伊勢 市 女性 記者 失踪 事件。 “風化させてはいけない”引退する80歳事件記者が追い続けた「伊勢・女性記者不明事案」 三重 : 中京テレビNEWS

【未解決事件】三重県伊勢市、辻出紀子さん売春島失踪事件

伊勢 市 女性 記者 失踪 事件

渡鹿野島 わたかのじま とは、三重県志摩市の伊勢志摩国立公園内にあるハートの形をした島です。 バブル絶頂期の80年代にはパチンコ屋、ストリップ劇場、ホテル等が散在し、一大レジャーランドと化していました。 そしてこの島では約10年程前まで積極的な売春行為が斡旋されており、その事から「売春島」という異名も持っています。 巷では、辻出紀子さんは何らかの理由でこの島へ売春婦として蒸発した、と噂されているのです。 彼女は失踪当日、勤務先で自身の仕事を夜遅くまで片付けていたといいます。 一段落した彼女はその後勤務先を後にしているのですが、自身の愛車を残したまま忽然と姿を消してしまったのです。 彼女の失踪理由が見当たらない事から、警察では行方不明事件として現在も捜査が続けられています。 そして、当時彼女の消息が全くつかめず様々な噂が一人歩きした中で、多くの女性達が身売りの場として足を運んだ渡鹿野島に彼女も足を踏み入れたのではと噂され、渡鹿野島事件とも呼ばれています。 そして、その捜査線上に浮上したのが男性容疑者Xでした。 男性容疑者Xは以前、辻出紀子さんから何らかの取材を受けており、二人は数回会って食事をした仲だったようです。 事件当日、男性容疑者Xは彼女の携帯に4回連絡を入れていました。 そのあと午後11時頃二人は落ち合い、男性容疑者Xの運転する車に彼女を乗せて数時間話した後、県道沿いに彼女を降ろしたと発言しているのです。 すると、辻出紀子さんが失踪する約1年前に男性容疑者Xがホテトル嬢を監禁したという疑いが出てきたのです。 その為、三重県警はこの監禁事件で男性容疑者Xを逮捕すると同時に、辻出紀子さんの失踪についても追求を開始したのです。 しかし弁護士から助言を受けていた男性容疑者Xは警察の取り調べに黙秘を貫いたといいます。 それどころか、この監禁事件で裁判となった男性容疑者Xは無罪を勝ち取ったあと、国や県警を告訴したのです 後日告訴を取り下げ済み。 その為なのか県警はそれ以降、男性容疑者Xへの捜査を打ち切りにしています。 通話相手はクロネコヤマト総務部の山口と名乗っていたといいます。 「クロネコヤマトの宅急便です。 ご本人様に直接お渡ししたいのですが、ご住所がわかりません。 妹さんのご住所を教えてください。 」 引用 : 迷宮入り事件を解く鍵[三重県女性編集者失踪事件・20年目の事実] この電話を受けた辻出紀子さんの母親は不審に思い、この時逆に通話相手の連絡先を聞いています。 すると相手は存在しない12桁の番号を伝えてきたそうです。 彼女のご両親は即日、この件を警察に報告したそうです。 後になって、ご両親はあるインタビューでこう発言されています。 「通話相手が伝えてきた電話番号の下4桁は男性容疑者Xの携帯番号の下4桁と同じだったんです」これはただの偶然なのでしょうか。 容疑者Xは辻出紀子さんと会って何をしていたのか?供述は? 辻出紀子さんが失踪した当日に会っていた事を認めていた男性容疑者X。 実は当初警察にはこの様に供述していたのです。 「取材に関するやりとりで行き違いがあり、直接謝りたかったので呼び出した。 (発見現場の)駐車場で落ち合い、自分の車に乗せて1~2時間話をした。 その後、駐車場から少し離れた県道沿いで降ろしたが、別れてからの彼女の行動は何も知らない」 引用 : 伊勢市女性記者行方不明事件まとめ ですが、実際は「取材に関するやりとりでの行き違いを謝罪する」というのは彼女と会う口実に過ぎなかった様で、男性容疑者Xの本来の目的は彼女と会ってセックスをする事だったのです。 夜中伊勢自動車道を走っていると、クルマのボンネットに黒髪の若い娘さん(勿論この世の人ではない)がへばりつき、戦いました。 後日、自宅にもこの女性の幽霊が現れたので「貴女はひょっとして、辻出紀子さんではないですか?」と訊くと、この美女の幽霊は俯いて、首を縦に振り、かぼそい声で「・・・寒いです。 わたしの身体は水浸しです。 捜してください。 」と懇願されました。 引用 : 迷宮入り事件を解く鍵[三重県女性編集者失踪事件・20年目の事実] この証言を受けた同番組は、ある超能力者に辻出紀子さんの居場所を透視してもらう事に。 すると、その超能力者は「彼女は殺されてため池に沈められている」と発言したのです。 不可解な点を多く残し、未だその全容は謎に包まれたままとなっています。 ここからは現在の捜査状況について解説していきます。 辻出紀子さん失踪事件について、発見への手がかりは現在もなし 2019年現在、辻出紀子さんが行方を晦ましてから既に20年もの月日が流れました。 様々な捜索活動が行われたにも関わらず現在も何ら進展しておらず、発見への手掛かりは掴めていない様です。 「今でも時々、警察の方が訪ねてこられます。 ただ、下記のご発言の通りご両親は娘の存命には期待を低くしている事が見受けられます。 「もちろん犯人は捕まえて欲しいです。 それができなくても、どこかに眠っている娘をいち早く見つけてあげたいんです」(母、美千代さん) 引用 : 日刊ゲンダイデジタル 辻出紀子さんの写真展が開催された? 1997年3月に立命館大学をご卒業された辻出紀子さん。 渡鹿野島事件発生の約2年半後、同大学の仲間達が彼女の情報を求める為、東京と伊勢市で写真展を開催しました。 この写真展は、大学時代に写真研究会に所属していた辻出紀子さんが、あらゆる問題点を抱えた国に自ら赴き、彼女が撮りためた千点を超える写真を展示する為に同大学の友人や教職員からの寄付により実施されました。 現在でもこの写真展を企画した実行委員会によって、辻出紀子さんの写真展に関する情報や彼女の生い立ち、彼女が残した作品等についてホームページが開設されています。

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忽然と姿を消した美人女性記者、事件の裏に潜む「売春島」の闇【未解決事件ファイル】 (2019年6月15日)

伊勢 市 女性 記者 失踪 事件

伊勢市女性記者行方不明事件(いせしじょせいきしゃゆくえふめいじけん)は、にで発生したである。 1998年11月24日深夜、伊勢市の出版社「」に勤務する編集者兼記者の辻出紀子が消息を絶った。 は辻出に最後に接触したとみられる取材相手の男性Xに容疑を向け、容疑によるも駆使してXを追及した。 しかし、逮捕監禁事件についてはでXのがし、反対にそので提出された取調べの録画テープにより、が偽計や威圧を駆使した違法な取調べを行っていたことが判明した。 無罪判決後、Xはに対して人権救済を申立て、その結果として日弁連人権擁護委員会も、三重県警およびには行為を伴う取調べについて強い警告を発する事態に至った。 しかし、Xはその後提起していた複数の賠償請求訴訟を自ら取り下げ、また「無罪が確定すればすべてを話す」と辻出家に述べていたにもかかわらず、辻出家に対して沈黙を貫き続けた。 以上の経緯から、Xは未だ辻出の失踪に関係しているとではと疑問視されてはいるが、など、信頼性に欠ける多くの巷説も流布され続けており、辻出の失踪は未解決のままである。 失踪 [ ] 11月24日23時頃、当時24歳の編集者、 辻出紀子(つじで のりこ)は、勤務先であるの出版社、を出たのを最後に、信頼に足る情報が得られないまま消息不明となった。 辻出は同日の日中、カメラ屋に写真の現像を頼んだままであり、また深夜に会社を出た際も、寒気のなかを会社に置いたままであった。 そして、辻出は同日の昼間に、過去の取材から接点のあった男性 Xから幾度か電話を受けており、また会社を出る直前にも、このXから電話を受けていた。 翌25日になっても辻出は出社しなかったが、同僚は昨夜の残業もあって不審には思わなかった。 辻出は同月23日に旅行から帰ったたばかりであったため、休暇中に仕事が溜まっていたのであろうと判断した家族も、彼女が帰宅しなかったことを心配しなかった。 辻出の失踪を家族と会社が知ったのは、市内の保険会社駐車場に放置されていた彼女の自動車を動かすよう、が辻出家に連絡してからであった。 初動捜査 [ ] 伊勢文化舎から数百メートル離れた駐車場で発見された辻出の車は、彼女の几帳面な性格に反して、駐車場の白線を無視して斜めに停められていた。 ドアはロックされた状態で車内に荒らされた形跡はなかったが 、財布や手帳、携帯電話などが入ったはなくなっていた。 また、辻出は非喫煙者であったにもかかわらず、車内からはタバコの吸殻が1本発見されている。 運転席の座席も普段より下げられた位置にあり、普段はエンジンをかけると流れるも切られた状態にあった。 その一方で、辻出の銀行口座から預金が下ろされた形跡はなかった。 これらの異状にもかかわらず、は家族に車を移動させた後も辻出を「」として扱い、捜査を求める両親の言葉にも応じなかった。 辻出の父は伝手を頼って副署長にも面会したが、副署長も笑って宥めるのみであった。 1か月後に 非公開での捜査が始まってからも、伊勢署は家族と同僚のを別々に行い、また辻出の家庭問題を疑ったため、会社側の情報を家族には伝えようとしなかった。 被疑者X [ ] 辻出との関係 [ ] 辻出に最後に接触したとされるXは、そもそも役所が彼女に引き合わせた男性であった。 当時の三重県では「体験プロジェクト」などの大型イベントによる振興が図られており、『伊勢志摩』誌の編集者兼記者であった辻出は、東紀州に顔が広い取材協力者を探していた。 そこで尾鷲市役所が辻出に紹介したのが、隣接するで熱帯魚販売店を営み、地元ので副理事長も務めていたXであった。 子供向け自然ふれあいイベントで講師を務めたり、女性に紳士的に接したりするXに対し、辻出は信頼を寄せるようになり、Xの顔写真を同僚に見せて「かっこええやろ」と言ったりもしていた。 Xを取材・特集した号の『伊勢志摩』編集後記には、「〔 X〕さんの、自然の中での表情ときたら。 実に嬉しそうなのだ。 自然は人を笑顔にさせる力があると思う」とも書いている。 私生活 [ ] 一方で、下記のでXと離婚することになるXの最初の妻や、その関係者からは、Xが「に行って帰ってくると薬物の匂いが体からぷんぷんしたり、全然寝ない日があったりした」「包丁を持って部屋に閉じこもり『死んだる』とわめき散らしてみたり、すぐカッとなって物を投げつけたり、食卓をひっくり返したりした。 性的にも普通ではなく、医学本に載っている女性の陰部をなめ回すほどに見たり、椅子の下にを敷き詰めたり、を狂ったようにし続けたりし」た、との証言も得られていた。 希少動物の輸入による違反によって、40万円のに処せられたこともあったという。 「任意」取調べ [ ] このXを辻出の失踪に関与していると見た伊勢署は、翌1月26日にXをさせ、2月3日まで取調べた。 聴取は朝8時頃にパトカーがX宅まで赴き、そのまま署で23時から深夜0時頃まで取調べ、1時から2時頃に帰宅させるという、任意という名目からはかけ離れたものであった。 警察はXに対し、辻出をして遺体をどこにしたのかとを迫った。 Xは当初の調べに対しては「辻出とは夏以来会っていない」と話していたが 、供述を変転させた末、11月24日23時頃に辻出と会ったことは認めた。 また、Xは辻出失踪の直後に、・関連の専門書を数冊購入していた。 しかし、警察はXの周辺人物に聞き込みを行い、も実施したが、Xが辻出の失踪に関与しているとの確たるは挙がらなかった。 Xは女性の使用済みを所持しており、そのは辻出のものと同じB型であった。 しかしXの交際相手の血液型もまたB型であり、さらに生理用品はその後Xに返却されたため、による再鑑定は不可能となっている。 別件逮捕 [ ] 辻出の失踪には無関係であると主張し続けるXに対し、警察はXを翌2月10日に容疑でし、身柄をへと移送した。 その詳細は、12月16日13時頃から翌17日17時頃まで、Xが上京するたびに会っていた馴染みの Aを、その手を縛って彼女の自宅マンションに閉じ込めた、というものであった。 しかし、この逮捕監禁事件でが出されたのは発生から1年以上が経過した1999年2月5日のことであり、これは辻出失踪事件を本命とする明らかなであった。 翌3月4日にXは逮捕監禁事件でへとされたものの、その身柄はに移監される7月22日まで 、たる津署へ留め置かれた。 Xはこの4か月半以上の間も、辻出失踪事件について追及を受け続けたが、2月11日にに選任された は、彼に対し完全を指示した。 裁判 [ ] 証言 [ ] 東京での逮捕監禁事件についてはその後、とされるAのもに提出された。 しかしその内容は、「Xに退去を求めたところ暴行・されたが、にもかかわらずその後自らやを服用して眠ってしまったので、詳細はよく覚えていない」という不可解なものであった(はこれに対し、Aの証言は明確・詳細かつ変遷がなく、またその内容の一部はAの友人やXの元妻の供述からも裏付けられている、と反論している)。 写真 [ ] さらには弁護側のとして、犯行があったとされる時間帯にXがAの部屋を撮影した写真や、Aとの会話を録音したも提出されていた。 写真が撮影された時間帯は、それに写り込んだテレビの画面から明らかであったが、それらの写真にはAの姿も彼女のハンドバッグなどもなく、携帯電話の充電器にAの携帯は差し込まれておらず、玄関にもAの靴は写っていなかった。 これらの写真は、逮捕監禁事件があったとされる1997年12月17日朝3時から10時2分まで、Aは現場にいなかったことを強く疑わせるものであった。 また、Xは自身が写っているものを含めたこれら写真の入ったを、現像もせず逮捕時まで手許に置き続けていたのであって、捏造の可能性も考え難かった(津地検はこれに対し、写真は撮影の状況・目的がまったく不明であり証拠価値は低い、と反論している)。 録音テープ [ ] テープに録音されたXとAの会話は、AがXに対し「やだぁー、ここで話して」「仕事だったら、余り好きでないやつでもしてもいい。 〔 X〕君とは仕事じゃない。 だから……」などと甘えた様子で話しているものであった。 さらに、A宅にXがいることやXにAの交際相手の電話番号を教えたことを秘密にして欲しい、とAがXに頼んだり、AがXからの求めもなしに自由に交際相手に電話を掛けている状況も録音されていた(津地検はこれに対し、テープの録音状態は極めて不鮮明であり、録音のタイミングもXが縛っていたAの手をほどいた後の、緊張が弛緩した状況であったと反論している)。 Aの手帳 [ ] これに加えて、Aが仕事の売上を記録していた手帳には、1997年12月16日夜から翌17日朝、すなわち逮捕監禁事件があったとされる時間には働きに出ていたことを推定させる記述がある。 にもかかわらず、検察側にはこの手帳の正確性やAの勤務状況について、何ら裏付け捜査を行った形跡が見られない(津地検はこれについて、Aは普段売上記録を手帳に数日分まとめ書きしており、そもそも犯行日の特定はAがXに借金を返済した際のの日付によるため、手帳に証拠価値はない、と反論している)。 さらに、検察側はXのを推定させるこれらのカセットテープおよび手帳を入手していたにもかかわらず、その存在は弁護側が独自に調査するまで秘匿されたままであった。 判決 [ ] 結局、津地裁はこれら弁護側提出の証拠に基づいてAの証言の信用性を否定し、1999年10月5日、Xに対しを言い渡した。 検察側もこの判決に対してせず、逮捕監禁事件に関するXの無罪はした。 ポリグラフ検査の強要 [ ] 他方、別件逮捕後も辻出失踪事件に関する追及は続き、津署は1999年4月29日にXを検査にかけようとした。 しかし、が検査機器をXに装着させようとした際に、Xの両腕を強く握って揺さぶったため、Xは右肘内側に剥離の障害を受けたという。 翌30日に室木が室でこの傷を写真撮影し、その後逮捕監禁事件でので、別件逮捕の違法性と刑事による暴行を訴えた。 すると検察側はこれに対し、ポリグラフ検査の際に刑事の暴行があったことを否定するため、津署でのポリグラフ検査の状況を撮影したビデオテープを提出した。 ところがそのビデオには、後にXから人権救済申立てを受けた が強く問題視するほどの、多数の問題行為が含まれていた。 その取調べ内容とは、• Xに対する暴行として、• 検査を実施しようとした際の、Xの右太腿内側への右平手での殴打1回• Xの組んだ脚の左側を、大声で「〔 X〕、なんでや、お前。 ちゃんとはずせ、足ちゃんとせい」と言いながらの左手での払い• 両手でXの両腕を掴み、「なにが拒否じゃぁ! 出てるんやないか、こらぁ!〔 中略〕拒否もクソもあるかぁ! 能書きたれとんなよ、お前、いつまでも 」などと怒鳴りながら、幾度もXの身体を揺する• 弁護人との接見妨害として、• ポリグラフ検査を拒否できるか室木に確認したいと求めるXに対し、「〔 X〕、お前、弁護士っちゅうのはな。 関係ないわ」「後で聞きゃ、えぇやないか」「弁護士はオールマイティーと違うんやで」「法的にはできないんだよ。 もう」との発言• 黙秘権に関する虚偽の説明について、• 「黙秘っちゅうのは、私が犯人ですと認めてるわけやぞ。 〔 中略〕都合の悪いことだけは黙秘してもよろしいよっちゅう規定やぞ。 それを黙秘しますっちゅうことは、都合の悪いことだらけですっちゅうことやぞ」「自分がしゃべりたないことしゃべらんて、そんな黙秘権はないわさ」 などとの、黙秘権の行使によってXが犯人であると認定されるかのような偽計を伴う威圧• ポリグラフ検査に関する虚偽の説明について、• 「今ここに、白か黒かはっきりしてもらえる機械与えてもろとんやないか。 それを、拒否するちゅうんは黒としかないやねんからな」「お前は自分で蹴ったんやぞ。 最後の道を。 だから今から、白っちゅうよな言葉使うなよ、お前。 証拠はないけれども、真っ黒んなったんや、今の時点から。 よう覚えとけよ。 俺自身のも。 わかった。 真っ黒なんやで。 前よりいっそう黒なったんやで。 もう限りなく黒に近い黒や」 などとの、ポリグラフ検査によってXの犯人性が確定するわけでも、検査を拒否したとしても犯人と見做されるわけでもないのに、それが事実であるかのような偽計を伴う威圧• その他の虚偽の説明について、• 「君は、義務があるやないか。 逮捕されとんのやで」「逮捕された被疑者はどんなことがあっても取り調べ拒否できひんやないか。 弁護士にそのぐらい聞いとるやろが、え。 応じる義務があるて、書いてあるやろが」「被せられてる容疑が殺人やねんから」との、Xが辻出失踪事件で逮捕されているかのような偽計を伴う威圧• 「どって証明するん。 どこで証明するんにゃ。 伊勢の事件をどって無実証明するんや。 どって証明するんにゃ。 アホみたいなことばっか言うなよ。 どこで証明するの 」との、Xの側に無罪の立証責任があるかのような偽計を伴う威圧• 「一〇年勝負してって、警察と一〇年勝負して負けんのお前に決まっとるやネいか、ほんなもん。 勝った奴おらへんぞ、ほなもん。 ヤクザでも尻尾巻いて逃げて行くんやないか、警察と勝負して。 一〇年つきまとわれて見ろ。 どんなにヤなもんか、お前、わからへんやないか 」などとの威圧• 「令状出とんのやで何してもええんやで、鑑定処分やて。 必要があったら切り刻んでもええんやで。 の中へ棒突っ込むこともできるんやないか。 え」との、鑑定処分が無制限に行えるかのような偽計を伴う威圧 というものであった (室木は、検察側が「適正な取調べが行われた証拠」としてこのビデオテープを提出してきたことに恐怖を覚えた、と述べている )。 また、日弁連人権擁護委員会は4月29日のビデオテープ内容のみならず、• 2月17日の調べにおける、「弁護士が余り黙秘権を使えと被疑者に言うと、〔 中略〕から追放になる」などとの、偽計を伴う威圧• 翌18日の調べにおける、Xが室木から説明された黙秘権の意味について「弁護士が黙秘権についてそんなことを言うと、弁護士も大変なことになる」などとの、偽計を伴う威圧• 同18日の調べにおける、捜査過程で入手したXの裸の写真を提示しての、「この写真を証拠に出せば、裁判官はお前が変態だというを持つぞ」との威圧 という捜査手法も問題視している(しかし三重県警本部はこれらについて、取調べ内容はいずれも通常の説得行為、または事実の告知の範疇にある、として違法性を否認している)。 日弁連による警告 [ ] 以上の事実を踏まえ、最終的な調査結果として日弁連人権擁護委員会は、2月7日に三重県警・・・津地検へ宛てて、それぞれ警告と要望を発している。 三重県警本部長宛ての警告について人権擁護委員会は、津署がXに対して行った行為は「違法な行為である。 今後、の取調べに当たっては違法な捜査を厳に慎み、被疑者の黙秘権や弁護人との接見交通権などの権利を最大限に尊重されるように警告する」とした。 そして警察庁長官及び三重県公安委員長に対し、所轄する警察署において今後同様の人権侵害が発生しないよう、指導・監督を強化するよう要望を発した。 また津地検検事正宛ての警告について同委員会は、当時得られていた証拠を考慮すれば逮捕監禁事件については、少なくとも「」の判断を行うのが正当であったのは明らかであり、「〔 X〕は本件起訴後も四ヶ月半にわたり代用監獄に勾留され、その間〔 辻出〕失踪事件についての執拗な取調を受け続けたこと等の起訴前後の事情を考慮すると、貴庁は、〔 辻出〕失踪事件についての取調べ機会を確保する目的で恣意的に起訴相当の判断を行ったとの疑いを払拭できない」と述べた (これについては起訴担当自身も後に、辻出失踪事件の調べを続けるための、無理筋の起訴であったと認めている )。 そして、「当然にとすべきであるのに敢えて起訴したこと及び無罪の重要な根拠となるべき証拠(カセットテープと手帳)の存在を明らかにしようとしなかった対応は、検察の職責に悖るものであるとともに被疑者・の権利を侵害する違法な人権侵害行為であると評価せざるを得ない」と警告している。 無罪判決後のX [ ] 勾留中にXは辻出家に対し、「逮捕監禁事件で無罪を勝ち取った暁にはすべてを話す」という内容の書面を、室木の署名入りで提出していた。 しかし、無罪判決後の釈放翌日に辻出の両親が面会を求めると、Xは義兄を通して「私たちは報道に我慢がならない」「やるだけ無駄だという結論になった」「いくら灰色といわれても放っておく。 もちろん、人権を侵害するような報道には法的な処置をとる」「伊勢文化舎の代表が怪しい」などと述べて面会を断った。 そして、「今後もし話をする気になったら、内容をマスコミに漏らさない、回答をあげつらうような質問をしない、などの条件付きの上で、弁護士を通じてあなた方に連絡する。 それまであなた方からの連絡は拒否する」との旨を一方的に宣告した。 さらにXは、日弁連への人権救済申立てに加え、逮捕監禁事件でのAおよび2人のに対して連帯で3000万円を求める請求訴訟を 、国と三重県に対して同じく3000万円を求める請求訴訟を提起した。 結果的にXは賠償請求訴訟を取り下げたが、マスコミに対しても同様の訴訟を起こす構えも見せていたため、その後は警察もメディアもXを追及することに及び腰になった (三重県警の元捜査員によれば、無罪判決の後、今後一切Xには手出しをしないように、との通達があったという )。 その後も沈黙を守り続けるXに対し、業を煮やした辻出の父は室木のもとを訪ねたこともあったが、その際に室木から半笑いで「あなた方、人の揚げ足取るようなことばかり言って、何にもならなかったな」と言われたという。 その後の捜査・支援活動 [ ] 辻出失踪直後の1999年1月には、辻出の学生時代の友人たちや、、(室木の友人であり、室木の依頼でXのを訴える番組を構想していたが、その後断念)、(元行政改革担当部長)などの報道関係者により、「辻出紀子写真展」が開催されている。 同様の写真展は、2001年11月に東京と伊勢市でも開催されている。 三重県警は、辻出の失踪から10か月が経過した1999年9月から情報提供を求める公開捜査に踏み切り、までに、捜査には約3万1900人が投入された。 情報提供者への謝礼金上限額は300万円に設定され、寄せられた情報は88件に上ったが、有力な手掛かりは得られなかった。 事件以来、辻出の両親は毎年11月24日に情報提供を求めるビラを配り続け、警察に重機で怪しい場所を掘り起こしてもらったこともあった。 もすべて巡り、テレビ番組のや専門家にまで頼ったが、何ら成果は得られなかった。 両親は辻出の生存をほぼ諦めているが、それでもなお情報提供を呼び掛け続けている。 北朝鮮による拉致説 [ ] 9月、は「事情に詳しい中朝関係筋から」の情報として、「〔 日本側は〕辻出さんの『つ』の字も出さなかったのに、先方から辻出さんの名前をフルネームで言った」と報じた。 を調査している日本の大学教員が、辻出を知っているとで出会った、とも報じられた。 はこの報道当日、辻出の両親とともに記者会見を行い、辻出が同調査会の「不明者リスト」に追加されていると述べた。 また同調査会の一関係者は、失踪前の辻出がに「北朝鮮に行ってにインタビューしたい」と書き込んでいたことを根拠に、「辻出が自ら海路で北朝鮮に入り、よど号グループへのインタビューに成功した後で消息を絶った」と断言している。 さらに3月には三重県警が辻出家に申し入れたことにより、辻出の名が警察庁による「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者」リストに加えられている。 しかし、辻出が自ら北へ入った根拠とされるメーリングリストには具体的な内容は一切なく 、辻出を知る脱北者と会ったと主張していた大学教員も、数年後には「人違いだった」と発言を撤回している。 また、2014年9月によど号グループのリーダーに直接インタビューしたジャーナリストのによれば、辻出に会ったこともなければ名前も知らない、と小西は驚いたように回答したという。 同年7月にが「北朝鮮で存命の日本人リスト」についてスクープした際には、辻出家にも取材陣が詰めかけたが、辻出の母は「拉致の可能性はないんでね、記者の皆さんにはお帰りいただいたんです」と取材を拒否するなど、家族ももはや北朝鮮による拉致説には信を置かなくなっている。 その他の説 [ ] 辻出はかつてで栄え、「売春島」とも俗称されたのについて取材を試み、何らかのトラブルに巻き込まれ失踪した、との噂がネット上では流布している。 しかし、辻出の周辺人物は彼女が渡鹿野島の性産業に関心を抱いていたことを一様に否定している。 また、渡鹿野島は極めて小さいうえ常時対岸に渡し船が出ており、事件の存在を隠し通せる可能性は極めて低い。 別の説として、辻出は1998年11月19日から失踪前日の23日まで、近郊のを取材していた。 取材に同行していた友人によれば、辻出はキャンプで難民の男性に「私と結婚したらここから出られるのにね」と冗談半分で励ましたところ、男性はそれを本気にしてしまったという。 辻出はその難民の求婚を断り切れず、彼とともに逃避行に出たとの噂もあるが 、辻出のパスポートには事件当日の出国記録は存在しない。 その他にも、辻出は東紀州の密漁者とのトラブルに巻き込まれたという説もあるが 、いずれにせよ辻出の両親はその後も、Xに対する疑念を捨ててはいない。 脚注 [ ]• 222頁、226頁• 68頁、75頁• 131頁• News. 2020年2月17日閲覧。 TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 890頁、907頁• 891頁、907頁• 891頁、907-908頁• 892頁、908頁• 897頁• 108頁• 111頁、119頁• 110頁• 111頁• 886-887頁、899-906頁• 882頁、888頁• 882頁• 888頁• 西牟田靖 2015年1月29日. TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 889頁• 西牟田靖 2015年2月9日. TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 234-235頁• 228頁、230頁、235頁• 辻出紀子写真展 -旅のあしあと-. 辻出紀子写真展実行委員会. 2020年2月17日閲覧。 平壌日記 PYONGYANG DIARY フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報. 2020年2月17日閲覧。 TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 平壌日記 PYONGYANG DIARY フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報. 2020年2月17日閲覧。 西牟田靖 2014年10月24日. TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 西牟田靖 2014年12月4日. TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 参考文献 [ ] 書籍 [ ]• 「」編集部『迷宮探訪 - 時効なき未解決事件のプロファイリング』監修、写真、、2017年。 「三重・女性記者失踪事件 1998・11・24 誰に連れ去られたのか 突然消えた〝女性記者〟」『昭和・平成「未解決事件」100 - 衝撃の新説はこれだ!』編集部編、、2016年、130-131頁。 『日弁連 人権侵犯申立事件 警告・勧告・要望例集』4 1988〜2004年度 行政・制度、捜査機関、裁判所、刑務所・拘置所による侵害、人権擁護委員会編、、2005年。 雑誌 [ ]• 「警察はそこまでやるか - ポリグラフ検査強要事件」『』第23号(秋季号)、、2000年7月、 100-101頁、。 「伊勢雑誌記者失踪 辻出紀子さんの謎は『完全黙秘』男が知る」『』第42巻第17号(通巻第2077号)、、2000年5月、 57-58頁、。 「ポリグラフ検査ビデオ再現 -【一九九九年四月二九日 津警察署にて】」『季刊・刑事弁護』第23号(秋季号)、現代人文社、2000年7月、 106-119頁、 、。 外部リンク [ ]• - 三重県警察• - 特定失踪者問題調査会• - くまの天女座.

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【未解決事件】三重県伊勢市、辻出紀子さん売春島失踪事件

伊勢 市 女性 記者 失踪 事件

手渡している全面カラーのチラシには、黒字でこう大書されている。 〈辻出紀子さん(当時24才)あなたをずっと探し続けています〉 はにかんだ笑顔を見せる紀子さんの顔写真も掲載され、情報提供者への謝礼金上限額は「300万円」に設定されていた。 このまま死ぬわけにはいかない ここは三重県伊勢市にあるショッピングモール。 曇り空が広がる11月24日午前、21年前に行方不明になった紀子さんの父、泰晴さん(72)と母、美千代さん(70)は、用意された4500枚のチラシを配り続けた。 そばには中型のテレビ画面が設置され、職場でインタビューを受ける紀子さんの様子が映し出されている。 泰晴さんは、集まった報道陣の取材に対し、こう声を振り絞った。 「紀子はたぶん死んでいると思います。 非常にかわいそうです。 今どんな状態でいるのか、それだけが気がかり。 どれだけ身体が悪くなっても、私たちはこのまま死ぬわけにはいきません。 あと何年探し続けるかわかりませんけど、とにかく頑張っていこうと思います」 美千代さんも無念の思いを口にした。 「たぶん生存の可能性がない中、いろいろと想像をめぐらせます。 やはり土に返っているとなると大変悔しい。 解決につながるよい情報をお願いしたい」 雑誌記者だった紀子さんが忽然と姿を消したのは1998年11月24日。 勤務先の「伊勢文化舎」の事務所を午後11時ごろに退社したまま、自宅に帰ってこなかった。 帰りが遅いときは必ず電話をかけてくるはずが、その日は連絡がなかった。 翌朝、紀子さんが運転していた紺色の日産マーチが、職場から約1キロ離れた損保会社の駐車場で発見された。 伊勢署の交通課から連絡を受けた美千代さんは、「紀子が違反駐車をしたのだろう」と軽く受け止めていた。 ところが紀子さんの勤務先に電話をすると、出勤していないことが判明。 瞬く間に不安が募り、泰晴さんとともに現場に駆けつけた。 車のドアはロックがかかった状態で、車内に荒らされた形跡はなかった。 不自然だったのは、車が白線をはみだし、斜めに駐車されていたことだ。 その場で泰晴さんは合鍵を使ってドアを開け、運転して伊勢署まで運んでしまった。 「警察が状況を把握してからでないと、車を動かしてはいけなかった。 そのままにしておけばよかったのが今も悔やまれます」 ただ、車に乗って気づいたことがある。 運転手の座席の位置が、紀子さんの運転時と異なっていたことだ。 続いてエンジンをかけると、いつもは耳にするカーステレオの大音量が、そのときだけは流れなかった。 「運転席に座ったときに、誰かが乗ったような感覚があったんですね。 紀子じゃない別の人が。 こんなに座席の位置がハンドルから離れていたかなと一瞬で感じました」 紀子さんの携帯電話を鳴らしても、留守番電話のモードに切り替わるだけで、反応はなかった。 泰晴さんは翌25日、伊勢署に捜索願を出した。 それから10か月後の翌年9月、三重県警は、紀子さんが事件に巻き込まれた可能性があるとみて、情報提供を呼びかける公開手配に踏み切った。 以来、これまでに捜査員のべ約3万1900人が投入され、88件の情報が寄せられたが、有力な手がかりは得られていない。 好奇心旺盛で旅好き 鶏を小脇に抱え、屈託ない笑みを浮かべる少年たち、たらいの中で水浴びする小さな子ども、物憂げな瞳で何かを訴えかける少女……。 いずれも紀子さんが、学生時代に放浪したアジアの国々で撮影した写真だ。 事件発生後しばらくしてから、これらの写真を集めた写真展が、東京、大阪、伊勢などで開かれた。 ジャーナリストを志望していた紀子さんは、立命館大学法学部時代、タイやミャンマー、バングラデシュなどの国境地帯や難民キャンプを訪問し、そこで出会った子どもたちを被写体に、シャッターを切り続けてきた。 大学卒業後は地元に帰って雑誌記者として就職。 三重県内を飛び回り、自然と遊ぶ、手作り家具などをテーマにした特集記事を担当した。 失踪直前は、世界遺産に指定された熊野古道を取り上げることになり、張り切っていたという。 そんな彼女について当時の編集長は、写真展の冊子に寄せた手記で、こう振り返る。 《知的好奇心に満ちていた辻出紀子は、公私ともに忙しそうだったが、連休が取れると、ひょいと大好きなタイへ出かけていく》 行方不明の前日も、紀子さんは旅先のタイから帰国したばかりだった。 見つかった車のトランクには、タイで買った土産、英会話のテキスト、寝袋などが入っていたが、紀子さんのショルダーバッグはなくなっていた。 美千代さんは、自宅に残された名刺入れを頼りに、取材先や友人、知人ら100人以上に電話をかけ、紀子さんの居場所を尋ねた。 テレビ番組にも出演し、超能力を持つ外国人捜査官や振り子を使った「ダウジング」の日本人の専門家に捜索を依頼した。 警察に重機で林の一角を掘り起こしてもらったこともあるが、いずれも有力な手がかりはなく、出てきたのはせいぜい亀の甲羅ぐらい。 美千代さんが述懐する。 「そんなことしてもどうにもならないのはわかっていましたが、じっとしていられなかったんです。 何かしないと自分の気がすまない。 むなしいかもしれませんが、そうやる以外に方法がなかった」 7年前からは夫婦で四国お遍路や西国三十三所を回り昨年11月にすべて回り終えた。 失踪直前に会っていた男性の存在 辻出夫妻による独自の捜索作業に並行し、紀子さんの失踪をめぐってはこれまで、3つの謎が浮かび上がった。 1つ目は、志摩市的矢湾に浮かぶ渡鹿野島の実態について、紀子さんが取材で暴こうとしたため、何らかに巻き込まれて失踪したという説だ。 この島は別名「売春島」と呼ばれ、タイ人や日本人の売春婦がいたことで知られる。 この説については、美千代さんもネットで把握していた。 「でも面白おかしく騒ぎ立てられているだけだと思っています。 男の人が遊びに行く島というのは知っていますが、紀子からその話を聞いたことはありません」 もし仮に、紀子さんが渡鹿野島に関心を示していたとしても、実の母親には言わないだろう。 アジアの難民キャンプ訪問について、心配させまいと伏せていた前例があるからだ。 そこで、当時、紀子さんと交際していた大手新聞社の記者に尋ねてみると、こう返ってきた。 「ネット上での根拠なきデマです。 地域雑誌の記者でしたので、渡鹿野島については観光地としての側面から関心を持っていたのは事実ですが、島の闇を解明しようという気持ちはなかったです」 2つ目の謎が、2009年9月上旬に産経新聞が報じた「北朝鮮拉致説」だ。 拉致問題を調査している日本の大学教員が、韓国で紀子さんを知っていると証言する脱北者に出会ったことで浮上した。 この点についても前出の記者が解説した。 「数年後、その大学教員から『人違い』だったとの連絡がありました」 しかし辻出夫妻が、北朝鮮による拉致の可能性を排除できない「特定失踪者リスト」に紀子さんを登録してしまったため、ネットでもこの説が出回り続けている。 そして最後の謎が、この事件の真相を握る可能性があるとして、いまだにくすぶり続けている。 それは失踪後に解明された、紀子さんの携帯電話の通話記録から判明した。 先月行われたチラシ配りの際、泰晴さんは報道陣の前で、その謎についてうっかり口を滑らせた。 「20年という長さはですね、人間の身体も蝕まれるし、体調も変わってくる。 変わらない紀子は今どこにいるのですか? 骨のかけらも残っていないと思います。 うちの紀子に何かした男がいれば、まあ、男という言葉を使ってはあれですけど……」 通話記録を紐解いていくと、紀子さんは失踪直前、県内在住のある男性A氏に会っていたことがわかった。 A氏は、紀子さんが取材先で出会った当時30代半ばの自営業者。 失踪当日、紀子さんに複数回電話をかけ、車が見つかった駐車場で深夜、会っていたという。 A氏はその後、東京で知り合った女性を監禁した疑いで三重県警に逮捕され、起訴されたが、津地裁は無罪判決を言い渡した。 拘留中も含め、泰晴さんはA氏に何度も面会に行っている。 「A氏は自分の彼女とケンカしてイライラしていたので、紀子を口説くために会いに来たそうです。 最初は駐車場で会ったと言っていたんです。 でもその後、食事に連れて行った帰りに途中で降ろしたと言い始め、話が食い違ってきたんです」 A氏は、監禁事件で無罪を勝ち取ったらすべてを話すと、弁護士の署名入り書面まで渡してきた。 しかし、その約束はいまだに果たされていない。 1975年三重県生まれ。 上智大学外国語学部卒業。 カメラマンや新聞記者を経てフリーに。 2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。 近著に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。 【辻出紀子さん失踪事件の情報提供をお待ちしています!】 心当たりのあるは、伊勢警察署まで(電話 0596-20-0110).

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