ひな 天気 の 子。 天気の子のひなに父親がいない理由はなぜ?離婚したのかについて解説

【天気の子】あらすじネタバレと感想!『君の名は。』瀧・三葉など新海キャラも登場!

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天気の子・ラストシーンの意味を考察! 陽菜が最後に祈っていたのはなぜ? そういえば天気の子でイマイチ消化できてないところがあるんだけど最初と最後の陽菜さんの祈りって何を祈ってんだろう???— 誠 soa0831 天気の子のラストシーン。 最後に帆高が水没した東京を訪れ、ついに陽菜と再会することができますよね。 しかし帆高が陽菜を見つけた時、陽菜は晴れ女ではなくなったはずなのに相も変わらず空に祈っていました。 なぜ陽菜はこの時祈りを捧げていたのか? 気になるとの声がSNSでも多数あがっていました。 まず前提として、 陽菜が天気の子としての晴れ女の力を失っているのは確実です。 こちらの記事でも解説しましたが、 関連記事 ・ 陽菜のつけているチョーカーは母の形見で晴れ女の象徴としても扱われており、それがラストに帆高と戻ってきた際に壊れています。 作中では幾度となく「陽菜が空とつながっている」という表現がされていましたが、チョーカーが壊れたのは空とのリンクが切れたことも暗示しています。 さらに言えば、仮に天気の子としての力がまだ残っていたなら、帆高と再会する前のあの瞬間だけでなく、陽菜は何度となく晴れを呼ぼうとしていたでしょう。 そうすると東京が2年半止むこと無く雨が降り続いていたとする描写はおかしいです。 つまり陽菜は自分に力はなくなったことは分かっていつつも、自分のせいで降り続いてしまっている雨に責任を感じて毎日祈りだけでも捧げていたのでしょう。 「ナゾロジー」の天気の子考察、まあ面白かった。 まあ、童貞臭い(私の意見じゃないよ。 」と語っていました。 つまり• 最後のシーンで陽菜はやはり天気の子としての力は失っている• 祈っていたのは、力を失っていながらも晴れへの祈りだけは続けたいという気持ちがあったから ということだったのでしょう。 陽菜の性格だったら、無駄かもしれなくともひたむきに祈りを捧げ続けていただろうなと思ってしまいます。 ラストのセリフ「大丈夫だ」の意味はRADWIMPSの曲とリンクしていた 帆高のラストのセリフ、「陽菜さん、僕たちは、大丈夫だ。 」にはどんな意味が込められていたのでしょうか。 このセリフの意味は、エンディングテーマの「大丈夫」から着想を得たことが、 原作小説のあとがきにて新海誠監督とRADWIMPSの野田さんの口から語られていました。 そもそも新海誠監督はこのラストシーンだけが思いつかず、ずっと悩んでいたそうです。 そんな時話にあがったのが、 制作初期にメロディも歌詞もメッセージ性が強すぎるとして不採用としていた曲、「大丈夫」でした。 野田さんとの話の中で「大丈夫」の歌詞を再び目にした新海監督は衝撃を受けたそうです。 「全てここに書いてあるじゃないか!!」 僕はほとんど歌詞から引き写すようにしてラストシーンのコンテを描き、一年前に届いていた曲をそこに当てた。 果たしてそうして見れば、それ以外は他に在りようもない、それがこの物語のラストシーンだった。 出展 天気の子原作小説 そこからはとんとん拍子にラストシーンが出来上がったとのことですが、ここで大丈夫の歌詞の一部を見てみましょう。 世界が君の小さな肩に乗っているのが僕にだけは見えて泣き出しそうでいると 「大丈夫?」ってさぁ 君が気づいてさ 聞くから 「大丈夫だよ」って僕は慌てて言うけど なんでそんなことを言うんだよ 崩れそうなのは君なのに (中略) 君を大丈夫にしたいんじゃない。 君にとっての「大丈夫」になりたい。 前半部分の歌詞は物語の中盤までの帆高の気持ちだと思います。 「世界が君の小さな肩に乗っている」のは 陽菜が天気の子・晴れの巫女だった頃のことだと思うので。 そして後半の締めの歌詞がラストシーンの大丈夫に繋がっている歌詞ですね。 実際にラストシーンでも帆高は陽菜に大丈夫?と聞かれています。 陽菜「帆高っ、どうしたの?大丈夫?」 帆高「え?」 陽菜「君、泣いてる」 自分の両目から雨のように涙が溢れていることに、僕は気づく。 君はなんて尊いのだろう、自分だって泣いてるのに。 出展 天気の子原作小説 でもこのラストシーンの帆高はもう今までの泣いてるだけの帆高じゃないんですよね。 「君にとっての大丈夫になりたい」 陽菜への想いとともにこの気持ちが確信へと変わっていたラストの帆高は、ラストシーンでようやく陽菜へ向かって自信を持ってこう言えたのではないでしょうか。 最後のこのセリフは背が伸びたという外見上の変化だけでなく、帆高という主人公が この物語を通して成長した内面を示した表現でもあったのだと思います。 まとめ 今回は天気の子の劇中で深くは語られなかったラストシーンについてその裏に込められた意味を紐解いてみました。 制作側の意図は• 原作小説でのあとがき• RADWIMPSの歌詞「大丈夫」 に込められていました。 興味のある方はこちらの全文もぜひ覗いてみてください。 最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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[割とネタバレ注意]天気の子を見て・あらすじと感想・新海誠の主張を探る

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(瀧と三葉を忘れちゃった!という方は事前に で確認してから映画を見に入ったほうがいいです!) で、内容も素晴らしかったんですけど、作中で驚いたのが ヒロイン陽菜(ひな)の家が田端駅だったこと! 天気の子、田端でバタバタしてた — ポポいち ootukikenji ネタバレになるので多くは言いませんが予報でも出てきた重要な場面です。 既に他にも巡礼者がいらっしゃいました(カップル多し💦) 代々木会館が解体工事に入ってしまうと、ここが君の名は。 の須賀神社に当たる最重要聖地になるのかもしれませんね。 今日は公開初日ということで、まだ人はおりませんでしたので、さっそくパシャパシャと画像を取ってきてしまいました。 陽菜(ひな)の家の場所は田端駅南口! 主人公の帆高(ほだか)が陽菜の家を訪ねるシーンがありますが、それがこの 田端駅の南口です。 山手線とは思えない小さな駅ですが、実は山手線と京浜東北線が合流する結構便利な駅だったりするんですよ。 駅を出るとすぐに坂道がありますが、ここがまさに陽菜と帆高が会話を交わしたり、陽菜が祈りを捧げたり、ラストシーンで再開する場面に使われた場所です! 坂を上がったところから見るとこんな感じですね。 わきにはアジサイの花が咲いています。 めちゃくちゃ良かったですよ😭 作中、あの二人もサプライズ出演してるから新海ファンは必見です・・・! 帰りに軽く聖地巡礼してきました。 ここどこかわかるかな?? — さとやん ゆとリッチを目指す人 satoyanbiz フェンス越しに駅の反対側を見ると「マルエツ」と「あみ印」の看板も見えます。 ちょっとわかりづらいかもしれませんが、左の奥にあみ印、右の奥にマルエツのオレンジと緑のマークが見えると思います。 このあたりも作中ではしっかりと描かれていて、さすが新海作品は再現性抜群です! 向きを反対に変えると現れるこちらの階段も、ひなの弟のなぎが駆け下りてくるシーンで登場しましたね。 何を言って降りてきたか忘れちゃいましたけど、確かにここも使われていたと思います。 地元住民が反対した看板がありますが、これはたぶん描かれていなかったと思いますね。 で、坂道を上がって少し歩くと現れるこちらのアパート。 陽菜のアパートにちょっと似てる気がしたのですが、これは気のせいかも・・・。

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【天気の子】陽菜(ひな)の家と坂道の場所は田端駅南口!【聖地巡礼】

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天気の子の小説を読もうと思ったわけ 映画には、見るだけで単純に楽しめる作品と、考察を楽しめる作品がありますよね。 新海監督の作品はどちらにも当てはまりますが、後者の考察を楽しんでいるファンもたくさんいます。 また、『君の名は』。 もそうでしたが、新海監督自身が小説を書かれているので、• 映画には描かれていない情報があるのではないか?• 小説だとどのような表現になるのか? など映画とあわせて小説を読むのも楽しみの一つでもあります。 今回も、天気の子の小説を期待して手に取りました。 また、初版は新海監督のサイン付き、ということで、発刊後、すぐに書店へ直行しました^^ というわけで、 天気の子の映画をより深く理解したい!という思いで小説を読みましたので、天気の子の読書感想文とあらすじを書いていきます。 天気の子のあらすじ 天気の子の主人公は高校一年生のほだかという男の子で、光が差す空を見ながら、いつも「 あの光のところへ行きたい!」と願っていました。 ほだかにとって光のある場所とは東京だったので、高校一年のある夏の日、家出をし、フェリーに乗って東京へ向かいます。 フェリーの甲板で海に投げ込まれそうになった時、中年男性に助けられました。 その男性は、須賀圭介といい、東京でライターの事務所を経営していました。 ほだかは念願の東京へやってきましたが、アルバイトは見つからないし、所持金は減る一方だし、怖い大人に出くわしたりして「東京って怖え」が口癖になるほどでした。 考えた末、須賀の会社を訪ね、雑用やライターとして住み込みで下働きをすることになりました。 ある日、同世代のひなという女の子に出会います。 ひなにはアルバイトが必要なことと不思議な能力を持っていたので、二人は一緒にビジネスをはじめることにしました。 そのビジネスとは、天気を晴れにするという不思議なものでした。 ひなは雨が降っている空を晴れにすることができる不思議な能力を持つ晴れ女だったのです。 ネットでビジネスを始めると、天気を晴れにして欲しいという依頼がどんどん入ってきて、ひなもよろこぶ人の顔を見るのがうれしくて、晴れ女の仕事を楽しんでいましたが、体に異変が出てきました。 ある日、ひなは 晴れ女には宿命があることを、須賀とほだかの事務所で働く夏海という女性から知らされます。 ひながテレビに映ったことで、仕事の依頼が殺到したことから、最後の依頼を終えたら休業することに決めました。 最後の晴れ女ビジネスを終えて、ほだかとひながアパートへ帰宅すると、警察がやってきて、ほだかに両親から行方不明届けが出ていること、ひなは小学生の弟と二人暮らしだったので、児童相談所から人がくることを聞かされ、3人は離れ離れになりたくない一心で、大雨の中アパートを後にします。 土砂降りの雨の中、やっと泊めてくれるホテルを見つけた3人は、楽しい時間を過ごし眠りにつきました。 翌朝目覚めると、昨夜の楽しかった時間は終わったのです。 というのも、警察がやってきて、ほだかは連行され、ひなの弟の凪は児童相談所へ保護されましたが、ひなはどこにもいませんでした。 昨夜身に付けていたバスローブだけが抜け殻のようにベットにあるだけでした。 東京の空は昨夜の大雨がウソだったように晴れわたっています。 ほだかは、ひなが消えたことと快晴になったことで、ひなが空へ行ってしまった・・・。 ひなが消えたことで、雨が止んで晴れになったのだとすぐに気づき、探しに行こうとします。 ほだかは警察署に連れて行かれましたが、刑事に、「必ず戻ってくるからひなを探しに行かせてほしい。 」と何度も必死にお願いしますが、刑事たちは(当たり前ですが)認めません。 ついに、警察署の取調室へ連行された時、刑事たちの一瞬スキを察知して、ほだかは脱走します。 タイミングよく、夏海が愛車のスーパーカブに乗ってやってきたので、ほだかは後ろにまたがり、ひなが晴れ女になった廃墟ビルの屋上を目指します。 途中から山手線の線路を走り、どうにかたどり着きますが、そこに須賀がやってきて、「一緒に警察へ行こう、今ならまだ間に合う。 」と説得され、屋上へ行くことができません。 二人が言い争っていると警察がやってきて、ますます屋上へ行くことがむずかしくなってきました。 その時、凪がやってくると、「姉ちゃんを返せ」と叫び、ほだかを屋上へ行かせようと刑事へ飛びかかります。 その様子を見ていた須賀は、ついさっきまで、ほだかに警察署へもどるように説得していたのに、警察へ殴りかかり、ほだかを屋上へと行かせます。 — パピマル bRt80HCJ8E6x9ox 屋上へたどり着いたほだかは、鳥居をくぐると空高く舞い上がり、ひなの名前を叫び探します。 すると、ひなの耳にほだかの声が届いて、二人は再会できました。 ほだかが、「一緒に帰ろう!」と言うと、ひなは、「自分が戻ったら雨になる・・・。 」と言います。 そんなひなに、ほだかは怒鳴り、• ひなはもう晴れ女なんかじゃない• 二度と晴れなくてもいい• 青空よりひながいい• 天気なんて、狂ったままでいいんだ! と言うと、ひなの手をつかみます。 互いにきつく手をにぎり合うと、ほだかは、「 自分のために願って」と言い、うなずくひな。 きっと大丈夫 — ヘイン animehyein 目がさめると廃墟ビルの屋上にいて、ひなはまだ目覚めていませんでしたが、ほだかは警察署へ連行され、ひなは別の場所へ保護されました。 ひなが地上へ戻ってきたことで、さっきまで晴れ渡っていた空が雨に変わり、それからずっと雨が降りつづけ、東京の一部は水没してしまいます。 ですが、3年後に東京へ上京した時に、水没したところは、もともと海だったので、昔に戻っただけだ、と以前、晴れ女ビジネスに依頼をしてきた老女に教わります。 ほだかは、 自分たちが世界を変えてしまったと責任を感じますが、須賀は「 ほだかたちの責任ではない。 世界なんて変わらない。 うぬぼれるな。 」と言います。 ほだかは地元へ戻り、二人は離れ離れに暮らしていましたが、高校を卒業後、ほだかは東京の大学へ進学するため上京すると、再会します。 二人が3年ぶりに再開した時も、雨はふり続けていましたが、 どんなに雨に濡れても、世界が変わったとしても、僕たちは生きていく。 と強く心に決めて「僕たちは大丈夫だ。 」とひなに言いました。 スポンサーリンク 天気の子の感想 前作の『君の名は。 』が世界的に大ヒットしたこともあり、天気の子へ期待する声は多かったはずですし、新海監督自身、かなりのプレッシャーがあったと思いますが、それらをはねのけるほどの作品だと思いました。 天気の子は、 世間 の目なんか気にしない、世界を敵に回しても自分の素直な気持ちに従って行動するほだかそのものの作品です。 実際、新海監督はインタビューで、『君の名は。 』は賛否両論あって、ネガティブな感想や意見をたくさん見聞きした。 けど、天気の子では、批判なんて気にせず作った。 と語っていましたが、監督のこの気持ちがそのまま作品になっていると感じました。 ほだかは天気にこだわっていなかった 日常的生活で、何も考えないで行動したことが大きなことになることってありますよね。 天気の子では、ほだかの行動で描かれています。 ほだかは、特別晴れにこだわっていないのに、ひなに、「晴れた方がいい?」と聞かれて、何も考えずに「うん」と言ってしまします。 ほだかも雨より晴れがいい、と思ったひなは、まだこの世にいたいと思っていたけど、この世から消えることに少し踏ん切りがつきます。 ひなが消えてしまうなんて思ってもいなかったほだかは、何も考えずに「うん」と答えてしまったことを後悔します。 実際、ほだかは、晴れにこだわりがあったわけではありませんでした。 東京へ向かうフェリーに乗っている時、雨が降ってきて危険なので部屋へ戻るアナウンスが流れると、甲板から部屋に戻る乗客たちに逆行して、一人で甲板へいき気持ち良さそうに雨にうたれていましたから。 ひなに初めて会ったとき、田舎から東京へ家出して来たことがひなにバレバレで、「 東京へ来てからずっと雨だね。 晴れにしてあげる。 今から晴れるよ。 」と言われた時も、ほだかからは雨がいやだなんて一言も発していませんでした。 一方のひなは、母親が入院していた時、母と弟の三人で、もう一度、晴れた青空の下を歩きたいと思っていました。 そう願っていたある日、光に導かれて廃墟ビルの屋上へいき、鳥居をくぐるって「晴れ」を祈った時から、晴れ女の能力が身に付いたわけで、ひなは晴れにこだわっていたことが一目瞭然ですよね。 人って、自分の考えていることや願っていることが常識だと思いがちだと思いませんか? 天気の子では、ひなは母親と晴れた空の下を歩きたい、という願いや、ほだかに、東京へ来てからずっと雨だから晴れにしてあげたことから、多くの人は、雨より晴れがいいと思っています。 ほだかは天気に特にこだわりはありませんでしたが、ひなの天気を晴れにかえる能力に驚いたことや、晴れ女ビジネスをとおして、晴れを望む人が多いことや依頼者のよろこぶ様子を見て、ひなにほだかも晴れがいいよね。 と聞かれたとき、思わず「うん」とうなずいてしまいます。 ほだかはにとっては、本当は天気なんてどうてもいいのに・・・。 このシーンから、 人は自分のモノサシで物事を見てしまいがちなことがわかります。 常識というモノサシ また、天気の子では、 常識というモノサシも描写されています。 新海監督の作品の主人公は未成年ばかりですが、その主人公たちは、親目線では賛成できない行動ばかりします。 『秒速5センチメートル』では、中学生の主人公が、転校した同級生の女の子に会うために地方までいき、雪で帰れなくなり二人で夜が開けるまで過ごします。 『星を追う子ども』では、主人公の女の子が家を飛び出し、地球の内部にある地下都市のアガルタへと旅をします。 『言の葉の庭』では、主人公の男子高校生は雨の日の午前中は学校をサボります。 『君の名は。 』では、主人公の三葉が瀧に会うために、地方から東京へと一人でやってきます。 『天気の子』では、既に書いた通り、ほだかは家出します。 そして、今までの作品とちがい、天気の子では、ほだかは自分の気持ちに素直に従って行動します。 大人の言う常識には耳を傾けません。 須賀は、常識人の役割をしていますが、その須賀も最後にはほだかのように自分の気持ちに従いほだかの味方になります。 この設定と 須賀の気持ちが変わるシーンから、常識を気にせず、自分の気持ちに素直になれ、といわれているように感じました。 若い頃は、ほだかのように行動していたとしても、大人になると須賀にように、なんとなく世間の常識に埋もれてしまい、よくわかりもしない常識にとらわれて生きるようになる大人って多いのではないでしょうか。 天気の子の主人公は、君の名は。 と同じく高校生ですが、中年男性の須賀は準主役で重要な役割があるし、夏海は就活をしているし、凪は小学生だし、依頼者には年配の女性も出てくるので、幅広い世代がそれぞれの感想をもてる作品だと思います。 いろいろな年代の人が、ほだかや須賀の行動を見て、どの様な感想を持つのか、興味があります。 ひなの存在 映画では、 ひなの存在が薄いと思ったので、小説にはもっと書いてあるかな、と思ったのですが、映画とほぼ同じで、小説から新しい情報は少なかったです。 もちろんメインの登場人物だし、スクリーンにはたくさん登場しますが、人物像というかパーソナリティーが弱いな、と思ったんですよね。 小説などで人物を作り上げる時、第三者が読んで、しっかりとキャラクター像が伝わることが大切なので、一流の映画監督である新海監督ですから、設定がブレているということは考えられません。 新海監督は、ひなは表情や出てくる言葉がくるくる変わる奇想天外な不思議な女の子、とインタビューで答えていましが、映画や小説では、確かにそういうセリフがあるんですが、ひなという女の子の本質はとっても控えめな印象なのです。 本当はつらいのに、笑顔でいる女の子で、明るいけど出しゃばることはしない子。 ひなが空に人柱となって消えてしまい、ほだかが探して再開した時、一緒に帰ろうというほだかに、自分が戻ったら雨になってしまう・・・とためらうひなに対して、「自分のために願って」とほだかのセリフがあるんです。 小学生の弟を一人残して、15歳という若さで、ほだかという好きな人がいて、その好きな人が一緒に戻ろうと迎えに来ているのに、自分が戻ると雨になるとためらうシーンからも、自分よりも他者のことを想う性格なのがわかります。 このシーンからも、他者ではなく、 自分の人生を生きろ、と言われているように思いました。 天気の子の小説で泣いたところ 映画では、始まってからメインのシーンになるまでが長いな〜と思って観ていて、ほだかがひなを探しにいくクライマックスでも泣くこともなく観終わりました。 泣いた人もいるみたいですが、私は一滴の涙すら出ませんでした・・・。 どこで泣いたか気になりますか? 泣いたのは、本文ではなく、 解説の野田洋次郎さんのところです。 新海監督が、野田洋次郎さんのことを愛の人だと絶賛されているだけあるな、と感動しました。 解説を読んで感動したことで、さらに作品自体にも感動したのです。 解説は7ページとちょっとで、最初の方は、解説の依頼を受けたときの、とまどいなどが書いてあるので、そうだったんだ〜って感じで読んでいましたが、天気の子の作品や新海監督のことをすっごく理解されていることや、やっぱり野田洋次郎さんて、新海監督が愛の人だと言い切る方なのだと感動するのです。 野田洋次郎さんの解説の一部を紹介します。 いちばんないた一節は書ききれないので、気になったら小説を読んでみてください。 どこで感動するのかは、人によってちがいますけど・・・。 この世界の美しさも、醜さも、悲しさも、自分たちで決めることができる。 僕たちは、自分自身で、この世界を定義することができる。 新海監督は知っている。 本来、新宿という街が持っている美しさも、都会の空の独特の輝きも、どんな豪勢な料理でさえ誰かからのふとした優しい味にはかなわない。 引用:小説『天気の子』.

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