西友 赤羽。 西友赤羽店(合同会社西友赤羽本部)

【赤羽散歩】 スーパーの仁義なき戦い 赤羽戦争編

西友 赤羽

西友赤羽店(合同会社西友赤羽本部) > >西友赤羽 店 西友 赤羽店 西友の本部がある店舗。 事実上の本店ということでしょうか。 かつては1号店・2号店の2館体制でしたが現在は旧2号店の建物で営業しています。 赤羽には本部の事務所、旧1号店(現在は専門店ビル赤羽METS)、旧2号店(現在の西友赤羽店)の3つの建物があります。 今回は建物がいっぱいあって分かりにくいので本部のある建物を「事務所棟」、かつての1号店で現在の赤羽METSを「旧1号店」、現在の西友赤羽店を「旧2号店」とします。 今回の使用機材:FinePix F550EXR まず大通りから見えるのは西友赤羽本部の入る事務所棟。 屋上広告塔もあり店舗のようですが店舗はこの奥にあります。 でかいウォルマートのロゴが。 着々と侵攻計画が進んでます。 ウォルマートジャパンホールディングスと西友の連名。 そのうちウォルマートジャパンのほうが西友を吸収して全店舗ウォルマート化…とかになりそうで怖いです。 そして漢字の「西友」ロゴってまだ使ってたんですね。 合同会社西友・赤羽本部。 こうしてみるとやっぱり店舗に見えます…が実際の店舗へは右側にある入り口から奥に行った所に。 店舗への入り口です。 中はこんな感じで事務所棟を抜けて丁度裏側にある店舗へと繋がっています。 なんかおしゃれな店舗入り口。 さすが本部。 裏手にまわって旧2号店の全景。 なかなか古そう。 もともとは1974年に開店した建物です。 見た感じ4階建てくらいでGMSタイプに見えますが地下1階と1階のみの営業で上の階は閉鎖されています。 壁の装飾が当時の西友らしいですね。 ガラスではありませんが同期のと似た意匠。 大規模小売店舗。 まだ株式会社西友です。 昭和49年10月25日。 角の部分にあるメイン入り口と思われる部分は閉鎖されていて奥の入り口にまわるよう伝えるお知らせが貼ってあります。 その入り口はこっち。 建物は端のほうが何故か斜めにカットされたようになっていてユニークです。 70年代の西友に共通するシンメトリー階段もばっちりありました…が上の階は閉鎖中。 店内は完全にウォルマート仕様のアメリカンな感じに改装されていました。 入り口が決められていてゲートがあり冷凍食品や飲み物は大きな扉の冷蔵庫に入っています。 古そうなエスカレーターもありました。 丸ボディではなくすっきりしたストレートタイプ。 青いベルトがウォルマートカラーの青といい感じにマッチしてます。 三菱製。 年季の入ったランディングプレートがこの建物の古さを物語っています。 事務所棟と旧2号館の位置関係はこんな感じ。 旧2号館は手前のマンションと銀行の裏側から事務所棟の裏まで続いています。 で、これが本来の西友赤羽店、旧1号館だったビルです。 正式名称は「赤羽第一葉山ビル」で1966年竣工。 1996年から「赤羽METS」という専門店ビルになって本屋、TSUTAYA、スポーツ用品店、カラオケ館などが入居しています。 垂れ幕をかける部分があるのは西友だった名残りでしょうか。 横からの図。 店内は平成3年に全面改装されたらしく綺麗でした。 エスカレーターも平成初頭な感じです。 グレーのベルトも90年代前半っぽさを演出。 こっちも旧2号館と同じく三菱でした。 壁に謎の装飾が。 ビルの名前が分かる駐車場入り口。 大規模小売店舗。 元々ここには「オリンピア映画劇場(後に「中央映画劇場」)」という映画館がありました。 そこの跡地に1966年、映画館を運営していたオリンピア興業がビル(赤羽第一葉山ビル)を建ててテナントに西友が入居し「西友ストアー赤羽店」が開店。 西友店舗の中でも上位の売り上げを誇る店舗に成長します。 しかし後の1969年、近くにダイエー赤羽店が開店。 西友とダイエーは「赤羽戦争」と言われるほど激しい競争を繰り広げます。 A館とB館の2館体制で現れたダイエーは当時都内最大のスーパーでした。 そしてその対抗策として1974年、西友も2号店を開店しお互いに2館体制に。 しかしダイエーはいったん閉店し旧A館の土地のみに縮小して新規開業予定、西友も旧2号店部分のみでの営業とかつての勢いはどこへやら、お互いに元気が無くなったようです。 最後に旧1号店と事務所棟の位置関係。 大通りを挟んで斜め向かいにあります。

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西友 赤羽店 (SEIYU)

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各種メディアでも報道されておりますが、西友本部オフィス(北区赤羽)勤務の従業員が、新型コロナウイルスに感染したとの報道がありました。 私の元へもお問い合わせを多々いただいており、誤った情報も流れているようですので、まとめたいと思います。 発熱なし。 3月8日:発熱、咳、倦怠感が生じ、医療機関を受診。 自宅療養しながら在宅勤務。 3月13日:症状悪化により、他の医療機関を紹介され受診。 その日のうちに入院し、PCR検査結果が陽性。 濃厚接触者となりうる従業員の自宅待機を指示し、その健康状態の経過観察。 また、発覚してから西友は、速やかに東京都北区保健所と連携し、感染拡大防止策を実施されていることから、区民の皆様がそこまで大きく不安になられることはないのではないかと思っています。 さらには 「なぜ西友はこのことを発表していうのに、北区は黙っているのか?」 とのお問い合わせもありました。 これについてもご説明します。 北区では、新型コロナウイルス感染症の対策等を検討するため、2月7日に区長を本部長とする「北区危機管理対策本部」を設置しました。 第8回危機管理対策本部会議(3月12日開催)において、 「区内における感染者発生時の公表の考え方」を決定しました。 (添付写真参照) こちらで、公表の対象となっているのは (1)区施設等で感染が発生した場合 (2)区施設等の利用者等が感染した場合 (3)区職員等が感染した場合 の3つとなっており 今回は対象外であることから、区としての公表はされておりません。 なお、公表される場合には 感染者の年代、性別、居住地(都内・都外)、症状・経過、渡航歴及び行動歴、公衆衛生上の対策等が公になり 感染者のプライバシーの保護に十分配慮しつつ、関係者等の同意を得たうえで実施します。 私がこちらに掲載した情報は、全て公開されている内容ですが 区民の皆様へ正しく届いておらず、不安や不満が広がっていると感じています。 正しく知れば、安心もできます。 区民の皆様の安全で安心な生活のために 引き続き、分かりやすい発信に努めていきます。

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西友news|赤羽本部オフィス勤務の従業員1名が新型コロナウイルス感染

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西友赤羽店に西日本からの刺客が 大量消費、大量生産という言葉には、もはやノスタルジーさえ感じるこの頃であるが、当時は価格安い大量の商品を揃えることは正義であった。 とにかく競争相手よりもよい品を1円でも安く消費者に提供することが求められた時代であった。 さて、赤羽の話である。 この街を元々領地としてたスーパーは、西友赤羽店であった。 当時、西武鉄道ないし西武百貨店の傘下であった西友は、本拠地の池袋にも近いこの赤羽は絶対に落とせない街であったのだろう。 地上7階建ての大型店舗を作り上げた。 この店舗は全国10位以内のトップクラスであったということに、西友がいかに赤羽を重要視していたかが分かる。 そんな赤羽を虎視眈々と狙っていたのが、価格破壊の旗印を掲げて西日本から攻め上がってきたダイエーだ。 スーパーマーケット界のカリスマであった総帥中内功の元、首都圏攻勢を狙っていて、この赤羽に拠点を築こうとしてたのであった。 満を持して開店したダイエー赤羽店は、東京23区で初となる店舗面積1万㎡クラスの大規模総合スーパーであったという。 大型店対大型店。 超弩級戦艦同士の海戦を思わせるような戦いである。 西友赤羽店とダイエー赤羽店は、今後の首都圏での覇権をかけて、この赤羽でぶつかりあったのである。 当時の戦いで重要な要素は、価格でる。 西友に戦いを挑んだダイエーの戦略はこうだ。 爆発的に安い価格を広告などを使って消費者に提示し、お店に呼びこむ。 釣られたお客さん達は、その価格の安さと溢れんばかりの店頭の商品に惹かれて、どんどん買物をしてしまうという。 もちろん西友も負けてない。 ダイエーの価格よりも安い価格を提示し、取られそうになるお客さんを取り戻すのだ。 相手の価格が出てきたら、それよりも1円でも安い価格を提示する、すると再び相手も1円でも安い価格を提示する。 この繰返しだ。 言うならばこれは消耗戦であり、どちらかが倒れるまでの殴り合いである。 そしてこの赤羽戦争、結果としてはダイエーが勝ったという。 やはり価格破壊の代名詞であったダイエーは、こういう戦い方に慣れていたのであろう。 なんだかんだ言って百貨店傘下であった西友よりも、戦争を生き延びて闇市上がりの中内功率いるダイエーの方に分があったのだ。 一般大衆の街、赤羽でのダイエーの勝利は、大衆が力を持ってくるこの時代の覇権を予感させるものであった。 (なお価格競争に負けた西友はこの後、高級化路線に進んだという。 ) そして現在。。 今でも続く赤羽戦争 さて、時代は進む。 赤羽戦争を征しスーパーマーケット界の覇権を進んだダイエーも、バブル崩壊し失われた20年になると経営不振が表面化しイオンの配下へと降ることになった。 不採算店の廃止は進んだが、 赤羽店は存続している。 首都圏戦争の旗艦店であった旧来の店舗は2009年に建て直しを行い、新しい店舗はライフスタイル消費を重視した売り場へと変化している。 一方の西友は親会社のセゾングループ・西武百貨店は解体し、米国ウォルマートの傘下となった。 米国流の超超弩級の大量消費方式による価格安い(KY)戦略を行っているのである。 西友の高級化路線のひとつであったプライベートブランドは無印良品としてその後独立し、「シンプル is Best」の現在において強固なファンを持っているのである。 なお、ウォルマート傘下の西友における現在の本店はこの赤羽店である。 さて、赤羽において赤羽戦争後に西口に進出してきたのが、イトーヨーカ堂である。 セブン-イレブンで鍛えたPOSシステムと顧客重視の商品戦略は消費業界の巨頭として存在感を示す。 このように赤羽は庶民の消費生活の実験場さながらに、各スーパーマーケットが並んでいる。 また、駅前のファッションビルにはユニクロをはじめとする、各種専門店が入っている。 東口のララガーデン商店街は、チェーン店の飲食店が多いし、昔からのお店もある。 さらには、首都圏における人の流れを征するとされるJR東日本傘下の商業エリアもあるのだ。 というわけで、今の赤羽の勢力図はこんな感じです。 これらの店舗が時代の流れに合わせてどのように変化していくのか。 消費生活がどうなっていくのか。 それを観察出来そうな街ですね。

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