん. 不便 不便. ぜしんそくぶつ そくしんぜぶつ なれば この みの ほかに さらに なにか ほとけ あらんや. 是心即仏 即心是仏 なれば 此の 身の 外に 更に 何にか 仏 あらんや. ぐにん この ことばを きいて つくづくと しょほうを かんじ しずかに ぎりを あんじて いわく. 愚人 此の 語を 聞いて つくづくと 諸法を 観じ 閑かに 義理を 案じて 云く. ぶっきょう ばんさにして りひ あきらめ がたし. 仏教 万差にして 理非 明らめ 難し. むべ なるかな じょうたいは ひがしに こい ぜんざいは みなみに もとめ. 宜 なるかな 常啼は 東に 請い 善財は 南に 求め. やくおうは ひじを やき ぎょうぼうは かわを はぐ. 薬王は 臂を 焼き 楽法は 皮を 剥ぐ. ぜんちしき じつに あいがたし. 善知識 実に 値い難し. あるいは きょうないと だんじ あるいは きょうげと いう. 或は 教内と 談じ 或は 教外と 云う. この ことわりを おもうに いまだ えんでいを きわめず. 此の ことはりを 思うに 未だ 淵底を 究めず. ほっすいに のぞむ ものは しんえんの おもいを いだき. 法水に 臨む 者は 深淵の 思いを 懐き. にんしを みる やからは はくひょうの こころを なせり. 人師を 見る 族は 薄冰の 心を 成せり. ここを もって きんげんには えほうふえにんと さだめ. 爰を 以て 金言には 依法不依人と 定め. また そうじょうどの たとえ あり. 又 爪上土の 譬 あり. もし ぶっぽうの しんぎを しる ひと あらば たずねて しと すべし. 若し 仏法の 真偽を しる 人 あらば 尋ねて 師と すべし. もとめて あがむべし. 求めて 崇べし. それ にんかいに せいを うくるを てんじょうの いとに たとえ. 夫れ 人界に 生を 受くるを 天上の 糸に たとへ. ぶっぽうの しちょうは うきぎの あなに るいせり. 仏法の 視聴は 浮木の 穴に 類せり. みを かるくして ほうを おもんずべしと おもうに よって. 身を 軽くして 法を 重んずべしと 思うに 依つて. しゅうざんに よじ なげきに ひかれて しょじを まわる あしに まかせて. 衆山に 攀 歎きに 引れて 諸寺を 回る 足に 任せて. ひとつの がんくつに いたるに のちには せいざん ががとして しょうふう じょうらくがじょうを そうし. 一つの 巌窟に 至るに 後には 青山 峨峨として 松風 常楽我浄を 奏し. まえには へきすい とううとして きし うつ なみ しとくはらみつを とどろかす. 前には 碧水 湯湯として 岸 うつ 波 四徳波羅蜜を 響かす. しんやに かいふせる はなも ちゅうどうじっそうの いろを あらわし. 深谷に 開敷せる 花も 中道実相の 色を 顕し. こうやに ほころぶる うめも かいにょ3000の かおりを そう. 広野に 綻ぶる 梅も 界如三千の 薫を 添ふ. ごんごどうだん しんぎょうしょ めつせり いいつべし. 言語道断 心行所 滅せり 謂つ可し. しょうざんの しこうの しょごとも また しらず. 商山の 四皓の 所居とも 又 知らず. こぶつ きょうぎょうの あと なるか. 古仏 経行の 迹 なるか. けいうん あしたに たち れいこう ゆうべに げんず. 景雲 朝に 立ち 霊光 夕に 現ず. ああ こころを もって はかる べからず. 嗚呼 心を 以て 計る べからず. ことばを もって のぶ べからず. 詞を 以て 宣ぶ べからず. よ この みぎりに ちんこんと さまよい ほうこうと たち もとおり しいと たたずむ. 予 此の 砌に 沈吟と さまよひ 彷徨と たち もとをり 徙倚と たたずむ. ここに こつねんとして ひとりの しょうにん ざす. 此処に 忽然として 一の 聖人 坐す. その ぎょうぎを はいすれば ほっけ どくじゅの こえ ふかく しんかんに そみて. 其の 行儀を 拝すれば 法華 読誦の 声 深く 心肝に 染みて. かんそうの とぼそを うかがえば げんぎの ゆかに ひじを くだす. 閑ソウの 戸ぼそを 伺へば 玄義の 牀に 臂を くだす. ここに しょうにん よが ぐほうの こころざしを くみしりて. 爰に 聖人 予が 求法の 志を 酌知て. ことばを やわらげ よに とうて いわく. 詞を 和げ 予に 問うて 云く. なんじ なにに よって この しんざんの いわやに いたれるや. 汝 なにに 依つて 此の 深山の 窟に 至れるや. よ こたえて いわく せいを かろくして ほうを おもく する ものなり. 予 答えて 云く 生を かろくして 法を おもく する 者なり. しょうにん とうて いわく その ぎょうほう いかん. 聖人 問て 云く 其の 行法 如何. よ こたえて いわく もとより われは ぞくじんに まじわりて いまだしゅつりを わきまえず. 予 答えて 云く 本より 我は 俗塵に 交りて 未だ 出離を 弁えず. たまたま ぜんちしきに あいて はじめには りつ. 適 善知識に 値て 始には 律. つぎに はねんぶつ しんごん ならびに ぜん これらを きくと いえども いまだ しんぎを わきまえず. 次には 念仏 真言 並に 禅 此等を 聞くと いへども 未だ 真偽を 弁えず. しょうにんが いわく なんじが ことばを きくに じつに もって しかなり. 聖人 云く 汝が 詞を 聞くに 実に 以て 然なり. みを かろくして ほうを おもく するは せんしょうの おしえ. 身を かろくして 法を おもく するは 先聖の 教へ. よが そんずる ところなり. 予が 存ずる ところなり. そもそも かみは ひそうの くもの かみ. 抑 上は 非想の 雲の 上. しもは ならくの そこまでも せいを うけて しを まぬかるる ものやは ある. 下は 那落の 底までも 生を 受けて 死を まぬかるる 者やは ある. しかれば げてんの いやしき おしえにも ちょうにこうがん あって せいろに ほこるとも. 然れば 外典の いやしきを しえにも 朝に 紅顔 有つて 世路に 誇るとも. ゆうべには はっこつと なって こうげんに くちぬと いえり. 夕には 白骨と 為つて 郊原に 朽ちぬと 云へり. うんじょうに まじわって くもの びんずら あざやかに かいせつ たもとを ひるがえすとも. 雲上に 交つて 雲の びんづら あざやかに 廻雪 たもとを ひるがへすとも. その たのしみ おもえば ゆめの なかの ゆめ なり. 其の 楽みを おもへば 夢の 中の 夢 なり. やまの ふもと よもぎが もとは ついの すみか なり. 山の ふもと 蓬が もとは つゐの 栖 なり. ぎょくの たな にしきの とばりも ごせの みちには なにかせん. 玉の 台 錦の 帳も 後世の 道には なにかせん. おののこまち そとおりひめが はなの すがたも むじょうの かぜに ちり. 小野の小町 衣通姫が 花の姿も 無常の 風に 散り. はんかい ちょうりょうが ぶげいに たっせしも ごくそつの じょうを かなしむ. 樊カイ 張良が 武芸に 達せしも 獄卒の 杖を かなしむ. されば こころ ありし こじんの いわく. されば 心 ありし 古人の 云く. あわれ なり とりべの やまの ゆうけむり. あはれ なり 鳥べの 山の 夕煙. おくる ひととて とまる べきかは すえの つゆ もとの しずくや. をくる 人とて とまる べきかは 末の つゆ 本の しづくや. よの なかの おくれ さきだつ ためし なるらん. 世の 中の をくれ さきだつ ためし なるらん. せんぼう こうめつの ことわり はじめて おどろくべきに あらず. 先亡 後滅の 理り 始めて 驚くべきに あらず. ねごうても ねがうべきは ぶつどう もとめても もとむべきは きょうぎょう なり. 願ふても 願ふべきは 仏道 求めても 求むべきは 経教 なり. そもそも なんじが いうところの ほうもんを きけば あるいは しょうじょう あるいは だいじょう. 抑 汝が 云うところの 法門を きけば 或は 小乗 或は 大乗. くらいの こうげは しばらく これを おく. 位の 高下は 且らく 之を 置く. かえって あくどうの ごう たるべし. 還つて 悪道の 業 たるべし. ここに ぐにん おどろいて いわく. 爰に 愚人 驚いて 云く. にょらい いちだいの しょうきょうは いずれも しゅじょうを りせんが ためなり. 如来 一代の 聖教は いづれも 衆生を 利せんが 為なり. はじめ しちしょ はちえの えん より おわり ばつだいがの ぎしき まで. 始め 七処 八会の 筵 より 終り 跋提河の 儀式 まで. いずれか しゃくそんの しょせつ ならざる. 何れか 釈尊の 所説 ならざる. たとい いちぶんの しょうれつをば はんずとも なんぞ あくどうの いんと いうべきや. 設ひ 一分の 勝劣をば 判ずとも 何ぞ 悪道の 因と 云べきや. しょうにん いわく にょらいいちだいの しょうきょうに ごん あり じつ あり だい あり しょう あり. 聖人 云く 如来一代の 聖教に 権 有り 実 有り 大 有り 小 有り. また けんみつ 2どう あいわかち その ほん ひとつに あらず. 又 顕密 二道 相分ち 其の 品 一に 非ず. すべからく その だいとを しめして なんじが まよいを さとらしめん. 須く 其の 大途を 示して 汝が 迷を 悟らしめん. それ さんがいの きょうしゅ しゃくそんは 19さいにして がやじょうを いでて. 夫れ 三界の 教主 釈尊は 十九歳にして 伽耶城を 出て. だんとくせんに こもりて なんぎょうくぎょうし. 檀特山に 籠りて 難行苦行し. 30じょうどうの きざみに さんわく とみに はし. 三十成道の 刻に 三惑 頓に 破し. むみょうの だいや ここに あけしかば すべからく. 無明の 大夜 爰に 明しかば 須く. ほんがんに まかせて いちじょう みょうほうれんげきょうを のぶべしと いえども. 本願に 任せて 一乗 妙法蓮華経を 宣ぶべしと いへども. きえん ばんさに して そのき ぶつじょうに たえず. 機縁 万差にして 其の 機 仏乗に 堪えず. しかれば 40よねんに しょひの きえんを ととのえて のち はっかねんに いたって. 然れば 四十余年に 所被の 機縁を 調へて 後 八箇年に 至つて. しゅっせの ほんかい たる みょうほうれんげきょうを とき たまえり. 出世の 本懐 たる 妙法蓮華経を 説き 給へり. しかれば ほとけの おんとし 72さいにして じょぶん むりょうぎきょうに とき さだめて いわく. 然れば 仏の 御年 七十二歳にして 序分 無量義経に 説き 定めて 云く. 「われ さきに どうじょう ぼだいじゅの したに たんざ すること 6ねんにして. 「我 先きに 道場 菩提樹の 下に 端坐 すること 六年にして. あのくたらさんみゃくさんぼだいを じょうずる ことを えたり. 阿耨多羅三藐三菩提を 成ずる ことを 得たり. ぶつげんを もって いっさいの しょほうを かんずるに せんぜつ すべからず. 仏眼を 以て 一切の 諸法を 観ずるに 宣説 す可からず. ゆえんは いかん もろもろの しゅじょうの しょうよく ふどう なるを しれり. 所以は 何ん 諸の 衆生の 性慾 不同 なるを 知れり. しょうよく ふどう なれば しゅじゅに ほうを とく. 性慾 不同 なれば 種種に 法を 説く. しゅじゅに ほうを とくこと ほうべんの ちからを もってす. 種種に 法を 説くこと 方便の 力を 以てす. しじゅうよねんには いまだ しんじつを あらわさず」. 四十余年には 未だ 真実を 顕わさず」. この もんの こころは ほとけは おんとし 30にして じゃくめつどうじょう ぼだいじゅの したに ざして. 此の 文の 意は 仏の 御年三十にして 寂滅道場 菩提樹の 下に 坐して. ぶつげんを もって いっさいしゅじょうの しんこんを ごらん ずるに. 仏眼を 以て 一切衆生の 心根を 御覧 ずるに. しゅじょうじょうぶつの じきどうたる ほけきょうをば とく べからず. 衆生成仏の 直道たる 法華経をば 説く べからず. これを もって くうけんを あげて みどりごを すかすが ごとく. 是を 以て 空拳を 挙げて 嬰児を すかすが 如く. さまざまの たばかりを もって しじゅうよねんが あいだは いまだ しんじつを あらわさずと ねんきを さして. 様様の たばかりを 以て 四十余年が 間は いまだ 真実を 顕わさずと 年紀を さして. せいてんに にちりんの いで あんやに まんげつの かかるが ごとくと とき さだめさせ たまえり. 青天に 日輪の 出で 暗夜に 満月の かかるが 如く 説き 定めさせ 給へり. この もんを みて なんぞ おなじ しんじんを もって ほとけの そらごとと とかるる. 此の 文を 見て 何ぞ 同じ 信心を 以て 仏の 虚事と 説かるる. ほっけ いぜんの ごんきょうに しゅうじゃくして めずらしからぬ さんがいの こたくに かえるべきや. 法華已前の 権教に 執著して、めずらしからぬ 三界の 故宅に 帰るべきや. されば ほけきょうの 1のまき ほうべんぼんに いわく. されば 法華経の 一の巻 方便品に 云く. 「しょうじきに ほうべんを すて ただ むじょうどうを とく」. 「正直に 方便を 捨て 但 無上道を 説く」. この もんの こころは ぜん 42ねんの きょうぎょう なんじが かたる ところの. 此の 文の 意は 前 四十二年の 経経 汝が 語る ところの. ねんぶつ しんごん ぜん りつを しょうじきに すてよと なり. 念仏 真言 禅 律を 正直に 捨てよと なり. この もん めいはく なる うえ かさねて いましめて だい 2の まき ひゆほんに いわく. 此の 文 明白 なる 上 重ねて いましめて 第二の巻 譬喩品に 云く. 「ただ ねがって だいじょうきょうてんを じゅじし ないし よきょうの いちげをも うけざれ」. 「但 楽つて 大乗経典を 受持し 乃至 余経の 一偈をも 受けざれ」. この もんの こころは ねんき かれこれ わずらわし. 此の 文の 意は 年紀 かれこれ 煩はし. しょせん ほけきょう より じよの きょうをば いちげをも うく べからずと なり. 所詮 法華経 より 自余の 経をば 一偈をも 受く べからずと なり. しかるに はっしゅうの いぎ らんぎくに どう ぞく かたちを ことに すれども. 然るに 八宗の 異義 蘭菊に 道 俗 形ちを 異に すれども. いちどうに ほけきょうをば あがむる よしを いう. 一同に 法華経をば 崇むる 由を 云う. されば これらの もんをば いかが わきまえたる. されば 此等の 文をば いかが 弁へたる. しょうじきに すてよと いって よきょうの いちげをも いましむるに. 正直に 捨てよと 云つて 余経の 一偈をも 禁むるに. あるいは ねんぶつ あるいは しんごん あるいは ぜん これ よきょうに あらずや. 或は 念仏 或は 真言 或は 禅 或は 律 是れ 余経に あらずや. いま この みょうほうれんげきょうとは しょぶつ しゅっせの ほんい しゅじょうじょうぶつの じきどう なり. 今 此の 妙法蓮華経とは 諸仏 出世の 本意 衆生成仏の 直道 なり. されば しゃくそんは ふぞくを のべ たほうは しょうめいを とげ. されば 釈尊は 付属を 宣べ 多宝は 証明を 遂げ. しょぶつは ぜっそうを ぼんてんに つけて かいぜしんじつと のべ たまえり. 諸仏は 舌相を 梵天に 付けて 皆是真実と 宣べ 給へり. この きょうは 1じも しょぶつの ほんかい いってんも たしょうの たすけ なり. 此の 経は 一字も 諸仏の 本懐 一点も 多生の 助 なり. いちごん いちごも こもう あるべからず. 一言 一語も 虚妄 あるべからず. この きょうの いましめを もちいざる ものは しょぶつの したを きり. 此の 経の 禁を 用いざる 者は 諸仏の 舌を きり. けんせいを あざむく ひとに あらずや. 賢聖を あざむく 人に 非ずや. その つみ じつに おそるべし. 其の 罪 実に 怖るべし. されば 2のまきに いわく. されば 二の巻に 云く. 「もし ひと しんぜずして この きょうを きぼうせば すなわち いっさいせけんの ぶっしゅを だんず」. 「若し 人 信ぜずして 此の 経を 毀謗せば 則ち 一切世間の 仏種を 断ず」. この もんの こころは もし ひと この きょうの いちげ いっくをも そむかん ひとは. 此の 文の 意は 若 人 此 経の 一偈 一句をも 背かん 人は. かこ げんざい みらい さんぜ じっぽうの ほとけを ころさん つみと さだむ. 過去 現在 未来 三世十方の 仏を 殺さん 罪と 定む. きょうぎょうの かがみを もって とうせいに あてみるに ほけきょうを そむかぬ ひとは じつに もって ありがたし. 経教の 鏡を もつて 当世に あてみるに 法華経を そむかぬ 人は 実に 以て 有りがたし. ことの こころを あんずるに ふしんの ひと なお むけんを まぬがれず. 事の 心を 案ずるに 不信の 人 尚 無間を 免れず. いわんや ねんぶつの そし ほうねんしょうにんは ほけきょうを もって ねんぶつに たいして なげうてよと うんぬん. 況や 念仏の 祖師 法然上人は 法華経を もつて 念仏に 対して 抛てよと 云云. 5000 7000の きょうぎょうに いずれの ところにか ほけきょうを なげうてよと いう もん ありや. 五千 七千の 経教に 何れの 処にか 法華経を 抛てよと 云う 文 ありや. さんまいほっとくの ぎょうじゃ しょうしんの みだぶつと あがむる ぜんどうわしょう. 三昧発得の 行者 生身の 弥陀仏と あがむる 善導和尚. 5しゅの ぞうぎょうを たてて ほけきょうをば せんちゅうむいち とて. 五種の 雑行を 立てて 法華経をば 千中無一 とて. 1000にん たもつとも ひとりも ほとけに なるべからずと たてたり. 千人 持つとも 一人も 仏に なるべからずと 立てたり. きょうもんには にゃくうもんぽうしゃ むいつふじょうぶつと だんじて. 経文には 若有聞法者 無一不成仏と 談じて. この きょうを きけば じっかいの えしょう みな ぶつどうを じょうずと みえたり. 此の 経を 聞けば 十界の 依正 皆 仏道を 成ずと 見えたり. ここを もって 5ぎゃくの ちょうだつは てんのうにょらいの きべつに あずかり. 爰を 以て 五逆の 調達は 天王如来の 記ベツに 予り. ひき 5しょうの りゅうにょも なんぽうに とんかくじょうどうを となう. 非器 五障の 竜女も 南方に 頓覚成道を 唱ふ. いわんや また きっこうの 6そくを たてて きを もらす こと なし. 況や 復 キッコウの 六即を 立てて 機を 漏らす 事 なし. ぜんどうの ことばと ほけきょうの もんと じつに もって てんちうんでい せり. 善導の 言と 法華経の 文と 実に 以て 天地雲泥 せり. いずれに つくべきや. 何れに 付くべきや. なかんずく その どうりを おもうに しょぶつ しゅうきょうの おんてき. 就中 其の 道理を 思うに 諸仏 衆経の 怨敵. しょうそうしゅうにんの しゅうてき なり. 聖僧衆人の 讎敵 なり. きょうもんの ごとく ならば いかでか むけんを まぬがるべきや. 経文の 如く ならば 争か 無間を 免るべきや. ここに ぐにん いろを なして いわく. 爰に 愚人 色を 作して 云く. なんじ いやしき みを もって ほしいままに ゆうげんを はく. 汝 賤き 身を 以て 恣に 莠言を 吐く. さとって いうか まよって いうか. 悟つて 言うか 迷つて 言うか. りひ わきまえ がたし. 理非 弁え 難し. かたじきなくも ぜんどうわしょうは みだぜんぜいの おうけ. 忝なくも 善導和尚は 弥陀善逝の 応化. あるいは せいしぼさつの けしんと いえり. 或は 勢至菩薩の 化身と 云へり. ほうねんしょうにんも また しかなり. 法然上人も 亦 然なり. ぜんどうの こうしんと いえり. 善導の 後身と いへり. じょうこの せんだつ たる うえ ぎょうとくゆうはつし げりょう そこを きわめたり. 上古の 先達 たる 上 行徳秀発し 解了 底を 極めたり. なんぞ あくどうに おちたもうと いうや. 何ぞ 悪道に 堕ち 給うと 云うや. しょうにん いわく なんじが ことば しかなり. 聖人 云く 汝が 言 然なり. よも あおいで しんを とる こと かくの ごとし. 予も 仰いで 信を 取る こと 此くの 如し. ただし ぶっぽうは あながちに ひとの きせんには よる べからず. 但し 仏法は 強ちに 人の 貴賤には 依る べからず. ただ きょうもんを さきと すべし. 只 経文を 先きと すべし. みの いやしきを もって その ほうを かろんずる ことなかれ. 身の 賤を もつて 其の 法を 軽んずる 事なかれ. うにんぎょうしょうおし うにんぎょうしおしょうの 12じを となえし びまだいこくの きつねは. 有人楽生悪死 有人楽死悪生の 十二字を 唱へし 毘摩大国の 狐は. たいしゃくの しと あがめられ しょぎょうむじょうとうの 16じを だんぜし. 帝釈の 師と 崇められ 諸行無常 等の 十六字を 談ぜし. きじんは せっせんどうじに とうとまる. 鬼神は 雪山童子に 貴まる. これ かならず きつねと きじんとの たっときに あらず. 是れ 必ず 狐と 鬼神との 貴きに 非ず. ただ ほうを おもんずる ゆえなり. 只 法を 重んずる 故なり. されば われらが じふ きょうしゅしゃくそん そうりんさいごの ごゆいごん. されば 我等が 慈父 教主釈尊 雙林 最後の 御遺言. ねはんぎょうの だい6には えほうふえにんとて ふげん もんじゅ とうの とうかく いかんの だいさった. 涅槃経の 第六には 依法不依人とて 普賢 文殊 等の 等覚 已還の 大薩タ. ほうもんを とき たもうとも きょうもんを てに とらずば もちいざれと なり. 法門を 説き 給ふとも 経文を 手に 把らずば 用ゐざれと なり. てんだいだいしの いわく 「しゅたらと がっする ものは ろくして これを もちいよ. 天台大師の 云く「修多羅と 合する 者は 録して 之を 用いよ. もん なく ぎ なきは しんじゅ すべからず」. 文 無く 義 無きは 信受 す可からず」. しゃくの こころは きょうもんに あきらか ならんを もちいよ. 釈の 意は 経文に 明 ならんを 用いよ. もんしょう なからんをば すてよと なり. 文証 無からんをば 捨てよと なり. でんぎょうだいしの いわく「ぶっせつに えひょうして くでんを しんずる ことなかれ」. 伝教大師の 云く「仏説に 依憑して 口伝を 信ずること 莫れ」. まえの しゃくと どうい なり. 前の 釈と 同意 なり. りゅうじゅぼさつの いわく「しゅたら びゃくろんに よって しゅたら こくろんに よらざれ」と. 竜樹菩薩の 云く「修多羅 白論に 依つて 修多羅 黒論に 依らざれ」と. こころは きょうの なかにも ほっけ いぜんの ごんきょうを すてて この きょうに つけよと なり. 意は 経の 中にも 法華 已前の 権教を すてて 此の 経に つけよと なり. きょうもんにも ろんもんにも ほっけに たいして しょよの きょうてんを すてよと いうこと ふんみょう なり. 経文にも 論文にも 法華に 対して 諸余の 経典を 捨てよと 云う事 分明 なり. しかるに かいげんの ろくに あぐる ところの 5000 7000の きょうかんに. 然るに 開元の 録に 挙る 所の 五千 七千の 経巻に. ほけきょうを すてよ ないし なげうてよと きらう ことも. 法華経を 捨てよ 乃至 抛てよと 嫌ふ ことも. また ぞうぎょうに せっして これを すてよと いう きょうもんも まったく なし. 又 雑行に 摂して 之を 捨てよと 云う 経文も 全く 無し. されば たしかの きょうもんを かんがえ いだして ぜんどう ほうねんの むけんの くを すくわるべし. されば 慥の 経文を 勘へ 出して 善導 法然の 無間の 苦を 救はるべし. こんぜの ねんぶつの ぎょうじゃ ぞくなん ぞくにょ きょうもんに いする のみならず. 今世の 念仏の 行者 俗男 俗女 経文に 違する のみならず. また しの おしえにも そむけり. 又 師の 教にも 背けり. 5しゅの ぞうぎょうとて ねんぶつ もうさん ひとの すつべき にっきぜんどうの しゃく これあり. 五種の 雑行とて 念仏 申さん 人の すつべき 日記 善導の 釈 之れ有り. その ぞうぎょうとは せんちゃくに いわく. 其の 雑行とは 選択に 云く. 「だいいちに どくじゅぞうぎょうとは かみの かんきょう とうの おうじょうじょうどの きょうを のぞいて. 「第一に 読誦雑行とは 上の 観経 等の 往生浄土の 経を 除いて. いげ だいしょう じょうけんみつの しょきょうに おいて じゅじ どくじゅ するを ことごとく どくじゅ ぞうぎょうと なづく. 已外 大小 乗顕密の 諸経に 於て 受持 読誦 するを 悉く 読誦 雑行と 名く. ないし だい3に らいはいぞうぎょうとは かみの みだを らいはい するを のぞいて. 乃至 第三に 礼拝雑行とは 上の 弥陀を 礼拝 するを 除いて. いげ いっさい しょよの ぶつ ぼさつ とう. 已外 一切諸余の 仏 菩薩 等. および もろもろの せてんに おいて らいはい くぎょう するを ことごとく らいはいぞうぎょうと なずく. 及 諸の 世天に 於て 礼拝 恭敬 するを 悉く 礼拝雑行と 名く. だいよんに しょうみょうぞうぎょうとは かみの みだの みょうごうを しょうするを のぞいて. 第四に 称名雑行とは 上の 弥陀の 名号を 称するを 除いて. いげ じよの いっさい ほとけ ぼさつ とう および もろもろの せいてん とうの みょうごうを しょうするを ことごとく ぞうぎょうと なずく. 已外 自余の 一切 仏 菩薩 等 及 諸の 世天 等の 名号を 称するを 悉く 称名雑行と 名く. だい5に さんたんくようぞうぎょうとは かみの みだぶつを のぞいて. 第五に 讃歎供養雑行とは 上の 弥陀仏を 除いて. いげ いっさいしょよの ぶつ ぼさつ とう および もろもろの せてん とうに おいて. 已外 一切諸余の 仏 菩薩 等 及諸の 世天 等に 於て. さんたんし くよう するを ことごとく さんたんくようぞうぎょうと なずく」. 讃歎し 供養 するを 悉く 讃歎供養雑行と 名く」. この しゃくの こころは だいいちの どくじゅぞうぎょうとは ねんぶつ もうさん. 此の 釈の 意は 第一の 読誦雑行とは 念仏 申さん. どうぞく なんにょ よむべき きょう あり よむまじき きょう ありと さだめたり. 道俗 男女 読むべき 経 あり 読むまじき 経 ありと 定めたり. よむまじき きょうは ほけきょう にんのうきょう やくしきょう だいしゅうきょう はんにゃしんぎょう てんにょじょうぶつきょう ほくとじゅみょうきょう. 読むまじき 経は 法華経 仁王経 薬師経 大集経 般若心経 転女成仏経 北斗寿命経. ことさら うちまかせて しょにん よまるる はっかんの なかの かんのんきょう. ことさら うち任せて 諸人 読まるる 八巻の 中の 観音経. これらの しょきょうを いっく いちげも よむ ならば. 此等の 諸経を 一句 一偈も 読む ならば. たとえ ねんぶつを こころざす ぎょうじゃ なりとも ぞうぎょうに せっせられて おうじょう すべからず うんぬん. たとひ 念仏を 志す 行者 なりとも 雑行に 摂せられて 往生 す可からず 云云. よ ぐがんを もって よを みるに たとえ ねんぶつ もうす ひと なれども. 予 愚眼を 以て 世を 見るに 設ひ 念仏 申す 人 なれども. この きょうぎょうを よむ ひとは おおく してい てきたいして しちぎゃくざいと なりぬ. 此の 経経を 読む 人は 多く 師弟 敵対して 七逆罪と なりぬ. また だい3の らいはいぞうぎょうとは ねんぶつの ぎょうじゃは みださんぞん より ほかは. 又 第三の 礼拝雑行とは 念仏の 行者は 弥陀三尊 より 外は. かみに あぐる ところの しょぶつ ぼさつ しょてんぜんじんを れいするをば. 上に 挙ぐる 所の 諸仏 菩薩 諸天善神を 礼するをば. らいはいぞうぎょうと なづけ これを きんず. 礼拝雑行と 名け 又 之を 禁ず. しかるを にほんは しんこくとして いざなぎ いざなみのみこと この くにを つくり. 然るを 日本は 神国として 伊奘諾 伊奘册の尊 此の 国を 作り. てんしょうだいじん あとたれいまして みもすそかわの ながれ ひさしくして いまに たえず. 天照大神 垂迹御坐して 御裳濯河の 流れ 久しくして 今に たえず. あに この くにに せいを うけて この じゃぎを もちゆべきや. 豈 此の 国に 生を 受けて 此の 邪義を 用ゆべきや. また ふてんの もとに うまれて さんこうの おんを こうむり ながら. 又 普天の 下に 生れて 三光の 恩を 蒙り ながら. まことに にちがつ せいしゅくを はする こと もっとも おそれ あり. 誠に 日月 星宿を 破する 事 尤も 恐れ 有り. また だい4の しょうみょうぞうぎょうとは ねんぶつ もうさん ひとはとなうべき ぶつ ぼさつの な あり. 又 第四の 称名雑行とは 念仏 申さん 人は 唱うべき 仏 菩薩の 名あり. とまえ まじき ぶつ ぼさつの な あり. 唱え まじき 仏 菩薩の 名 あり. となうべき ぶつ ぼさつの な とは みださんぞんの みょうごう. 唱うべき 仏 菩薩の 名とは 弥陀 三尊の 名号. となう まじき ぶつ ぼさつの みょうごうとは しゃか やくし だいにち とうの しょぶつ. 唱う まじき 仏 菩薩の 名号とは 釈迦 薬師 大日 等の 諸仏. じぞう ふげん もんじゅ にちげつせい にしょと みしまと くまのと はぐろと てんしょうだいじんと はちまんだいぼさつと. 地蔵 普賢 文殊 日月星 二所と 三嶋と 熊野と 羽黒と 天照大神と 八幡大菩薩と. これらの なを いっぺんも となえん ひとは ねんぶつを 10まんべん 100まんべん もうしたりとも となうる. 此等の 名を 一遍も 唱えん 人は 念仏を 十万遍 百万遍 申したりとも となうる. この ぶつ ぼさつ にちがつしん とうの なを となうる とがに よって. 此の 仏 菩薩 日月神 等の 名を 唱うる 過に 依つて. むけんには おつとも おうじょう すべからずと うんぬん」. 無間には おつとも 往生 すべからずと 云云. われ せけんを みるに ねんぶつを もうす ひとも. 我 世間を 見るに 念仏を 申す 人も. これらの しょぶつ ぼさつ しょてんぜんじんの なを となうる ゆえに. 此等の 諸仏 菩薩 諸天善神の 名を 唱うる 故に. これ また しの おしえに そむけり. 是れ 又 師の 教に 背けり. だい5の さんたんくようぞうぎょうとは ねんぶつ もうさん ひとは. 第五の 讃歎供養雑行とは 念仏 申さん 人は. くよう すべき ほとけは みださんぞんを くようせん ほかは. 供養 すべき 仏は 弥陀三尊を 供養せん 外は. かみに あぐる ところの ぶつ ぼさつ しょてんぜんじんに こうげの すこしも くようせん ひとは. 上に 挙ぐる 所の 仏 菩薩 諸天善神に 香華の すこしをも 供養せん 人は. ねんぶつの こうは たっとけれども この とがに よって ぞうぎょうに せっすと これを きらう. 念仏の 功は 貴とけれども 此の 過に 依つて 雑行に 摂すと 是を きらふ. しかるを よを みるに しゃだんに もうでては へいはくを ささげ. 然るに 世を 見るに 社壇に 詣でては 幣帛を 捧げ. どうしゃに のぞみては らいはいを いたす. 堂舎に 臨みては 礼拝を 致す. これ また しの おしえに そむけり. 是れ 又 師の 教に 背けり. なんじ もし ふしん ならば せんちゃくを みよ. 汝 若し 不審 ならば 選択を 見よ. その もん めいはく なり. 其の 文 明白 なり. また ぜんぞうわしょうの かんねんほうもんきょうに いわく. 又 善導和尚の 観念法門経に 云く. 「しゅにく 5しん ちかって ほつがんして てに とらざれ かまざれ. 「酒肉 五辛 誓つて 発願して 手に 捉らざれ 口に 喫まざれ. もし この ことばに いせば すなわち しんく ともに あくそうを つけんと がんぜよ. 若し 此の 語に 違せば 即ち 身口 倶に 悪瘡を 著けんと 願ぜよ」. この もんの こころは ねんぶつ もうさん なんにょ あまほっしは さけを のまざれ ぎょちょう をも くわざれ. 此の 文の 意は 念仏 申さん 男女 尼法師は 酒を 飲まざれ 魚鳥 をも 食わざれ. その ほか にら ひる とうの いつつの からく くさきものを くわざれ. 其の 外 にら ひる 等の 五つの からく くさき 物を 食わざれ. これを もたざる ねんぶつしゃは こんじょうには あくそう みに いで. 是を 持たざる 念仏者は 今生には 悪瘡 身に 出で. ごしょうには むけんに だすべしと うんぬん. 後生には 無間に 堕すべしと 云云. しかるに ねんぶつ もうす なんにょ あま ほっし この かいを かえりみず. 然るに 念仏 申す 男女 尼 法師 此の 誡を かへりみず. ほしいままに さけを のみ ぎょちょうを くらう こと つるぎを のむたとえに あらずや. 恣に 酒を のみ 魚鳥を 食ふ 事 剣を 飲む 譬に あらずや. ここに ぐにんの いわく まことに これ この ほうもんを きくに. 爰に 愚人の 云く 誠に 是れ 此の 法門を 聞くに. ねんぶつの もうもん まことに おうじょうすと いえども その ぎょうぎ しゅぎょうし がたし. 念仏の 法門 実に 往生すと 雖も 其の 行儀 修行し 難し. いわんや かの たのむ ところの きょうろんは みな もって ごんせつ なり. 況や 彼の 憑む 所の 経論は 皆 以て 権説 なり. おうじょう すべからざるの じょうぶん あきらか なり. 往生 す可からざるの 条分 明 なり. ただ しんごんを はする ことは その いわれ なし. 但 真言を 破する 事は 其の 謂れ 無し. それ だいにちきょうとは だいにちかくおうの ひほう なり. 夫れ 大日経とは 大日覚王の 秘法 なり. だいにちにょらい より けいも みだれず ぜんむい ふくう これを つたえ. 大日如来 より 系も 乱れず 善無畏 不空 之を 伝え. こうぼうだいしは にほんに りょうかいの まんだらを ひろめ. 弘法大師は 日本に 両界の 曼陀羅を 弘め. そんこう 37そん ひおう なる ものなり. 尊高 三十七尊 秘奥 なる ものなり. しかるに けんきょうの ごくりは なお みっきょうの しょもんにも およばず. 然るに 顕教の 極理は 尚 密教の 初門にも 及ばず. ここを もって ごとういんは ほっけ なお およばず. 爰を 以て 後唐院は 法華 尚 及ばず. いわんや じよの おしえおやと しゃくし たまえり. 況や 自余の 教をやと 釈し 給へり. この こと いかんが こころう べきや. 此の 事 如何が 心う べきや. しょうにん しめして いわく よも はじめは だいにちに たのみを かけて みっしゅうに こころざしを よす. 聖人 示して 云く 予も 始は 大日に 憑を 懸けて 密宗に 志を 寄す. しかれども かの しゅうの さいていを みるに その りゅうぎも また ほうぼう なり. 然れども 彼の 宗の 最底を 見るに 其の 立義も 亦 謗法 なり. なんじが いう ところの こうやの だいしは さがてんのうの ぎょうの にんし なり. 汝が 云う 所の 高野の 大師は 嵯峨天皇の 御宇の 人師 なり. しかるに こうてい より ぶっぽうの せんじんを はんしゃく すべき よしの せんじを たまいて. 然るに 皇帝 より 仏法の 浅深を 判釈 すべき 由の 宣旨を 給いて. じゅうじゅうしんろん じっかん これを つくる. 十住心論 十巻 之を 造る. この しょ こうはく なる あいだ ようを とって 3かんに これを ちぢめ. 此の 書 広博 なる 間 要を 取つて 三巻に 之を 縮め. その なを ひぞうほうやくと ごうす. 其の 名を 秘蔵宝鑰と 号す. はじめ いしょうていようしん より おわり ひみつそうごんしんに いたるまで 10に ふんべつし. 始 異生羝羊心 より 終 秘密荘厳心に 至るまで 十に 分別し. だい8 ほっけ だい9 けごん だい10 しんごんと たてて. 第八 法華 第九 華厳 第十 真言と 立てて. ほっけは けごんにも おとれば だいにちきょうには さんじゅうの れつと はんじて. 法華は 華厳にも 劣れば 大日経には 三重の 劣と 判じて. かくの ごときの じょうじょうは じじょうに ほとけの なを うれども. 此くの 如きの 乗乗は 自乗に 仏の 名を 得れども. のちに のぞめば けろんと なると かいて ほけきょうを きょうげんきごと いい. 後に 望めば 戯論と 作ると 書いて 法華経を 狂言綺語と 云い. しゃくそんをば むみょうに まよえる ほとけと くだせり. 釈尊をば 無明に 迷へる 仏と 下せり. よって でんぼういん こんりゅう せし こうぼうの でし しょうかくぼうは. 仍て 伝法院 建立 せし 弘法の 弟子 正覚房は. ほけきょうは だいにちきょうの はきものとりに およばず. 法華経は 大日経の はきものとりに 及ばず. しゃかぶつは だいにちにょらいの うしかいにも たらずと かけり. 釈迦仏は 大日如来の 牛飼にも 足らずと 書けり. なんじ こころを しずめて きけ. 汝 心を 静めて 聞け. いちだい 5000 7000の きょうぎょう、げてん 3000よかんにも ほけきょうは けろん 3じゅうの れつ. 一代 五千七千の 経教 外典 三千余巻にも 法華経は 戯論 三重の 劣. けごんきょうにも おとり しゃくそんは むみょうに まよえる ほとけにて. 華厳経にも 劣り 釈尊は 無明に 迷へる 仏にて. だいにちにょらいの うしかいにも たらずと いう たしかなる もん ありや. 大日如来の 牛飼にも 足らずと 云う 慥なる 文 ありや. たとい さる もん ありと いうとも よくよく しあん あるべきか. 設ひ さる 文 有りと 云うとも 能く能く 思案 あるべきか. きょうぎょうは せいてん より とうどに およぼす とき. 経教は 西天 より 東土に オヨぼす 時. やくしゃの いぎょうに したがって きょうろんの もん ふじょう なり. 訳者の 意楽に 随つて 経論の 文 不定 なり. さて こうしんの らじゅうさんぞうは われ かんどの ぶっぽうを みるに おおく ぼんほんに いせり. さて 後秦の 羅什三蔵は 我 漢土の 仏法を 見るに 多く 梵本に 違せり. わが しゃくする ところの きょう もし あやまり なくば われ しして のち. 我が 訳する 所の 経 若し 誤り なくば 我 死して 後. みは ふじょう なれば やくると いえども. 身は 不浄 なれば 焼くると 云えども. した ばかり やけざらんと つねに せっぽうし たまいしに やき たてまつる とき. 舌 計り 焼けざらんと 常に 説法し 給いしに 焼き 奉る 時. おんみは みな ほねと なると いえども おした ばかりは しょうれんげの うえに こうみょうを はなって にちりんを えいだつし たまいき. 御身は 皆 骨と なると いへども 御舌 計りは 青蓮華の 上に 光明を放つて 日輪を 映奪し 給いき. ありがたき ことなり. 有り難き 事なり. さてこそ ことさら かの さんぞうしょやくの ほけきょうは とうどに やすやすと ひろまらせ たまいしか. さてこそ 殊更 彼の 三蔵所訳の 法華経は 唐土に やすやすと 弘まらせ 給いしか. しかれば えんりゃくじの こんぽんだいし しょしゅうを せめ たまいしには. 然れば 延暦寺の 根本大師 諸宗を 責め 給いしには. ほけきょうを やくする さんぞうは したの やけざる しるし あり. 法華を 訳する 三蔵は 舌の 焼けざる 験 あり. なんじらが えきょうは みな あやまれりと はし たもうは これなり. 汝等が 依経は 皆 誤れりと 破し 給ふは 是なり. ねはんぎょうにも わが ぶっぽうは たこくへ うつらん とき. 涅槃経にも 我が 仏法は 他国へ 移らん 時. あやまり おおかるべしと とき たまえば. 誤り 多かるべしと 説き 給へば. きょうもんに たとい ほけきょうは いたずら ごと. 経文に 設ひ 法華経は いたずら 事. しゃくそんをば むみょうに まよえる ほとけ なりと ありとも. 釈尊をば 無明に 迷へる 仏 なりと ありとも. ごんきょう じっきょう だいじょう しょうじょう せつじの ぜんご やくしゃ よくよく たずぬべし. 権教 実教 大乗 小乗 説時の 前後 訳者 能く能く 尋ぬべし. いわゆる ろうし こうしは きゅうしいちごん さんしいちごん. 所謂 老子 孔子は 九思一言 三思一言. しゅうこうたんは しょくするに さんど はき もくするに さんど にぎる. 周公旦は 食するに 三度 吐き 沐するに 三度 にぎる. げてんの あさき なお かくの ごとし. 外典の あさき 猶 是くの 如し. いわんや ないてんの じんぎを ならわん ひとをや. 況や 内典の 深義を 習はん 人をや. その うえ この ぎ きょうろんに あとかたも なし. 其の 上 此の 義 経論に 迹形も なし. ひとを そしり ほうを ぼうじては あくどうに おつべしとは こうぼうだいしの しゃく なり. 人を 毀り 法を 謗じては 悪道に 堕つべしとは 弘法大師の 釈 なり. かならず じごくに おちんこと うたがい なき ものなり. 必ず 地獄に 堕んこと 疑い 無き 者なり. ここに ぐにん ぼうぜんと ほれ こつねんと なげいて やや ひさしゅうして いわく. 爰に 愚人 茫然と ほれ 忽然と なげひて 良 久しうして 云く. この だいしは ないがいの みょうきょう しゅうにんの どうし たり. 此の 大師は 内外の 明鏡 衆人の 導師 たり. とくぎょう よに すぐれ めいよ あまねく きこえて.

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醜形(しゅうけい)恐怖症

しゅう けい きょう ふ しょう 整形

仏教用語 読み方 意味 あい 私たちを苦しめるの一つ あく を生み出す行い あきらめ あきらかにみる。 を明らかに見ること あっこう わるぐち。 誹謗中傷 あしゅら 争いの絶えない世界に住む人 あなりつ の一人で全盲。 天眼第一といわれる。 あなん の一人。 のいとこで、最も多くブッダの説法を聞いた多聞第一といわれる。 あのよ 死んだ後の世界 あびじごく 最も激しい苦しみの世界。 ともいう。 あみだきょう やでよく読まれるへ往く方法を説かれた あみだにょらい 大宇宙の諸仏の王であり先生。 ともいう。 あみだぶつ 大宇宙の諸仏の王であり先生。 のこと。 あらやしき 私たちの永遠の生命 ありがとう 現在はお礼の言葉。 元々は有ることが難しいという仏教の言葉 あんぐりまーら のお弟子の一人。 前に多くの人を殺したが、お釈迦さまに導かれてあっという間にを開いた。 いかり 思い通りにならないとき腹が立つ心・仏教では瞋恚(しんに)という。 いきがい それを目標として生きる力がわくような楽しみ いきかた 生きる手段 いきるいみ 私たちが人間に生まれた意味・ いきるもくてき 何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、なぜ生きねばならないのか。 いっきゅう とんちで有名な一休さん。 室町時代の。 変わった言動が多く、からに改宗した。 いはい 故人のが書いてある木製や金属製の板。 仏教ではなく儒教の習慣。 いろはうた 五十音を一文字ずつ使ってのお言葉を和訳した歌 いんがおうほう 自分の行いに応じた報いを受けること いんがのどうり 因果律に基づくの法則・仏教の根幹 いんねん 原因のこと。 詳しくは因と縁の2つに分けられる。 うそ 事実と異なることを言うこと・仏教では妄語(もうご)という。 うちょうてん 28種類のでも最高の世界 うぱーり の一人。 持律第一といわれる。 うまれかわり 死んだ後、別の生命に生まれること うむどうぜん お金や物の有無にかかわらず苦しみ悩みがなくならないこと うらない 偶然をに結びつける未来予想。 仏教では事実無根の嘘として排斥される。 うらぼんえ 『仏説盂蘭盆経』に基づく夏の仏教行事。 ともいう。 うわき 特定の相手がいるのに他の人と肉体関係を持つこと うわさ 本人のいないところでその人の話をすること うんめい 自分の人生に起きるできごと えんま の王。 死ぬまでの行いによってを言い渡す裁判官 おうじょう の救い・生きているときの往生と死後の往生の2つある。 おうじょうようしゅう の主著。 やその解釈の中から、に重要なお言葉を集めたもの おおはらもんどう 京都の大原でvs他の仏教学者全員とで争われた日本仏教始まって以来の大論争• おに 現在の日本でイメージされる角が生えて虎の皮のふんどしをつけ、金棒を持つ鬼は仏教に説かれるの獄卒 おぼん 『仏説盂蘭盆経』にもとづく夏の仏教行事。 盂蘭盆会ともいう。 おやこうこう 親の恩に報いること か行 仏教用語 読み方 意味 かいじょうえ を開く方法 かいみょう して受戒し、仏弟子になったときの名前。 死後につけるのは誤り かいりつ へ向かうための決まり がきかい 飢えに苦しむ世界 かげぐち 本人のいないところでその人を悪く言うこと かせんねん の一人。 論議第一といわれる。 かみ 未開人が大自然に意志があると思って擬人化したもの かるだい 数々の問題を起こしながらも救われたのお弟子。 かるま 行い。 を生み出す働きがある がんじん 奈良時代、5回の失敗と失明を乗り越え、日本にを伝えた中国出身の かんたんのゆめ 人生が夢のようなものであることを教える中国の故事 かんのんぼさつ に次いで有名な。 の脇士 ぎおんしょうじゃ お釈迦さまの時代の代表的な。 祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)ともいう。 きご 心にもないおべんちゃら、ぶりっこ、媚びること きさー・ごーたみー 子供を亡くした苦しみから、に導かれ、救われた女性 きじん 死んだ人間や動物のに宮を作って祀ると鎮座して人間に禍福を与える力があると信じたもの ぎぜん 偽りの きとう 神や仏に現世利益をお願いする行為。 仏教では否定される。 きょうてん お釈迦さまの説かれた教えを書き残されたもの。 ともいう。 きょむかん 人生が無意味に感じられること。 仏教に教えられる本当のを知れば解消する。 きりすときょう イエスを救世主と認めた人はこの世の終わりの裁判で神の国へ入れてもらえるという教え きるけごーる 実存主義を創始したデンマークの哲学者 くう 一切に固定不変の実体はないこと。 が因果の道理によって解明した。 ぐそくかい のが守る決まり・男性二百五十戒、女性五百戒 ぐち ねたみ、嫉妬、うらみの心 くまらじゅう やを翻訳した けごんしゅう 華厳経にもとづき法界縁起を教えた仏教の けっこん 夫婦になること げどう に外れた教え。 大宇宙のである因果の道理に反した教え。 仏教以外の全宗教 けろん 自らの救いに関係のない議論、答えの出ない議論 げんしぶっきょう 現在のは釈迦直接の教えではないとして語源や文化を根拠に成立を研究する近代の歴史学者の推定する想像上の教え げんじょう 西遊記で有名な、唐の時代の げんしんそうず 平安時代の僧。 の著者。 上人や聖人に大きな影響を与えた。 ごいひゃっぽう 唯識で教えられる一切を構成する5つのカテゴリーの100の基本要素 ごう 行い・を生み出す働きがある。 こうかい 後から悔やむこと こうぼうだいし 空海ともいう。 中国でを授かり体系化してを開いた。 ごうん 私たちを構成している5つのもの ごかい 在家の人が守る五つの ごがつびょう やる気が起きなくなること ごくらく の世界・極楽浄土 こころのやみ か分からない心。 無明の闇ともいう。 こどく 心の拠り所がなく、こと。 仏教にはその解決が教えられている。 ごびく の最初のお弟子。 憍陳如、阿説示、摩訶男、婆提、婆沙波の5人。 さ行 仏教用語 読み方 意味 ざいせ お金や物や労力を与えること さいのかわら の河原。 親に先立った子供が石を積んではに壊されることを繰り返している。 さとり を体得すること。 全部で52段ある。 さべつ 生まれで不平等な扱いをすること・仏教は平等の教え さんがく を開く方法 さんかしょう 火の神を祀るの修行者だったウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパの3人兄弟。 千人の弟子と共にのお弟子となった。 さんく 浅い苦しみから深い苦しみまで分けられた3つの苦しみ さんげ 自分の罪やを深く受け止めて二度としないこと さんじゅじょうかい 大乗仏教で守る決まり。 大乗戒、菩薩戒ともいう。 さんずのかわ 死出の山路の後に渡る大河 さんぞうほうし インドから中国へ仏教を伝えた翻訳家 さんどく 108ののうち最も私たちを苦しめるととの3つ さんぼう あなたをにする仏宝・法宝・宝の3つの宝 さんぼういん 仏教の旗印。 仏教がであるあかし しあわせ 人が生きる目的。 安心と満足。 仏教には変わらない大安心大満足の世界が教えられている。 じかい を守ること・言行一致 しきそくぜくう 物質があるのはがそろっている間だけで固定不変な実体はないこと しくはっく 誰も避けることができない人生の8つの苦しみ じごうじとく 自分の行いが自分のを生み出すこと じごく 最も苦しみの激しい世界 しごのせかい 死んだ後生まれる世界 じさつ 仏教では自分で生き物を殺すこと。 ここでは自らの命を断つこと ししゃのしょ チベット仏教で人が死んだ時に読まれるかが教えられた書物 ししゅのぶっしん 私たちを救うために4通りに現れる仏のすがた ししゅほっしん でいわれる4通りに現れる仏のすがた しじゅうくにち 死後49日目に行われる ししょう 四通りの生まれ方をするすべての生命・その生まれ方 ししょうたい 仏教に教えられる四つの しせいかん 死に対する考え方 じぞう が現れるまでの衆生を導くようから委託された したい 仏教に教えられる四つの しちまん 7通りの自惚れ心 しばのひゆ 我が身のに対する鈍さを4通りの馬にたとえて知らせようとされた教え しっと ねたむ心・仏教では愚痴という。 しのきょうふ 自分が死ぬことに対する恐れ じひ 抜苦与楽の心 じぶんさがし 本当の自分の心のすがたを正しく知ること じゃいん 結婚相手以外と肉体関係を持つこと。 十悪の1つ じゃねーのほうそく 年をとると年齢に比例して時間が経つのが早くなるという19世紀の心理学者ジャネーの発案した法則 しゃりほつ の一人。 第一といわれる。 しゅうかつ 人生の終わりに備える活動 しゅうきょうのえらびかた 真実の宗教の判定基準 しゅうきょうのひつようせい 宗教だけにできる私たちに対する役割 しゅうじゃく とらわれること。 を別の側面から教えられたもの じゅうだいでし の代表的な10人のお弟子 じゅうにいんねん 私たちの12の迷いの元。 ともいう。 じゅうにえんぎ 私たちの12の迷いの元。 ともいう。 しゅぎょう を求める実践 じゅじゅつ 憎しみや恨みから相手を不幸にしようとする方法。 仏教では禁じられている。 しゅっけ 世俗を離れて仏弟子になること しゅぼだい の一人。 無諍第一とか解空第一といわれる。 しゅらかい 争いの絶えない世界 しゅりはんどく 何一つ覚えられなかったがを開いたブッダのお弟子。 十六羅漢の一人。 じょうざぶぶっきょう 元は仏教教団が最初に分裂した小さいほうの集団だが、現在はその一つの部派である分別説部が上座部を名乗っている。 しょうじいちにょ 生と死は表裏一体の関係にあるということ じょうじゅうえくう がそろったり離れたりして消滅と生成を繰り返すこと しょうじょうぶっきょう すべての人が救われる仏教の教えを聞き誤った、小さい乗り物のような個人重視の教え しょうじん 努力 しょうとくたいし 日本に最初に仏教を広めた人 じょうどしゅう 専修()によって救われるという仏教の じょうどしゅうとじょうどしんしゅうのちがい のお弟子によって開かれた浄土宗と浄土真宗の違い じょうどしんしゅう はで称えるであるための信心一つで救われることを明らかにした仏教の しょうもん 教えを聞いてを目指す小乗仏教の人 しょきぶっきょう 現在のは釈迦直接の教えではないとして語源や文化を根拠に成立を研究する近代の歴史学者の推定する想像上の教え しょぎょうむじょう この世の一切は移り変わって行くという じりき 「自分の力」ではなく「自分の力で助かろうとする心」 しんごんしゅう と一体になって即身成仏しようとする仏教の。 ともいう。 しんじん 何かを心で信じること。 になるには捨てなければならないがある。 しんとう 現世利益を祈る民俗宗教 しんに 怒りの心 しんらん の宗祖。 を必要とせず、すべての人が救われる仏教を明らかにした。 しんり いつでもどこでも変わらないこと。 仏教ではすべての人が本当のになれるを教えられている。 すいせいむし のとりこになって酔ったように生き、夢のように消えてしまう すぴりちゅあるぺいん よく死が迫ったとき起きる人生の意味が分からない苦痛 せいざうらない 星座つまり生年月日からを知ろうとするもの。 仏教では禁じられている。 せいしゅく 星座のこと。 は仏教では禁じられている。 せっしょう 生き物を殺すこと。 に堕ちる行い せっせんどうじ お釈迦さまの過去世のの姿 ぜんしゅう 先生からの以心伝心でを伝えようとする仏教の ぜんじょう 心をしずめること せんぞくよう 先祖が死んで苦しんでいるだろうから楽にしてあげようとする行為。 仏教の教えではない。 そうしき 死んだ人を葬る儀式 ぞうどくのぜん 毒まじりの、でやる。 人間のやるの代名詞 そうりょ 仏道を求め、伝える仏弟子 そんざいいぎ 自分が生きている意味 た行 仏教用語 読み方 意味 だいかしょう の一人。 頭陀第一といわれる。 たいかん あきらかにみる。 を明らかに見ること だいじょうかい 大乗仏教で守る決まり。 菩薩戒ともいう。 内容は三聚浄戒 だいじょうひぶっせつ は釈迦の説かれたものではない、という説 だいじょうぶっきょう すべての人が救われるお釈迦さまの教えを正しく伝えた大きな乗り物のような仏教の教え だいじょうぶっきょうのきげん 救いに関係のない歴史学者の戯論 だいにちにょらい 三蜜加持ができる人を即身成仏させる仏 だいばだった のいとこで、の命をつけねらった仏教最大の極悪人 たなとふぉびあ 死恐怖症ともいう。 居ても立ってもいられないほど だらいらま チベット仏教の指導者でかつチベットの君主 たりきほんがん 他人の力に頼るというのは誤用。 私たちを永遠の幸福に救うの本願の力 だるま 中国のの祖師。 菩提達磨ともいう。 インドから中国にを伝えた。 だんけん 死後は無になるという考え方 だんそんじょひ 男性より女性を下に見て権利を制限する女性差別 だんな をする人 たんいしょう 日本で最も読まれている仏教書。 聖人の言葉を弟子が書き残したもの。 ちえ をハッキリ知るの力。 の一つ ちくしょうかい 動物の世界 ちべっとぶっきょう チベットを中心として、ネパールやブータン、モンゴルに広まっている仏教の宗派 ちゅうとう 他人のものを盗むこと。 ちゅうねんのきき 人生の中頃、自分の人生を問い直し、に思い悩むこと。 ミッドライフクライシスともいう。 てら 仏教を聞く聞法会場。 が住む。 てーらわーだぶっきょう 上座部仏教の一部派である「分別説部」が上座部を名乗ったもの てんじょうかい 天人や神々の世界だが迷いの世界の一つ てんじょうてんがゆいがどくそん 大宇宙広しといえども我々人間だけにただ一つの尊い使命があるということ てんだいしゅう 一心三観によって即身成仏しようとする仏教の とうじょうひでき 太平洋戦争時の首相。 巣鴨刑務所で聞法し、絶対の幸福の幸福に救われた。 どくやのたとえ 自らの救いに関係のない議論を教えられたたとえ どろぼう 他人のものを盗むこと。 仏教では偸盗という。 とんよく 欲の心 な行 仏教用語 読み方 意味 なむあみだぶつ どんな人の苦しみ悩みの根元も絶ちきる働きを六字に表したもの。 名号ともいう。 なんだ の異母弟。 十六羅漢の一人。 なーがーるじゅな とも言う。 八宗の祖師と仰がれる仏滅後700年のインドの僧。 空を因果の道理によって解明し、大乗仏教を基礎づけた。 にるゔぁーな 涅槃のこと。 のなくなった最高のの境地 にちれんしゅう 釈迦の一切経では助からないとして一切経にない日蓮の造語「南無妙法蓮華経」で助かろうとする教え にまいじた 仲のいい人の間を裂いて仲が悪くなるようなことを言うこと。 離間語 にんにく 忍耐 ねはん のなくなった最高のの境地 ねんぶつ と称えること のろい 憎しみや恨みから、相手の不幸を願うこと は行 仏教用語 読み方 意味 はか 主として明治政府が家制度を作った政策に由来する一家の象徴。 仏教にはない。 はかまいり 墓へ行って先祖供養をする儒教由来の東アジアの習慣。 インドにも仏教にもない。 はっしき 私たちの八つの心 はっしょうどう を目指す8つの はなまつり お釈迦さまのお誕生日、4月8日 ばらもんきょう 仏教以前のヒンドゥー教に西洋の学者がつけた名称 はんにゃしんぎょう 正式には『般若波羅蜜多心経』と言う。 般若経の核心を簡潔に説き明かされた ひがん の。 春分の日と秋分の日に行う仏教行事 ひんどぅーきょう への儀式を中心としてカースト制度などの社会規範を教えるインドの民俗宗教 ふあん 心配や気がかり。 仏教には不安の根元と消す方法が教えられている。 ふしぎ 想像もできないこと ふじょうり 意味のないこと。 哲学では、世界や人生の意味を知りたいのに見いだせないこと。 仏教ではわかる。 ふせ お金や物や労力を与えること、仏教の話をすること ぶっきょうがく 仏教の学問。 伝統的な仏教学と西洋由来の仏教学の二つある。 ぶっきょうのおしえ お釈迦さまの説かれた教え ぶっきょうのかいそ 仏教を開かれた方。 お釈迦さま ぶっきょうのしゅうは お釈迦さまの説かれた七千余巻のの理解の違いによって分かれている色々の流派 ぶっきょうのしゅうはのちがい 現在も残る仏教のの教えの一覧 ぶっきょうのしゅうはらんきんぐ 現在も残る仏教のの仏教の目的を基準としたランキング ぶっきょうのだいがく 仏教を教える大学。 現在のは西洋の文献学に基づく歴史学なので仏教の救いはない。 ぶっきょうのとくちょう 仏教と他の宗教の違い ぶっきょうのほん 仏教の本はどうあるべきか ぶっきょうのまなびかた 現代日本で仏教を学ぶ各種の方法とその功罪 ぶっきょうのれきし インドで説かれた仏教が日本へ伝えられるまでの経緯 ぶつじ 仏教の行事 ぶつぞう 石や木、金属で仏やをかたどった立体像 ぶっだ 目ざめた人。 を開かれた人。 お釈迦さま ふりん 結婚相手以外と肉体関係を持つこと。 仏教では重い罪とされる。 ふるな の一人。 説法第一といわれる。 ほうじ 仏教の行事 ほうせ 仏教の話をすること ほうねん の宗祖。 法然房源空ともいう。 平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した。 ほうふく やられたらやり返すこと。 仏教の教えに反する。 ほうべん 変わらない幸せに導くために必要不可欠なもの ほうみょう 生きているときにに救われ真の仏弟子になったときの名前 ほけきょう 諸経の王といわれ、が拠り所とする ぼさつ 薩埵(ぼだいさった)の略で、真実の仏教を求める人 ぼさつかい の守る決まり。 大乗戒ともいう。 内容は三聚浄戒 ほしうらない 星座つまり生年月日からを知ろうとするもの。 仏教では禁じられている。 ぼだい ぼだいしん を求める心・仏教を聞きたい心 ほっかいえんぎ 華厳宗で教えられるの世界 ほっそうしゅう 五位百法を教え、すべてのもののすがたを明らかにしようとする仏教の ほとけのさとり 低いものから高いものまで全部で52あるの最高のさとり ぼんのう 私たちを煩わせ悩ませるもの。 全部で108ある。 ぼんのうそくぼだい がそのまま喜びに転じる仏教に教えられる究極の ま行 仏教用語 読み方 意味 みっきょう と一体になって即身成仏しようとする教え みっどらいふくらいしす 人生の中頃、自分の人生を問い直し、に思い悩むこと。 中年の危機ともいう。 みぶんさべつ 生まれで身分や階級を決めて不平等な扱いをすること・仏教は平等の教え みょうこうにん 仏教の教えによって救われた人 みろくぼさつ に最も近いを開いている有名な むが 固定不変な私は存在しないこと むけんじごく 最も激しい苦しみの世界。 ともいう。 むなしさ 人生で何をすれば満足できるか分からないところから来る何をやっても無意味な感覚 めいそう を得るための めいどのたび 死んだ後行き先が決まるまでの旅路 めめんと・もり 「必ず死ぬことを忘れるな」という意味の西洋に古くから伝わるラテン語の格言 もうきふぼくのたとえ 人間に生まれる難しさを教えられたたとえ もうご 事実と異なることを言うこと もくれん の一人。 神通第一といわれる。 や行 仏教用語 読み方 意味 らーふら の子供での一人。 子供のうちにし、史上初の沙弥となった。 密行第一といわれる。 りかんご 仲のいい人の間を裂いて仲が悪くなるようなことを言うこと。 二枚舌 りゅうじゅ ナーガールジュナとも言う。 八宗の祖師と仰がれる仏滅後700年のインドの僧。 空を因果の道理によって解明し、大乗仏教を基礎づけた。 りょうかん 江戸時代後期の僧。 ひょうひょうとしたをしたが最後はの救いを求めた。 りょうぜつ 仲のいい人の間を裂いて仲が悪くなるようなことを言うこと。 二枚舌。 離間語 りんねてんしょう 車の輪が回るように迷いの世界に繰り返しこと。 れいこん 人間や動物の死後変わらず続く魂。 仏教では認めない。 れぞんでーとる 自分が生きている意味・ ろくどうりんね 、、、、人間、の6つの迷いの世界に車の輪が回るように繰り返しこと ろくどまんぎょう あらゆるをまとめられた6つの・ ろくはらみつ あらゆるをまとめられた6つの・六度万行 ろくよう 大安や仏滅など日の善し悪しが人間のに影響するとする迷信 わ行.

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整形美人になったけど、年を取るとどうなるの?対策は?

しゅう けい きょう ふ しょう 整形

大乗仏教中の密教の日本での。 中国密教をが806年に伝え,816年開創のころ宗派として独立した。 の伝統はの金剛薩【た】 こんごうさった が大日如来()の教えを受け継ぎ,竜猛 りゅうみょう ()・金剛智を経て中国に伝わり,不空・恵果 けいか を経て空海に伝わった。 根本経典は《大日経》と《金剛頂経》で両部大経という。 ほかに竜樹・恵果・空海の著作も重視する。 教義は人間の日常の言語を離れ,真言(サンスクリットのマントラmantraまた陀羅尼 だらに ,仏の真実の語)を直接聞くことを目的とし,修行としては観想を重視し,金胎 こんたい 両部の を建て,即身成仏が本旨である。 空海は金剛峯寺と教王護国寺()を根本道場とし(),平安時代を通じて教勢は振るい,教理,儀式,仏教芸術上での各方面への影響は大きかった。 平安末期に かくばん が自性加持身説を唱えて,高野山・東寺側と分裂し,宗が生れた。 これはのち(長谷寺)と()に分かれた。 新義真言宗に対し従来のものをと称し,高野山真言宗,真言宗山階 やましな 派,真言宗醍醐 だいご 派,真言宗,真言宗泉涌寺派など約30派に分かれる。 開祖は空海(弘法大師 こうぼうだいし )。 中国の唐代における密教を、平安初期に空海がわが国に伝えて一宗として開いたもの。 真言はマントラmantraの訳で、教主大日如来 だいにちにょらい が説いた真実のことば。 類語に陀羅尼、明呪 みょうしゅ 、呪 しゅ 、密言 みつごん などがある。 真言の教えを中核とする意味で宗名としたもの。 [宮坂宥勝] 歴史インドでは4世紀ころから除災招福のいわゆる雑部密教 ぞうぶみっきょう の経典が盛んに行われ、4~6世紀のグプタ朝全期を通じて、仏教における儀礼儀式、真言、印契 いんげい 、曼荼羅 まんだら などが発達し、7世紀ころ『大日経 だいにちきょう 』『金剛頂経 こんごうちょうぎょう 』の両部の経典が相次いで成立し、組織的、体系的な密教が完成した。 この両部の密教は8世紀なかばころ、善無畏 ぜんむい (シュバカラシンハ)、金剛智 こんごうち (バジラボディ)、不空 ふくう (アモーガバジュラ)によって唐へ伝えられ、密教の最盛期を迎えた。 9世紀の初め、空海が入唐 にっとう して、長安(現在の西安)の青龍寺 せいりゅうじ 東塔院の恵果 けいか から大日・金剛頂両部の密教を授かり、帰国後に独自の立場から真言宗を開いた。 密教の相承 そうじょう は二つある。 空海は帰国後、京都・高雄山寺 たかおさんじ に住し、その後、高野山 こうやさん を修行の道場として開創し、また根本道場として嵯峨 さが 帝から東寺(教王護国寺)を給預 きゅうよ された。 彼は真言宗の宣揚に努め、幅広く社会的、文化的活動を多方面にわたって展開した。 空海の十大弟子のうち実慧 じちえ は東寺の、真然 しんぜん は高野山金剛峯寺 こんごうぶじ の発展に努めた。 その後、益信 やくしん (本覚大師 ほんがくだいし )と聖宝 しょうぼう (理源大師 りげんだいし )によって密教の法流は継承され、益信の弟子の宇多法皇 うだほうおう は仁和寺 にんなじ を開山した。 聖宝は醍醐寺 だいごじ を開山し、また大和 やまと (奈良県)金峯山 きんぷせん に登って修行し、修験道 しゅげんどう の中興の祖と仰がれる。 聖宝の弟子観賢 かんげん は醍醐帝に奏上し、空海に弘法大師の諡号 しごう を賜った。 皇室・貴顕の帰依 きえ が多くなり、造寺・造像・写経などとともに修法 しゅほう も盛んに行われ、実修面(事相 じそう。 東密)の分派が始まった。 益信の流れをくみ京都・広沢 ひろさわ に遍照寺 へんじょうじ を建てた寛朝 かんちょう の広沢流、聖宝の流れをくみ京都・小野に曼荼羅寺 まんだらじ を建てた仁海 にんがい の小野流に分かれ、それらを野沢二流 やたくにりゅう という。 のちにそれぞれ6流に分かれたので、野沢十二流、その後さらに分派して鎌倉時代には東密三十六流を称した。 高野山は大師入定 にゅうじょう の聖地、高野山浄土の信仰の山として栄えたが、一時衰微した。 1016年(長和5)定誉 じょうよ が復興し、このころ藤原道長・頼通 よりみち 父子が登山し、また院政期には白河 しらかわ 、鳥羽 とば 両上皇の登山、帰依を受けた。 140年後、頼瑜 らいゆ 、聖憲 しょうけん らが根来寺大伝法院の教学を確立したので、のちに覚鑁系を新義派、伝統的な教学を古義派というに至った。 覚鑁は高野山教学の中興の祖、新義派の祖師と仰がれる。 鎌倉初期、高野山に覚海 かくかい が出、門下の道範 どうはん 、法性 ほっしょう らは高野の八傑といわれた。 また、栄西 えいさい の高弟の行勇 ぎょうゆう は高野山に金剛三昧院 こんごうさんまいいん を建てて禅風を伝え、法然 ほうねん (源空)の高弟明遍 みょうへん は蓮華三昧院 れんげさんまいいん を建てて称名念仏 しょうみょうねんぶつ を広めた。 また重源 ちょうげん は新別所を開いて浄土念仏の拠点とした。 このように高野山は諸宗を包容し、真言宗の教学を豊かなものにした。 鎌倉時代には新義派は関東方面に広まり、また奈良・西大寺 さいだいじ の叡尊 えいぞん は真言律宗の一派を開いた。 彼は社会活動を進め、多くの人々に救済の手を差し伸べたことでも知られる。 室町時代に長覚、宥快 ゆうかい が高野山の教学を大成した。 東寺では頼宝 らいほう とその弟子の杲宝 ごうほう 、また賢宝 けんぽう が出て、大いに教学を盛んにした。 しかし1585年(天正13)3月、豊臣秀吉 とよとみひでよし は根来寺を攻撃して壊滅させた。 時の学頭の専誉 せんよ は難を避けて大和 やまと (奈良県)長谷寺 はせでら に移り、同じく玄宥 げんゆう は京都(後の東山七条智積院 ちしゃくいん )に移って、それぞれ新義真言宗を再興した。 これが新義真言宗の豊山派 ぶざんは と同智山派 ちさんは の始まりで、専誉、玄宥はそれぞれその派祖と仰がれる。 秀吉は木食応其 もくじきおうご の説得で高野山攻撃を中止し、かえって高野山の再興を援助したので、木食は復興に努め、青巌寺 せいがんじ と興山寺 こうざんじ を建てた。 江戸初期には頼慶 らいけい が高野山諸法度の制定に協力した。 江戸時代全期を通じて高野山には山史の編集でみるべきものが多く、多くの学匠を輩出したが、とくに京都・智積院に運敞 うんしょう 、長谷寺に亮汰 りょうたい が出て並び称された。 豊山派の法住 ほうじゅう ・快道 かいどう ・戒定 かいじょう を天明 てんめい の三哲という。 このほか、江戸霊雲寺 れいうんじ の浄厳 じょうごん 、河内 かわち (大阪府)高貴寺 こうきじ の飲光 おんこう (慈雲尊者 じうんそんじゃ )のように梵学 ぼんがく を研究し、戒律復興に努めた人々もいる。 契沖 けいちゅう は真言僧で国学研究に先鞭 せんべん をつけた。 なお、鎌倉初期以来、高野聖 こうやひじり が高野山の信仰を広め、堂塔伽藍 がらん の復興のため全国を勧進 かんじん して歩いたことも特記すべきであろう。 [宮坂宥勝] 教理・実修『大日経』『金剛頂経』を根本所依の経典とし、これに『蘇悉地経 そしつじきょう 』『瑜祇経 ゆぎきょう 』『要略念誦経 ようりゃくねんじゅきょう 』を加えて五部秘経という。 常用経典は『般若理趣経 はんにゃりしゅきょう 』。 また『釈摩訶衍論 しゃくまかえんろん 』『菩提心論 ぼだいしんろん 』『大日経疏 しょ 』『金剛頂経義訣 ぎけつ 』などの論書、空海著作の『十住心論 じゅうじゅうしんろん 』『秘蔵宝鑰 ひぞうほうやく 』『弁顕密二教論 べんけんみつにきょうろん 』『即身成仏義 そくしんじょうぶつぎ 』『声字実相義 しょうじじっそうぎ 』『吽字義 うんじぎ 』『般若心経秘鍵 はんにゃしんぎょうひけん 』を依用する。 空海密教の立場では顕教と密教とを弁別し、また心の発達段階、修行の向上過程を十住心体系で明らかにする。 教理的な面を教相 きょうそう 、儀式・作法などの実修的な面を事相 じそう といい、両者は不可分の関係にある。 教相は、本体論(六大)、様相論(四曼 しまん )、活動論(三密)に分けられる。 本体論では万有一切 いっさい は地・水・火・風・空・識の六つの粗大な要素(六大)からなり、これらによって象徴された仏身を六大法身 ほっしん といい、すなわち大日如来の存在である。 全宇宙は六大から構成されているので、個別的な存在はすべて大日如来と本質的には同一であるとする。 様相論の立場からはすべてを曼荼羅ma alaとする。 曼荼羅は輪円具足 りんねんぐそく の意味があり、大日如来を中心とし、その顕現としての仏菩薩 ぶつぼさつ など諸尊の集合した宇宙的統合体として表現される。 曼荼羅は全体的世界像として諸尊を表現したもの(大曼荼羅)、象徴的世界像として諸尊の持物を表現したもの(三昧耶曼荼羅 さんまやまんだら )、言語的世界像として諸尊を示す種子 しゅうじ (梵字)を表現したもの(法曼荼羅)、活動的世界像として諸尊の動作または材質を表現したもの(羯磨曼荼羅 かつままんだら )があり、これを四種曼荼羅 ししゅまんだら という。 なお、曼荼羅には『大日経』による胎蔵曼荼羅 たいぞうまんだら と、『金剛頂経』による金剛界曼荼羅とがある。 前者は理法・平等相、後者は智慧 ちえ ・差別相を表す。 両者は二にして一者であるとみる。 活動論によると、大日如来の身体(行為)・言葉・意 こころ の秘密のはたらき(三密)は、そのまますべての生けるものが本来具有する。 そこでこれを開発するためには、まず悟りを求める心をおこし、日常の生活倫理の実践を前提として、手に印契 いんげい を結び、口に真言を唱え、心を仏の悟りの境地に置けば、如来と自己の三密は合一して、この身さながらに現世で悟りを得、自己がすなわち仏として実現されるとする。 これを有相 うそう の三密といい、日常生活の起居動作、言語、精神活動がすべて三密の実践にかなうとき、これを無相の三密という。 有相の三密は事相の基本となり、具体的には受戒得度、四度加行 しどけぎょう 、護摩 ごま 、灌頂 かんじょう をはじめ、諸尊の供養法、諸種の行法など多岐にわたる。 空海密教は、現世において悟りを得て宗教的な最高の人格を完成する即身成仏、すべての人々を導き救う済世利民 さいせいりみん をもって眼目とする。 [宮坂宥勝] 現状明治初年以来、分立、併合を繰り返し、第二次世界大戦中に一時合同して大真言宗になったが、戦後ふたたび分派し、現在は、高野山真言宗(金剛峯寺)、真言宗御室派 おむろは (仁和寺)、同醍醐派(醍醐寺)、同大覚寺派 だいかくじは (大覚寺)、同東寺派(東寺系末寺)、東寺真言宗(東寺)、真言宗山階派 やましなは (勧修寺 かじゅうじ )、同泉涌寺派 せんにゅうじは (泉涌寺)、同善通寺派(善通寺)、同智山派(智積院)、同豊山派(長谷寺)をはじめ48派がある。 真言陀羅尼宗とも称する。 高野山を開いた空海を祖とする。 大日経、金剛頂経、蘇悉地経などに拠り所を求め、胎蔵と金剛の二部を立て、真言呪法の加持力で即身成仏を期するのが本旨。 インドで大日如来が金剛薩埵に伝法や灌頂を授け、金剛薩埵はこれを龍樹(龍猛)に授け、次いで龍智、善無畏、金剛智にと伝授されて、やがて唐に伝えられた。 唐では不空が大成しその高弟の恵果が極意奥義を受けたが、空海は入唐してこれを青龍寺で恵果に学んだ。 空海は大同元年( 八〇六)に帰朝し、京都の教王護国寺(東寺)、和歌山県の高野山を開き、純密教両部を広め、はじめて独立の一宗派とした。 この宗は大日如来を本尊とし、六大・四曼・三密の体相用の三大円融を説き両部曼荼羅を建立し、即身成仏を教旨とする。 後世、多くの流派に分かれたが、特に覚鑁 かくばん の教えを新義真言宗という。

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