名越稔洋。 宇多丸、名越稔洋氏に超濃厚生インタビュー。「龍が如く7」がシリーズで最も「抜けがイイ」理由は?

【後編】セガゲームス/セガ・インタラクティブ 名越 稔洋さん

名越稔洋

『デイトナUSA』や『龍が如く』シリーズなど、セガの歴史を彩るヒット作を手掛けてきた立役者。 現在はゲームクリエイターと経営者という、二足のわらじを履いて活躍する。 長らくセガで働いてきた身として、60周年を迎えた率直な感想を教えていただけますか。 名越まず「そんなになるんだなあ」というのが正直な気持ちですね。 俺にとっては、あっという間の30年でしたけど、会社は大きく変わりました。 俺が入ったころですら、最初にジュークボックスなどを輸入して代行販売していた方たちにしてみれば、想像できないと思いますからね。 セガの60年というのは、大きなパラダイムシフトのくり返しで積み上げられた歴史でしたし。 そういう意味では感慨深いです、本当に。 それはたぶん変わっていない。 ただ、挑戦というのは過程でしかなくて。 本当に変わらないものは、ほかにあるんです。 ある意味、挑戦することの原点になるんですけれど。 これが、いちばん変わらない部分だと思います。 そういう時代を作ってしまったことも含め、それらはピュアさが招いたものだと思うんです。 「こういうモノがあったら世の中はびっくりして喜ぶよね?」みたいな夢を描いたら、みんなそれに猪突猛進しちゃう。 よく言われる「セガは10年早い」というアレですね? 名越そうそう。 「失敗したら倒産しない?」という議論はありつつも、「出せたらスゴいし、成功したらもっとスゴい!」という気持ちのほうが強くて、突き進んでしまうという。 子どもっぽいというか(笑)。 彼らが同じ会社にいて、そういうスタイルでモノを作っていたので、必然的にそれが教科書になって……知らず知らず、俺自身も影響されたと思いますね。 天才的なプログラマーとしても名を馳せた。 さらに『』を制作し、セガの黄金期に貢献した。 2004年から2007年まではセガの代表取締役も務めている。 これは早かったと思うし、成功していまでも残っていますよね。 また、ゲームセンターで満足できず、ジョイポリスのような施設を全国に作ったことも10年早かったと思います。 これはビジネスとして成功したとは言えませんでしたけれど、そのエッセンスがいまのVR施設のようなものになっている。 「10年早かったな」としみじみ思いますね。 そういった挑戦の歴史がある中で、いまセガの最前線で働いている方たちにも、そういうチャレンジ精神は受け継いでいってほしいと思われますか? 名越そうですね。 とは言え、いまでも「それ本気かよ?」というような企画が、平気でテーブルに上がる会社ではありますね(笑)。 逆にまた、「本気かよ?」と思うようなものほど、おもしろそうだなと思ってしまったりして。 名越そうなんです。 そういう意味では、ピュアさやチャレンジ精神といったものは、いま現役の世代にも受け継がれていると思います。 そのある種の二律背反に対する判断基準のようなものはありますか? 名越もちろん会社なので、常識でわかる範囲のマーケティングはします。 ただ、完璧にデータが揃ったアイデアは、たぶんどこかの何かに似たものでしかない気がするんですよ。 個人的には「それをセガで出す意味はあるのかな?」と思います。 名越とは言え、売るための根拠がなさすぎても納得できない。 でも振り返れば、根拠がないのはいい兆候でもあることを、そのときに学びました。 かなり前向きな意味でですが(笑)。 でも、結果的に承認されたわけですから……。 名越いや、もう本当にしかたなくという感じでしたよ。 『龍が如く』を作った当時の俺は、セガに入って15年くらい経ってこなれていたので、安定した利益の出る企画をやることもできたんです。 でも、ハードから撤退したセガが新しい価値観が作れるかどうかを問われている時代でもあったので、安易な選択はできなかった。 そういう意味で『龍が如く』は、当時のセガブランドを完全に無視したタイトルだったと思います。 名越ただ、いまの俺は社内で「セガらしい」という言葉を安易に使うことを嫌っています。 その言葉が出てきたら、「何をもってセガらしいと言ってるの?」と、定義を聞くんです。 そして、その内容が過去のものを引用していたりすると「違うよ」と。 逆にそれはセガっぽくない。 名越そうです。 そして世の中は、そんなものをセガに期待していないと思うんですよ。 日本の成人男性をターゲットに開発され、当時のセガとしては珍しく対象年齢が18歳以上のみ(現在は17歳以上対象)だった(写真は『龍が如く 極』)。 名越さんの在籍されていた約30年のあいだで、とくに印象に残っていることは何でしょう? 名越いちばんは、ハード事業からの撤退です。 あのときのテンションの下がりかたはハンパじゃなかった……。 それはつまり、セガのハードを選択してくれたユーザーの信頼を裏切ったことと同義ですから。 それはものすごく辛かったし、本当に申し訳ないと思いました。 一方で、いちソフトハウスとして、ほかのハードでソフトを出せるということに対して、喜びを感じていた人もいましたね。 個人的には、まさにお先真っ暗といった状態でした。 いまはようやく笑い話になりましたけど。 ちなみに、それが笑い話になり始めたのはいつごろですか? 名越わりと最近ですよ(苦笑)。 家庭用で『龍が如く』などのIPがヒットしてくれて、スマホ事業でも利益が出るようになってきて。 それでやっと「過去が笑えるようになったな」と。 もちろん高笑いではなくて、せいぜい「当時はツラかったねぇ、フフッ」程度なんですが。 名越そのくらいかもしれません。 また、新型コロナ後に対する考えかたも、ひとつの分岐点になっていくと思います。 俺が入社したころの花形はアーケードだったし、当時はアーケードあってのセガでした。 当時はそれがずっと続くと思っていましたが、皮肉にも30年後にもっとも存在価値を問われるものになってしまった。 「この先も同じ形でいいのか?」という問題は、つぎのステップへの大きな課題です。 歓迎された話ではありませんが、新型コロナが本当に必要なものをあぶり出している気がします。 個人的には、リアルのファンコミュニティーを充実させていきたいという想いがありますね。 いまの状況では挑戦が難しいのではないですか? 名越そうなんです。 ただ、やはりリアル世界は大切だと思っていて。 コミュニティーがネットだけで完結できるかと言えば、そうではない。 ネットの世界が何で楽しいかと言うと、実世界があるからだと思うんですよ。 名越人間は固有の名前を持つ固有の存在です。 だからこそ匿名の世界で楽しめるという側面があるわけで。 あくまでも、ベースにあるのはリアルな世界だし、リアル世界の楽しみの象徴はやっぱりアーケードだと思うんですよ。 この状態をきっかけに衰退してほしくはないので、リアルなファンコミュニティーを充実させ、どうにかして死守したいと思っています。 この2本のリリース順から学べたことは大きかったです。 『バーチャレーシング』の後に『バーチャファイター』がリリースされたわけですが、じつは基礎技術は同じだったので、『バーチャファイター』を先に出すこともできました。 当時の俺は「『バーチャファイター』のほうがおもしろいんだから、こっちを先に出せばいいのに!」と思っていたんですよ。 結果的には「セガはおもしろい体感ゲームを出すブランドとして世間に認知されているから、まずは『バーチャレーシング』を出す」と決まったのですが、それがひとつの気づきになりました。 「ビジネスを考えたとき、いいものをすぐに出すことが必ずしも正解ではないんだ」と。 その判断は正しくて『バーチャファイター』はヒットしましたが、順序が逆なら世に埋もれていたかもしれなかったですからね。 「そもそもゲームなのか?」と言われたらそれはわからないけれど(笑)。 『シーマン』からヒントを得てクリエイターになった人は山ほどいると思いますよ。 名越いま思えばAIにつながる考えかたなんですが、あの作品が出るまではそれを遊べるものにしようなんて考えもしなかったわけで。 売りかたや、それをゲーム機で遊べるようにしたことも含め、前向きな意味で「何でもアリなんだな」という気持ちにさせてもらえた1本です。 マイクデバイスを使用して人語を話す謎のペット・シーマンとのコミュニケーションを図りながら、育成していくシミュレーションゲーム。 セガが100周年を迎えるために、会社としてすべきことはどんなことでしょう? 名越100周年ですか、難しいですね(笑)。 世の中が進化して、デバイスや技術が変わったとしても「モノを作って純粋に人を喜ばせようとする。 そして喜んでもらえた結果を受けて、クリエイターとして、人間として喜べる」というルーティーンは絶対に変わりようがないと思います。 ただ、それをひとりで達成することは難しいので、チームや会社という単位で実現していく。 そのすばらしさを大事にしていきたいですね。 名越いまはどんどん個の時代になっていますし、若い子は優秀でいきなり会社で通用することも多いんです。 けれど個のスキルが高いと、人間関係が若干希薄になるという側面もある。 それを危ういとまでは思わないものの、時代に合わせて先輩から後輩が学ぶ機会は作っていく必要があると思います。 俺は30年間セガにいましたが、S、E、G、Aという4文字に、やっぱり俺は恩を感じるし、責任もある。 もちろん全部がいい思い出だったかと言えばそんなことはなくて、「会社に火をつけてやろうか」と思うほど腹が立ったことも山ほどあったんですけど(笑)。 名越そういう気持ちもありながら、けっきょく俺はセガに居続けた。 この結果が、魅力のある会社だというひとつの証明だと思うんです。 間違いなく祝えると思います。

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名越稔洋(なごしとしひろ)の昔や過去は?嫁や結婚も気になる!年収もチェック!

名越稔洋

概要 日本の。 1965年6月17日生まれ。 1989年にに入社。 1992年頃に、AM2の部署に入り『』でとして参加。 1994年『』のを担当し記録的大ヒットとなった。 1998年にAM11研部長就任、2000年7月1日にはセガ開発チームの分社化・子会社化に伴い設立された株式会社の代表取締役に就任。 『』等を手掛けた。 2011年8月31日に制作チーム「龍が如くスタジオ」を設立。 その後はセガCCO開発統括本部長、子会社であるインデックス(後の)取締役を歴任し、2015年にセガゲームス並びにセガ・インタラクティブのCPO(最高開発責任者)に就任。 セガの研究開発部門を統括している。 世間的には「」シリーズの開発者として知られ、その風貌は・細身・でかのように見えるが、趣味が集めと意外な一面もある。 そもそも、元からこのような風貌ではなく、初代「龍が如く」を手掛けだした頃から肌を焼き眉を細くし目付きが険しくなっていった。 その為、中肉の風だった昔の彼と今の彼はまるで別人にしか見えない。 しかもニンテンドーダイレクトに出演した時は神室町をバックに故・と登場。 まさかのとのコラボである。 関連タグ 外部リンク 公式ブログ『』 関連記事 親記事.

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セガ60周年スペシャルインタビュー。名越稔洋氏が影響を受けたセガタイトルや“セガらしさ”について語る

名越稔洋

『龍が如く』シリーズ総合監督の 名越稔洋さんとタレントの 椿彩奈さんがセガゲームの情報を皆さんにお届けするゲーム情報バラエティ「」 視聴者からの質問に名越総合監督が本気で答える「名越に生で訊け!」のコーナーで、名越氏は『シェンムー I&II』の監督の鈴木裕氏との関係を語りました。 椿: 「今年のセガフェスで『シェンムー I&II』が発表されました。 質問ですが名越さんは『シェンムー』監督の鈴木裕さんを尊敬していますか?」すごい質問ですね。 「鈴木裕さんを尊敬していますか?」という質問です。 名越: なるほど。 これは「している、していない」って、ちょっと意地悪な質問なのでしょうけど(笑)。 椿: そりゃそうですよ! 名越: いろんなことがありましたし、めちゃくちゃな喧嘩もしましたけど。 椿: 喧嘩されたのですね? 名越: 喧嘩はいっぱいしましたよ(笑)。 もうそれこそディスり合いぐらいの喧嘩はしましたし。 椿: それはゲーム内容についてですか? 名越: 人対人としてもあります(笑)。 一同: (笑) 「すごく大切な人ですから」 名越: それはゲームの話からね(笑)。 でもそこまで話せた人でもあるから。 尊敬できる尊敬できないとか好きとか嫌いとかって同軸上にないじゃないですか? 嫌いだけど尊敬している人もいるし。 椿 : ありますよね。 名越: 好きだけど尊敬できないなという人もいるし。 だからそこは クセが強かったけど尊敬できる人で間違いないですね。 椿: クセが強かったのですね。 名越: もっと違う言い方をすれば すごく大切な人ですから。 だって師匠ですよ。 この人が教えてくれなかったら何も分からなかったので、そこは間違いなく言い切れます。 椿: いいですね。 「もちろん尊敬されています」ということでございます。

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