エリザベート。 帝劇『エリザベート』2019年6~8月上演決定、タイトルロールは花總まり/愛希れいか

エリザベート歴代トート役(東宝・帝劇ミュージカル)まとめ※感想つき

エリザベート

生涯 [ ] 王家である傍系のとバイエルン王女の次女として生まれた。 幼少の頃は父マクシミリアンと共に街に出かけ、奏者に扮した父の傍らでチップを貰う少女に扮したり(もちろん住民は、王家に連なる極めて身分の高い公爵と公女であると知りつつも知らぬそぶりで歓迎し、エリザベートは後年、「私が唯一自ら稼いだお金」と言ってそのチップを大切に保管していた)、また狩りに行くなどしていた。 王位継承権からは遠く公務とは無縁であったため自由を満喫していた。 そんな生活は1853年8月、姉の見合い相手だった、母方の従兄である皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められて求婚されたことによって終わりを告げた。 シシィは婚約が決まった翌日からお妃教育を受けさせられたが、不真面目で勉強嫌いの彼女は何度もヒステリーを起こしていたという。 しかし、彼女にとって生涯忘れられない出会いもあった。 お妃教育の一環として彼女に広大なオーストリア帝国の歴史を教えたマイラットは、彼女が最初に出会っただった。 伯爵はの素晴らしさを彼女に密かに吹き込むなど、彼女に多大な影響を与えた。 1854年4月、シシィは16歳で結婚、オーストリア皇后となった。 しかし、自由人だった父の気質を多く受け継いだ彼女は、母方の伯母で姑であるがとりしきる宮廷の厳格さに耐えられず、また、マイラット伯爵の教育を受けたエリーザベトがや当時独立を求めていたに同情的であることを察したゾフィーは、エリーザベトの影響でフランツ・ヨーゼフ1世がハンガリーやイタリアに寛容になることを嫌い、中傷ビラを撒く、エリーザベトが宮殿の外に出た際には暴徒に囲ませる、といった嫌がらせをした。 徐々にエリーザベトは人前に出ることを極度に嫌がり宮廷生活や皇后としての義務や職務を嫌い、に浮かぶなどに療養に行く、夫に同行してイタリアを訪問する、あるいは個人的に旅行に出かけたり病院を慰問したりと、生涯に亘りさまざまな口実を見つけてはから逃避し続けた。 ジュラ・アンドラーシ伯爵 特にエリーザベトが心安らぐ最高の場所としたのは、当時オーストリア帝国の一部であったハンガリーであった。 ゾフィー大公妃がマジャル人嫌いだったこともあり、エリーザベトは死ぬまでハンガリーを熱愛し続けた。 その熱意は勉強嫌いの彼女が、短期間でハンガリー語を身につけ、皇帝とハンガリー貴族の通訳を出来るほどであった。 穏健独立派のハンガリー貴族伯爵と知り合い、の敗北を受けて、翌にハンガリーの自治権を認めた(妥協)を締結するにあたっては陰の推進者の役割を果たした。 アンドラーシはアウスグライヒ後のの初代首相、帝国外相となる。 エリーザベトの晩年最大の悲劇は、息子の自殺であった(1889年、暗殺説もあったが、のちにルドルフの心中相手が自分の母宛に送った遺書が発見された)。 夫の死後喪服を着続けたに倣い、その後彼女は死ぬまでを脱ぐことはなかった。 1898年9月、旅行中の・のほとりで、イタリア人のに鋭く研ぎ澄まされた短剣のようなヤスリで心臓を刺されて殺害され、その生涯を閉じた。 人物 [ ] ルートヴィヒ2世• 当時のヨーロッパ宮廷一といわれた美貌に加え、身長172cmと背が高く、51センチで体重は生涯43〜47キロという驚異の体形の持ち主だった。 美貌と痩身であることに執念を燃やし過酷なや美容方法でそれを維持していたが、年を取るにつれて皺とシミだらけになった顔を分厚い黒のと革製の高価な扇や日傘で隠すようになり、それが彼女の晩年の立ち居振る舞いを表す姿として伝説となっている。 交友関係では、とは親しくなかったが、その息子のとは、ルドルフ皇太子と共に親しかったという。 他には、フランツ・ヨーゼフ1世の弟の妃で義妹の王女との仲は険悪だったが、同名の妃(カルメン・シルヴァの筆名で知られる)とは、ドイツの王家出身、皇后・王妃でありながら・の否定、王侯貴族に対する激しい憎悪、王侯貴族などの気に入らない人物に対する辛辣な批判、浪費癖、現実離れした夢想家、破綻した結婚への嫌悪感、宮廷での孤立、死への異常なまでの関心、詩作、古代ギリシア文化への傾倒など、数え切れない程多くの共通点があり親交があった。 彼女は詩人の中では、「革命詩人」と呼ばれるを好み、彼のことを深く尊敬し、「師」と呼んでいた。 また、エリーザベトはハイネの作品を知り尽くしており、専門家として彼女に教えを乞いに来る人もいた程だった。 従甥で「狂王」と呼ばれるとも一時期親しかったという。 彼らは世間や堅苦しい宮廷を嫌って逃避行を繰り返し義務を放棄して快楽に耽り、精神を病んで奇行を連発する桁外れの浪費家同士で意気投合したとされるが、ルートヴィヒ2世は彼女に片思いをしていたため(ルートヴィヒ2世は同性愛者だったため、あくまでも純粋な友情に過ぎないとする説もある)、王の前途を心配したエリーザベトは妹のと婚約させようと計画した。 しかし、ルートヴィヒ2世は全く関心を示さず、婚約は破棄された。 エリーザベトはこれに激怒し、二人の仲は険悪になり、それが後にルートヴィヒ2世を現実逃避させて精神状態を急速に悪化させ、国費を浪費する遠因になったとも考えられる。 しかしエリーザベトは、ルートヴィヒ2世が逝去した際にはたいへんなショックを受け、家族の皆が深刻に心配する程精神状態が悪化した。 によるエリーザベト皇后(左)とウジェニー皇后(右)の肖像。 エリーザベト皇后のドレスはによるデザイン• 1865年には、前年にエリーザベトの肖像画も描いたから彼女の話を聞いた皇后がエリーザベトに興味を持ち、翌年オーストリアのバート・キッシンゲンで保養に行く際に私的に表敬訪問したいと申し出たが、彼女は気乗りがしなかったらしくこの申し出を断っている。 しかし6月19日、が皇帝の座に就けたマクシミリアンがケレタロで銃殺刑に処されたため、この年の8月にナポレオン3世とが、オーストリアとの一種の調停訪問を目論み、での2人の美貌の皇后の対面が実現した。 マクシミリアンの事があったため、ザルツブルク市民はフランス皇帝夫妻を冷ややかに迎えたが、2人の美しい皇后が見られるということには大変関心を寄せた。 そしていざ実物を見てみると、王族の出ではないウジェニーではあったが、エリーザベトの生まれつき兼ね備えた威厳や美しさと比べてもなんら遜色ないと市民たちの目には映った。 ただし保守的なザルツブルク市民たちは、ウジェニーの服装が最新のパリ・モードにそってスカートの裾があだっぽく絡げてあるため、足がのぞいて見えるのをはしたないことと見なした。 2人の皇后が並んで立つと、長身のエリーザベトに比べ、ウジェニーのほうがだいぶ小柄だったという。 またエリーザベトはイギリスの妃の美貌と自身の美貌とどちらが優れているかを気にしていたが、実際はアレクサンドラは非常に背が低く胴長短足であるうえ、首に醜い手術痕があり、頭には奇妙なへこみがあるなど、容姿はエリーザベトより劣っていた。 しかしエリーザベトにも、面長で顎がしゃくれている点や、極端な撫で肩、鼻の穴が大きい(ヴィクトリア女王も「鼻の形は美しくない」と漏らしていた)、手足が丸太のように太いという欠点があった。 特に本人が最も気にしていたのは、歯並びが悪く黄ばんでいることだった。 見合いの席でゾフィー大公妃はそれを指摘し、彼女に「歯を磨くように」と言いつけている。 エリーザベトはそれを気にするあまり、毎日懸命に歯を磨き、人前では常に口をきつく結んでほとんど話さず、話す時には扇子で口を隠していた。 しかし、肖像画ではこれらの欠点は見事に隠され、美化されている。 夫のフランツ・ヨーゼフ1世に宛てて書いた手紙の「確かにヴィクトリア女王はとても親切な方でした。 でも、私にとっては得体が知れないのです……」という言葉からわかるとおり、エリーザベトは人の好き嫌いが激しく気難しい性質だったため、ゾフィー大公妃の選んだ気に入らない女官を全員解雇して周囲をお気に入りのマジャル人侍女のみで固め、女官には徹底的に控えめに振舞うこと、ウィーンから離れた生活に耐え自分の旅行にずっとついて来ること、数時間ぶっ続けの激しい早歩きにずっとついて来ること、生涯独身を貫くことなどを要求した。 また自分とは正反対の、良妻賢母として知られるマリア・テレジアを敬愛し、病人や障害者、貧しい民衆に同情するなどの一面もあったが、最後まで皇后・妻・母としての役目を果たすことを一切放棄かつ拒否し続け、欲望のままに放縦な生活を送り続けた。 エリーザベトの贅沢ぶりは凄まじく、宝石・ドレス・名馬の購入、若さと美しさを保つための桁外れの美容への出費、ギリシアのに絢爛豪華な城「アキレイオン」の建設、彼女個人あるいは皇室の所有するあらゆる宮殿・城・別荘の増改築、彼女専用の贅を尽くした船や列車を利用しての豪華旅行などを税金で行っていた。 だが、生来の気まぐれな性質から一箇所にとどまることができず、乗馬や巨費を投じて建てたアキレイオンなどにもすぐに飽きてしまった。 皇后でありながら君主制を否定した「進歩的な女性」と評されることもあるエリーザベトだが、一方で尊大、傲慢、狭量かつ権威主義的であるのみならず、皇后・妻・母としての役目は全て放棄かつ拒否しながら、その特権のみほしいままに享受し続け、皇后としての莫大な資産によってヨーロッパ・北アフリカ各地を旅行したり法外な額の買い物をしたりするなど、自己中心的で傍若無人な振る舞いが非常に多かったとされる。 当時のベルギー大使夫人は、「この女性は本当に狂っています。 こんな皇后がいるのにオーストリアが共和国にならないのは、この国の国民がまだ寛大だからです」と書いている。 ただしハンガリー統治に関しては非常な関心と情熱を傾けたため、過去に近隣の大国に翻弄され、分割・被支配とさまざまな苦難の歴史をたどったハンガリーが現在平和な独立国家となった礎を築いた人物として、今もハンガリーの人々には慕われている。 そして彼女が嫌ったウィーンにおいても観光のシンボルとして肖像画を見ることができる。 子女 [ ]• (1855年 - 1857年)• (1856年 - 1932年)• (1858年 - 1889年) オーストリア皇太子• (1868年 - 1924年) 参考文献 [ ]• カトリーヌ・クレマン『皇妃エリザベート』監修、田辺希久子訳、、1997年、190頁。 ブリギッテ・ハーマン『エリーザベト - 美しき皇妃の伝説』上巻、中村康之訳、、2001年、339頁、下巻、中村康之訳、朝日新聞社、2001年、329頁。 マリー・ルイーゼ・フォン・インゲンハイム『皇妃エリザベート』『皇妃エリザベート ハプスブルクの涙』訳、、1996年、332頁・297頁。 ビッヒラー『エリザベートの真実』訳、集英社文庫、1998年、278頁。 マルタ・シャート『皇妃エリザベートの生涯』訳、集英社文庫、2000年、245頁。 シェーファー『エリザベート』大津留 厚監訳・永島とも子訳、2000年• 『マンガ 皇妃エリザベート』ジャン・デ・カール原作、、2001年、435頁。 『 皇妃エリザベート永遠の美』、2006年、144頁。 関連作品 [ ]• 『双頭の鷲』:の。 映画ではが、舞台ではがエリーザベトを演じた。 『』:ウィーン発のミュージカル。 日本でも(『』)などが上演しヒットした。 『』『』『』(3部作):エリーザベトの若き日(公女時代)を描いたオーストリア映画。 『エリザベート〜愛と哀しみの皇妃』(・・合作のテレビ映画)• 『エルジェーベト』:のコミック。 演じた俳優 [ ] 映画 [ ]• ミュージカル「」日本版 [ ] 宝塚歌劇団版(本公演) [ ]• (1996年・1998年)• (1996年)• (2002年)• (2002年花組・大鳥れいの代役)• (2005年)• (2007年雪組)• (2009年月組)• (2014年花組)• (2016年宙組)• (2018年月組) 東宝版 [ ]• (2000年・2001年・2004年・2005年・2006年)• (2008 - 2009年)• (2008 - 2009年・2010年)• (2010年・2012年)• (2012年)• (2015年・2016年・2019年・2020年 予定• (2015年・2016年)• 2019年・2020年 予定 その他の舞台 [ ]• 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 エリーザベト オーストリア皇后 に関連する および があります。 - 孫娘(長男ルドルフの娘)。 脚注 [ ] [].

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ミュージカル『エリザベート』 |公演案内|福岡の演劇専用劇場 博多座

エリザベート

ハプスブルク家、最後の皇妃 エリザベート 絶世の美女 エリザベート皇妃の数奇な運命 | | | | | | | | | | | | | | | | フランツ・ヨーゼフ1世 戦争は他に者に任せておくがいい、 幸いなるかなオーストリアよ、汝は結婚すべし 13世紀に勃興して20世紀初頭まで 約650年という長きに渡ってヨーロッパに君臨したハプスブルク家は、 巧みな結婚政策によって勢力を拡大し、 神聖ローマ皇帝の皇帝位をほぼ独占したそうです。 フランツ・クサファー・ヴィンターハルター作《オーストリア皇妃エリザベート》 1865年 28歳のエリザベート エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ。 オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。 「シシー」の愛称で知られているそうです。 運命のいたずらなのか、舞い込んで来るはずもなかった皇妃になった時から、 運命の歯車は奇妙な軋みをたて始めたそう。 エリザベートはバイエルン王家(ドイツ)である ヴィッテルスバッハ家傍系に次女として生まれました。 王位継承権からは遠く、公務とは無縁の彼女は、 少女時代、狩にいくなど自由闊達に過ごしていたそうです。 ハンガリー王妃戴冠時のエリーザベート ハプスブルク家は、家訓「戦争は他の者に任せておくがいい、 幸いなるかなオーストリアよ、汝は結婚すべし」に倣(なら)い、 若き皇帝フランツ・ヨーゼフの后 きさき にプロセインとの縁組を目論見ますが、 ビスマルクの横槍が入ってあえなく挫折してしまったそう。 次にバイエルン王国のプリンセス、エリザベートの姉である ヘレーネとの縁組を画策したそうです。 シシー15歳。 姉のヘレーネとオーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフとの お見合いのため、母とつきそいのシシーは、 オーストリアのバート・イシュルに向かったそう。 ところが、フランツ・ヨーゼフは自由闊達にのびのび振舞う愛らしい シシーに一目ぼれしてしまったそうです。 皇妃となるための詰め込み教育が始まると、 狩やサーカスが大好きで勉強嫌いだったら彼女は、 ストレスから何度もヒストリーを起こしたそうです。 フランツ・ヨーゼフ1世の母 ゾフィー大公妃 ハプスブルク家の一員になるも、さしたる覚悟も準備もなく、 社交界も知らず、宮廷で規則ずくめの毎日、山ほどの公式行事に、 たちまち悲鳴をあげたそう。 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の母ゾフィからしてみれば、 皇妃となった以上、個を殺して帝国の安定第一と心得なければ この動乱のヨーロッパを乗り切れない。 おしゃれや遊びを優先させる嫁に自覚を促そうと必死だったようです。 結婚翌年、早くも長女が生まれます。 ゾフィにしてみれば、大事な孫をこんな未熟な嫁に預けられない... しかし、エリザベートはゾフィの反対を押し切り、 無理やりその娘をハンガリーの長旅へ連れ出し、病死させてしまったそうです。 それ以来、エリザベートは子育てを諦め、 ゾフィはますます嫁への不信感を募らせていったそう。 エリザベートは3人も子供生みながら、 身長170cm、体重50Kg、ウエスト50cmという ファッションモデルのようなプロポーションを維持していたそうです。 このプロポーションを維持する為、 過激なダイエットに励み、乗馬、フェンシング、吊り輪、 鉄アレイなどもの凄い運動量をこなしたそうです。 また髪の毛は、卵入りコニャックで毎回3時間もかけて手入れしていたそうです。 絶大なる美の力。 1年の大半を国外で暮らし、いわば職場放棄をしていても 民衆のエリザベート人気は揺るがませんでした。 しかし、美には時間という敵が... エリザベートは若さを失っていくにつれて人前に 顔をさらすのを極端に嫌がったそうです。 エリザベートの息子ルドルフは、 ゾフィーのもとで次期皇帝として手塩に育てられました。 エリザベートは我が子でありながらわが子のように思えず、 互いの感情はすれ違ったままだったそうです。 ルドルフは、 母から拒絶されていると感じたこと、 肉体的に頑健でなかったこと、 結婚したベルギー王女との関係は不和であったこと、 そして父親と政治的に対立するようになったこと などがあり、 31歳、マイヤーリンクの狩猟館で、 17歳の男爵令嬢とピストル心中をはかりました。 エリザベートは旅先から駆けつけ、柩にとりすがりって悲観にくれ、 その後、死ぬまで喪服を脱がなかったそうです。 暗殺される前の最後の写真だそう 1898年、初秋のスイス。 エリザベートが蒸気船に乗るために湖畔を歩いていると、 男が体当たりして彼女をたおした。 細いヤスリで心臓を一突きされたため、ほとんど出血はなかったそうです。 犯人は、イタリア人アナーキスト。 男は犯行理由を「王族なら誰でも良かった」。 エリザベート享年61歳。

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ハプスブルク家、最後の皇妃 エリザベート

エリザベート

ミュージカル 『エリザベート』(製作:東宝株式会社)が新キャストを迎え、東京・日比谷の帝国劇場で2019年6月7日(金)~8月26日(月)に3ヵ月連続上演されることが明らかとなった。 東宝版としては3年ぶりの上演となる。 2019年の同公演の主要キャストとして、オーストリア皇后エリザベート役に 花總まり/ 愛希れいか(Wキャスト)、黄泉の帝王トート役に 井上芳雄/ 古川雄大(Wキャスト)、皇后暗殺者ルイジ・ルキーニ役に 山崎育三郎/ 成河(Wキャスト)、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ役に 田代万里生/ 平方元基(Wキャスト)、オーストリア皇太子ルドルフ役に 京本大我(SixTONES)/ 三浦涼介/ 木村達成(トリプルキャスト)、ルドヴィカ/マダム・ヴォルフ役に 未来優希、皇太后ゾフィー役に 剣 幸/ 涼風真世/ 香寿たつき(トリプルキャスト)が発表された。 タイトルロールのエリザベート役として、宝塚版オリジナルキャストだった花總まりが2015、2016年に続き登場。 そして、2018年8月~11月に宝塚歌劇団月組公演『エリザベート -愛と死の輪舞-』でエリザベート役を演じて宝塚歌劇団を退団したは、2019年6月からの東宝版での同役で退団後の記念すべき初舞台・初主演を飾ることとなった。 また、黄泉の帝王・トート役には2015、2016年から同役で新境地を開いた井上芳雄と、2018年『モーツァルト』でタイトルロールを見事に演じた古川雄大(2012・2015・2016年ルドルフ役)が演じる。 皇后暗殺者ルイジ・ルキーニ役は山崎育三郎と成河が前回に続き演じる。 さらに今回の初役として、フランツ役を田代万里生と共に演じる平方元基(2012年ルドルフ役)、ルドルフ役を京本大我と共に演じる三浦涼介・木村達成も新たに注目されるところだ。 1992年オーストリアはアン・デア・ウィーン劇場での初演以来、今日まで世界中で演じられ(2018年12月現在は隣国韓国で上演中)、日本では1996年宝塚歌劇団雪組による宝塚版の上演を皮切りに、帝国劇場での東宝版も2000年以来繰り返し上演され、観客を魅了し続けてきた。 脚本/作詞はミヒャエル・クンツェ、音楽/編曲はシルヴェスター・リーヴァイ。 演出/訳詞は小池修一郎。 なお、イープラスは、今回の公演期間中に8回の貸切公演を実施する。 詳細は後日改めて発表される。 以下に東宝公式サイトのキャストスケジュールを転載する。

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