どう 思う これから 二 人 で やっ て いける と 思う。 3分恋愛講座。モテる男がやっている女性を虜にする、9つのテクニック

運命の相手の14個の特徴と見分け方

どう 思う これから 二 人 で やっ て いける と 思う

仕事ばかりで全然文章を書いていなかったので、リハビリがてらnoteを書いていこうと思う。 今日のテーマは、 『どうして私は婚カツをするんだろう?』 だ。 【28歳彼氏なし、オタクの婚カツ】 半年くらい前から本格的に婚カツを初めて、今のところ誰とも付き合うことなくここまでやって来た。 私の年齢は28。 あと半年くらいで29歳になる。 26歳くらいから、彼氏はいない。 もともと頻繁に彼氏が入れ替わるタイプでもなく、よっぽどタイプだったり、『面白いじゃん』と思った人とのみ付き合ってきた。 多分、普通の人のストライクゾーンを野球のそれとするならば、私のストライクゾーンは、ゴルフでホールインワンしないといけないくらい、極端に狭い。 彼氏とは、長く付き合ったり、短くおわったり、終わったのかよくわからないまま疎遠になったり、泣きながら別れたり、ある程度いろいろな感じに付き合ってはきたように思う。 でもまぁ、全部うまくいかなかからいまこの有り様な訳で、『糧になったか』といわれれば、『9割なってない』と答えるくらい、全部なくても良かったと恋愛だったおもう。 それに、この年になると、恋愛経験の有無なんてまじでどうでもいいのだ。 大切なのは、経験ではなくいま。 はじめての彼氏とゴールインしようと、180人と付き合って未婚でいようと、どちらもどうでもよい。 ちなみに、私の周りの友達の半分は、すでに結婚している。 もう半分は彼氏がいて、ほんのひとにぎり仲のいい友達は、わたしとおんなじでフリーな身分という感じだ。 体感としては、まぁ自分はかなり、残ってるほうかなとはおもう。 でも婚カツ市場に躍り出れば、まだかろうじて相手からのアプローチもあるし、職場で『誰か紹介する?』なんていわれて、のらりくらり断ったりもする。 同僚の紹介はガンとして受け入れない 危機感があるかと言われればあるし、ないかと言われれば、多分圧倒的にない。 だって、ほんとに焦りまくって、恥ずかしくて、どうしようもなく結婚したいと思ってたら、 Twitterなんかに書かないし、こんなnoteになんかまとめないし。 多分、私はちょっとズレているのだ。 婚カツとか、恋活とか、世間の持つかわいそうなアラサー独身女性像とか、 ぜーんぶ バカだと思ってる。 たしかに、わたしが高校生で、夢に溢れていて、彼氏もいて若くて怖いものがなかったあのころ、28で彼氏がいないなんて女が目の前にいたら、 『あーあ、この世の終わりだ』と思っていた。 たぶんむちゃくちゃバカにしてたと思う。 でも、28歳で未婚で彼氏もいない私にも、まだ60年くらい人生が残っているわけだ。 全然世界は終わらない。 結婚してもしなくても、とりあえず人は生きていくしかないのである。 なぜこんなにも追い詰められるのか はっきり言うが、日本の夫婦の6割が離婚する世の中で、『結婚しないことは不幸だ』というのは愚かな意見だと思う。 こんなことをいっても、既婚おじさんの半数は負け惜しみだと思うのだろうが これは、 結婚が不幸に終わる可能性があるのと同じ様に、未婚にも、幸せになる可能性と不幸せになる可能性の二通りあるだけだという、至極簡単な話である。 なにしろ男性の24%、女性の14%が生涯未婚、離婚率60%の世の中である。 はっきりいって、結婚するしないは単なる選択にすぎないと私は思っているのだ。 本当は。 これは、『離婚したらどちらにしろ不幸だから結婚なんて意味がない!』などというアホな話ではなくて、 つまり、幸せにはパターンがあるということなのである。 『結婚していて幸せなひと』 『結婚しないくて幸せなひと』 『結婚をいちどして幸せになったものの、その後は別れたほうが幸せになれる人』 結婚を軸に幸せを考えると、上記の3パターンがみとめられるだけである。 つまり、どの道をとってもわたしはとても幸せなのだ。 でも、このパターンには感覚的な落とし穴がある。 つまり、一見すると人生を狭めたようにみえてしまう。 だからこそ、結婚しないことはとても不自由なことに感じられてしまうのである。 しかも、子供を生むことには時間的制限、健康的制限があって、いつその選択肢を失うかわからないという問題もある。 将来的に、『なんであのときこうしなかったんだろう』という気持ちになる可能性を抱えながら、『選択肢の少ない道を選ぶ』ことは勇気がいる。 だから焦るし、悲しくなるし、つらくなってもやついてしまうのだとおもう。 特に若さはまるで減価償却するように、少しずつ減っていく。 若さはまごうことなき価値だから、手のひらから砂がこぼれ落ちるような気持ちで、日々焦ってしまうのだ。 わたしだって、偉そうなことを書いているけど、日々進歩のない老い方に悲しくて泣いてしまうときもある。 そして、なにより厄介なのは親だ。 私の親は自分が結婚し出産し、まだ婚姻関係を続けていて幸せなのだ。 だから、私にもおなじ幸せを望んでいる。 あたりまえだ。 親にはまだ、孫をみるという選択肢もあるし、自身の成功体験から考えれば、私にそれを望むのは当然だ。 そしてわたしは親を喜ばせたいから、子供を見せてやりたいような気がしなくもなくなってくるわけだ。 でも、私は目的と手段を履き違えちゃいけないとおもう。 子供は結婚や出産の先にある結果であり、親の喜びはその先。 そしてそれは、不可逆なのだ。 親を喜ばせる手段としての孫、結婚や出産はありえない。 結婚や出産は親を幸せにする過程にはなりうるが、手段ではない。 わたしがその過程で幸せになり得ないなら、やはりそこに子供は存在しないのだ。 私はいつだって、自分が幸せになることを放棄してはいけない。 発想はいつだってタスク処理 わたしはいつも、プランBという人生設計をしている。 これは、『いつも必ず二通りの道を用意しておくべき』という考え方だ。 わたしが考えて、私が決めたルールだ。 たとえば、結婚する人生をプランAとするなら、結婚しない人生をプランBに据えて、どちらに転んでもいいように最善をつくす。 結婚する人生にむけて婚カツをがんばり、結婚しない人生にむけて、ひとりでも人生を充実するために仕事や生活を適宜見直し最善を尽くす。 力点は『後悔しない』という一点のみ。 プランBで起こりうる後悔は、『あのとき婚カツしていれば』『もっと一人の将来を考えていれば』である。 私は、あとから後悔だけはしたくない。 だから私は婚カツをするし、将来を考えて、仕事をし、常に勉強と、転職の可能性を忘れていない。 楽しいことはいくらでもあとから積み上げられるから、私はいま、後悔しないことだけに神経をつかっていきている。 逆に、楽しいと思うことには、あまりなにも考えず飛び込んでいくことにしている。 私は人よりもおそらく、マルチタスクが苦手だ。 ひとつのことを気にしだすと、『あれをやらなくちゃ』という考えが常にあたまの片隅にこびりつき、楽しいことも嬉しいことも圧迫されてしまう。 だから、『やってるよ、大丈夫だよ』と脳みそに教えてやるために、『わかりやすく婚カツ』をして、自分を落ち着けているのだ。 大丈夫、ここはわたしが対応しているので、お前は他のことをかんがえていいぞ。 と、脳みそに教えているのだ。 なかなか付き合いづらいやつなのである、私という人間は。 一年後死ぬなら婚カツなんてしない はっきりいって、一年後に死ぬなら婚カツなんてしない。 私は夢を抽象的にみないので、出会ってもいない旦那に見送られて死にたいとは思えない。 一年後に死ぬなら、何をするかといえば、多分本を読み、景色をみて、何かを書くのだと思う。 仕事だってしない。 するなら、どこかの古本屋で、レジでも打ちながら漫画を読む。 それでも婚カツをしている理由は、単に私が人生を長く見積もっていて、後悔しないためにリスク回避をしているだけなのだ。 多分きっと、あたりまえのように出会って、あたりまえのように結婚して、あたりまえのように幸せなひとからすると、『なにごちゃごちゃいってんのか』という話だとは思うのだけれども、私にとっての結婚は、そういうややこしいところにあるのだ。 仕事でも同じで、あたりまえのように仕事をする人たちは、やりがいとか、目標とかが仕事にあるのかもしれないけれど、私にはない。 私は社会人としてなりたい姿はとくにない。 会社で目標をきかれたときは、『どこでも生きていける人間になりたいです』と答えるようにしている。 どこでも、というのは、この会社じゃなくても、ということだ。 なぜなら私にとって仕事は目的でも目標でもなく、単なる人生の手段だからだ。 それでも私は幸せになりたい。 だから、結婚する人生も、しない人生も、どちらも大切にしていきたいと思っている。 何度も言うが、私は不器用だ。 当たり前のように恋をして、あたりまえのように人とふれあい、あたりまえのように家族になることは恐らくできない。 だから今後も淡々と婚カツをするし、みんなにもその様子を報告していこうとおもっている。 もちろんもやつくときも、いらだつときも、泣いちゃうときもあるかもしれない。 でも、 前を向いてがんばるので、どうぞよろしく、というやつである。 ちゃんちゃん。 おしまい.

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3分恋愛講座。モテる男がやっている女性を虜にする、9つのテクニック

どう 思う これから 二 人 で やっ て いける と 思う

【就職活動】あなたは会社にどのように貢献できますか? 現在就職活動中の大学4回生です。 今までたくさんの会社で面接を受けてきました。 つい最近受けた会社の面接で、 「あなたは弊社にどのように貢献出来ますか?」 と聞かれました。 私は普段履歴書の自己PR欄に 「私は新しいことに挑戦します。 」小学校から14年ピアノを続けてきました。 何か新しいことを始めたいと思い、大学ではテニスサークルに入りました。 また今まで人をまとめてきた経験がなかったのですが、夏合宿運営委員を務めました。 80人の部員が参加する合宿だったので、準備は半年以上前から進め、450万の予算の管理や、業者との折衝、試合の運営など全ての事項の管理を行いました。 責任者として7日間の合宿が無事終了したときは、何事にも変えがたい喜びがありました。 ということを書いているので、 その質問に対しても履歴書と同じように答えました。 しかし、その面接官は 「もっと具体的に君に何が出来るか、会社にとって貢献出来る能力があるのか?」 という風に聞いてきたため、 私はテニスサークルで総務 サークルの運営、練習進行役、飲み会の下準備などをしていました をしていたことから、 「御社の募集している事務職という役職で、大学での総務と言う経験を生かし、働く人がスムーズに仕事が出来るように縁の下の力持ちとして仕事をしていけると思います。 」 と言ったのですが、やはり落ちてしまいました。 この会社は比較的規模も小さめで、面接と一緒に書類を作る実技などの試験があったことからパソコン関連の資格を持っている人などの即戦力になれるような人を求めていたのでしょうか? 私は持っていません 確かに私の自己PRは即戦力になれるようなPRじゃないと思います。。。 けど本当に新しいことや自分の知らないことが好きで、好奇心が私の一番の強みかなぁ…と思っています。 その面接を受けてから、私が会社で即戦力になれるような能力ってなんだろう?って考えているのですが煮詰まっています。 そんなの自分で考えたり気付くことだ!って思われるかもしれませんが つまり、このような企業からの質問の場合どんな答えが望まれるのか知りたいのです。 ここまで読んでくださってありがとうございます。 分かり難い文章ですみません。 お暇な時間あれば回答お願いします。 自分という商品を買ってもらうためには、 「買った場合の具体的メリット」が言えなければダメ。 一人採用する事で、生涯で2~3億円の投資になるんですから・・・ 私ならこんな感じで言うかな。 (内容は超イイカゲンですが、訴えようとしている事を読み取ってください。 ) 「私は昔から好奇心旺盛で、何気ない会話の中から、相手の真意を引き出すことが好き&得意 です。 実際、これにより、種々色々な人間関係の解決等をしてきました。 このスキル、具体的には営業職において、お客様が本当にお望みのことを引き出し、 それに対して適切な提案をさせていただく事により、 お客様の抱えている問題解決につなげられると考えております。 そこで、私自身のこれまで大切にしてきた好奇心という強みに加えて、社会人として提案力を身につけることで御社の売上向上に貢献したいと考えています。 具体的には営業職として常に様々な市場に興味を持ち、好奇心を活かして既存の市場のみならず未開拓の市場を開拓することで御社の顧客を増やし、御社の売上向上に貢献できると考えております。 」 という感じで答えます。 (適当に考えたので細かい部分は気にしないで下さい…) というのも、この質問を通して企業は 「どれだけうちの会社のことを真剣に考えてくれているか」 を知りたいのではないかと考えるからです。 どうしても学生生活の経験をこう活かせる、とかこういうスキルがあるから活かせると答えたくなってしまいますが、ちょっと考えてみて下さい。 サークルでの経験や他の活動でも貴重な経験をされてきたのだと思いますが、その経験そのものが企業で活かせると思いますか?学生の趣味の経験が、社会に対して思い責任を負う企業でも活かせると言われても、「そんなに甘いもんじゃないんだよ」と言いたくなりませんか?(質問者様の経験がお遊びだと言ってるわけではありません) ですから、企業側としても「どういう経験が活かせるか」ではなく質問者様の人柄として「どういう強みが活かせるか」を聞きたいのだと思います。 ですから、質問者様の「好奇心」という強み、十分活かせると思います。 ただ、「自分の強みが活かせるはずだ!」とやみくもに言ってしまっては説得力がないですよね。 ですから、その企業が目指す未来を真剣に考えて下さい。 (例えば「業界ナンバーワンを目指す」という理念を掲げていたら、何に対してナンバーワンなのか?売上?顧客満足?商品の質?どうやってナンバーワンを目指すのか?ナンバーワンを目指す為に何が必要なのか?等、一歩突っ込んで真剣に考えて下さい。 たとえ間違っていてもそれが「その企業のことをどれだけ本気で考えられるか」に繋がってきますから。 ) そしてその企業が目指す未来に対して、質問者様の強みを活かしてどう貢献できるかを考えてください。 ここで、質問者様の「経験」ではなくて「人間性・強み」を活かすという視点を忘れないで下さい。 もちろん企業で働く上で現在お持ちの「好奇心」だけでは通用しないので、強みに加えてその企業に貢献する上で社会人としてどのような力を身につけた上でどう貢献できるかと語ることも可能です。 うまくまとめられなくて申し訳ありませんが、違う視点から見るとこういう答え方もできると思いますのでご参考までに。 ちなみに企業が新卒採用をするということは、即戦力を求めているわけではなく、自分の会社で長期的に良い働きをしてくれる人を探しているということです。 即戦力を求めるのだったら中途採用やキャリア採用をするはずですよね。 ですので「即戦力」という考えにあまりとらわれる必要は無いと思いますよ。 うーん残念ながら自分が面接官なら同じ質問しますねえ。 多分面接官は自分はこれを今までやってきた、こんなことも、あんなことも。 なるほど。 では当社で何ができるの?ってのは自然な反応です。 でもあなたは事務ができると答えたわけですがなんかいまいち答えの核心からずれている気がします。 あなたの答えはあくまで自分がしたい事であってできる事ではないんです。 即戦力になる実務経験ではないですしね。 相手が何ができるの?って聞いたら単なる意気込みを答えてしまっている。 相手からすれば解答されてないのと同じなんです。 相手はあなたがこの会社できちんとやっていけるかどうか? この会社でなけれは駄目な理由をさがしているんです。 どんなに自分の能力を示しても会社の人材として上手くやっていけるか みんなと協調して上手くやっていけるか なぜうちの会社に入りたいのかの明確な理由がない限り 入社は難しいとおもいますよ。 そこが全面的にかけているような印象ですかね。 自分の一意見です。 ご参考までに。

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友達が私に対して罪悪感を感じ、この人とこれから先うまくやっていける

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欅坂46の新曲「二人セゾン」。 スポンサーリンク 色々と挑戦的な楽曲や衣装で話題を集める彼女たち。 今回もMVと合わせてみると、なんだか意味深だったりして。 というわけで、その意味を考察してみたいと思う。 1番の歌詞について セゾンという言葉はフランス語で「季節」という意味です。 っていうのは、たぶん僕のブログまでわざわざ覗くような人ならとっくに知りえた情報のような気がするけれど、一応の説明。 なぜ「シーズン」ではなく、「セゾン」という言葉を使ったのか、はっきりとしたことはわからない。 メロディーを考えると「セゾン」という言葉がしっくりきたからなのかもしれないし、「セゾン」という記号のように感じる言葉が良いと思ったからなのかもしれないし、それ以上にもっと深い意味があるのかもしれないし、実は意味なんてまったくないのかもしれない。 真相はこの歌詞を作詞した秋元康さんに訊いてみないとわからないけれども、僕にそのようなチャンスがくるはずもないので、とりあえず結論は保留にしておこう。 ポイントなのは、なぜ「季節」という意味の言葉を使ったのか、ということである。 この歌詞には二人の登場人物が出てくる。 僕と君である。 二人が結局のところどれだけの時間を一緒に過ごしたのかはわからないが、春夏で恋をして(そして付き合うことになったのだろう)、秋で喧嘩して冬で別れてしまったということはわかる。 そして、二人はたぶんその別れを後悔していないということもわかる。 どうしても、彼女たちのデビュー曲である「サイレントマジョリティ」の歌詞や、ナチスの礼服と似たコスチュームを着ていたことが世界的に物議を巻き起こした彼女たちなので、今回の歌詞にも何らかの風刺性や、ある種の批評性があるのではないか、と期待していた人からすると、少し拍子抜けしてしまうような歌詞かもしれない。 なんだ。 ただの恋愛ソングかよ、と。 果たしてその解釈は妥当なのかどうか、歌詞の続きをみてみよう。 道端の雑草にも名前があるというのは、どんな人やモノにも名前があり、それぞれが「自我」が持っていることを示しているフレーズである。 名前も知らず、存在にすら気づかないような人たちがいることで、この世界は成り立っているし、自分の生活があるんだ、ということを予感させるフレーズである。 自分の食べた晩御飯のおかずに入っていたニンジンを作った人の名前なんて知らない。 でも、そんな名前の知らないたくさん人に支えられて誰しもが生きているというわけである。 僕は他人に自分の心を踏み込ませない人だったことがわかる。 話すことが面倒なので、理解してもらう努力すらしてこなかった人間なのだろう。 だけど、君はそんな僕のことすらも心を開かせたわけである。 どうやって?というのが気になるところであるが、とりあえず歌詞の続きをみていこう。 日本語訳は、「あなたは今何をいった?」となる。 これは、今太陽が昇っていない=今が辛い、ということを意味する表現。 大事なのは、未来が明るくなってから大切な人に出会うのではなく、辛い今の間に大切な人に出会えるよ、ということ。 もっと言えば、大切な人に出会えるからこそ、今が辛くなくなり、未来が希望に満ち溢れたものになる、ということでもある。 末尾の、「愛を拒否しないで」という願いは僕のイヤホンを外した君のものだろうか。 ここのサビでは、二人セゾンではなく、君はセゾン、という言葉に変わっている。 「君は季節」とは意味深なフレーズであるが、君は変わっていくものという風に解釈しなおしたら、わりと捉えやすいのではなかろうか。 僕と君との関係が変わるのは、君の心が変わるからだろうし、君の心が変わるということはおそらく外見だって変わっていっているはずである。 生きるとは変わること、というフレーズとも繋がってくる。 ずっと同じであり続けるものなんてないのかもしれない。 スポンサーリンク 2番の歌詞について では、歌詞の続きをみてみよう。 風の香りをかぐ余裕もないくらい現代人はあくせくと生きていることを示す表現であるとともに、そもそも僕は風吹く街に居さえしていなかったのかもしれないことを予感させるフレーズである(だから、距離についても言及するわけだ)。 このときの僕は引きこもっていた可能性も大いにありうるというわけだ(根っからの引きこもりなわけだし)。 これは一番でてきたイヤホンの件のフレーズと同じことを言及しているように思われる。 半径1メートルの見えないバリアとは、心の話であろう。 君が僕を連れ出してくれたというのは、心の話であることがよくわかるフレーズだ。 日本語訳にすると、あれをしたのはなぜですか?という意味になる。 目の光が重なるということは見つめ合っているということだろうか。 季節があるから一年は作られるわけで、そのどれが欠けてもいけないわけだ。 ただし、これは何かの例えである可能性が高い。 一体何だろうか。 君は季節であるため、僕に希望を与えることもあれば、儚く切ない気持ちにさせることもあるわけである。 Cメロについて 想像力の大切さを教えている場面。 心の窓を開けないと夢を見ることができないことを伝えている。 だから、君は僕の心を空けて、別世界に連れ去ったということだろう。 さて、「春夏秋冬生まれ変われる」とはどういうことだろうか。 しかも、それは君に教えられたという。 どういうことだろうか。 最後のサビとまとめ 最後のサビであるが、君はセゾンという言葉が、二人セゾンという言葉に一旦変わり、最後は僕のセゾンという言葉に変えられて、この歌は締めくくられる。 これはどういうことだろうか。 君は変わりゆくものであるとともに、他人を変える力ができる存在であることが歌詞で描かれている。 「君はセゾン」というフレーズがそのことを集約しているように感じる。 そして、僕は君に出会って、色んなことをして色んなことを感じたのだろう。 二人のそんな歳月のことを「二人セゾン」というフレーズで表現しているように感じる。 そしてそれによって、僕は「変わった」のだろう。 結果として、どう変わったのかについては歌詞に示されていないけれども、変化があったことは間違いないわけで、その変化していく馴れ初めが全体の歌詞になっているわけだ。 心を閉ざしていたのに、君と出会ったことで、開いたのだから。 この一連を「僕のセゾン(僕の変化)」と称しているのではないかと個人的に思うわけだ。 さて、幾つか放置した歌詞解釈の意味を考えていくとともに、最後の疑問である僕と君とは誰なのかということについても考えてみたい。 単刀直入に言おう。 これはアイドルとファンについて歌った歌、もっと言えば、欅坂46とそのファンの歌なのではないかと思うわけだ。 つまり、アイドルが出会うまで誇れるものが何もなかった人が、アイドルと出会うことでそれに夢中になりそれによって人生が輝くものになり、やがてそこから卒業していく、という話なのではないかと思うわけだ。 アイドルにはたくさんのメンバーがいる。 暖かい季節のように光をたくさん浴びるメンバーもいれば、寒い季節のようにすぐには日の目を見ないメンバーだっている。 アイドルグループとはまるで、季節のようであるというわけだ。 けれど、メンバー一人ひとり個性があって、グループがグループとしてあるためには一人も欠けることはできないわけである(まあ、卒業があったりするからまあアレなんだけども) そして、春夏秋冬が生まれ変わるとは、最初は日の目を浴びなかったあの子がいつの間にかセンターの舞台にたつように、冬だと思っていた人がいつしか夏に変われるんだということを示す表現なのである。 もちろん、それは自分の人生という単位に置き換えても同じことが言えるとのかもしれない。 初めて感じたときめきはそのグループと初めて出会ったときの衝動であろうし、思い出はカレンダーなのは、楽しかった記憶はすぐに過去になってしまうこと、そして過去の思い出にしなくてはならないことを示唆する表現なのである。 ずっとアイドルにはまっていてはいけないわけだ。 君もいつかはアイドルファンを卒業しないといけないよという、アイドルが歌うにしてはとても逆説的に感じるメッセージがこの歌には込められているように感じるわけだ。 なにより、君がずっと好きだと信じているアイドルは、すぐに変わってしまうこと(それは人気が出るということもあるだろうし、恋愛していないと思っていたら彼氏を作って結婚してしまうということもあるだろうし、芸能界をそもそも引退する可能性だってあるというというわけだ そう、アイドルだって変わるわけだ。 君=アイドル=変わる。 僕=ファンは、アイドルと出会ったことで生活を輝かしいものにしたのだろう。 イヤホンを耳にしたり、バリア張ったりしていた内面世界を壊すように、アイドルが僕をわくわくさせる世界を連れ出してくれた。 けれど、ずーとそれではいけないわけだ。 春夏に出会ったならば、秋冬にバイバイをするように、どこかのタイミングでアイドルに必要以上に肩入れしてしまう生活から卒業しなくてはならない。 思い出をカレンダーにする覚悟をもって、卒業しろ、というわけだ。 だから、二人セゾンから僕のセゾンというフレーズで歌詞を締めくくるのだ。 この歌は恋愛を歌った歌なのではなく、アイドルとの疑似恋愛に酔いしれて抜け出せなくなりそうな人のお尻を叩くための歌である、とも言えるのではないかと思う。 要はファンを批評した歌で、ファンが盛り上がるという、逆説的な光景を秋山は描きたかったのてまはなかろうかとそういう妄想である。 以上、「二人セゾン」の歌詞の意味・解釈なのでした。 スポンサーリンク.

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