千と千尋 別エンディング。 【都市伝説】千と千尋の神隠しの幻のエンディング!ハクの八つ裂きシーンは存在する?|RealVoice

『千と千尋の神隠し』感想・評価【後半ネタバレ解説】多くの謎や旅館のモデルなどを考察

千と千尋 別エンディング

トンネルは異界との境界 神話や英雄譚にで必要なものは、主人公がいる世界と物語の舞台となる世界の 境界です。 この千と千尋の神隠しでは、最初にくぐったトンネルがその役割を果たしています。 トンネルを抜けた先が 異界であることは重要な要素なのです。 神話に限らず、小説でもそうですよね。 川端康成の雪国を思い出せば、トンネルがいかに重要な役割を持っているか理解できるでしょう。 世界を分けるシンボルとしてトンネルがよく見られますが、「くぐる」だったり、 視界を一度遮られることが「境界」の象徴なのかもしれませんね。 特に日本人にとってこの構造は非常に分かりやすいものです。 神社を見れば神様の領域と私たちの領域を「 鳥居」という境界で区切っていますよね。 私たちの家でも、内と外が明確に区切られています。 その境界は玄関そのものであったり、靴を脱ぐという儀式であったりします。 千と千尋の神隠しでは、この境界を明示することで、異界であることをはっきりと示している訳です。 行って、帰るのが大事 上でトンネルの話をしましたが、異界に行くのがトンネルなら、異界から 帰ってくるのもトンネルなんです。 そこで大事なのは、「 振り返らない」ということ。 ギリシャ神話のオルフェウスしかり、日本神話のイザナギしかり、神話の主人公たちは、大切なものを取り戻すために異界へと赴きますが、そこで「決して振り返るな」だったり、「見ちゃいけないよ」と言われます。 異界を振り返らないことは、 異界との決別を意味します。 もう来ないよ、の意志表示なんですね。 ただ上述の彼らは異界に行ったものの、大切なものを取り戻しかけたのに禁を破ってしまったので、それを失ってしまったのです。 そう考えると、「千と千尋」の千尋は勇敢でした。 ハクに「決して振り返ってはいけないよ」と言われ、その通りに元の世界に戻ったのです。 前を歩いてくれる母親にしがみついていた、というのもありますが、彼らを取り戻したのは千尋の尽力によるものですから、千尋は大きな力を示し、元の世界に戻ってくるという英雄の姿を実現したのです。 英雄に必要な実力の証明 英雄が必ず行わなければならないのが、 実力の証明です。 ただ振り回されるのではなく、何らかの形で自分の力を示さなくてはならないのです。 ギリシャ神話の英雄の多くは、恐ろしい怪物を倒して実力を示すことが多いです。 メデューサを倒したペルセウスだったり。 ヒュドラを倒したヘラクレスだったり。 千尋の場合はまず、くされ神の浄化が挙げられますね。 他の従業員たちが我先にと逃げる中で、 湯婆婆の命令はありながらも 客として相手をします。 その中で、くされ神に刺さっていたとげのようなもの 自転車 の存在を見抜く力を見せ、他の従業員の力を借りながら彼を浄化しました。 そこで手に入れたアイテムであるお団子によって、ハクの呪いを解いたり、カオナシを救ったりする訳です。 実力の証明は必ずしも自分だけの力で行う必要はありません。 くされ神の浄化だって、カオナシからもらった札があったからこそできたのです。 もちろんカオナシが助けてくれたのは、最初に千尋がその優しさからカオナシを招き入れたことに端を発しているので、手助けをしてもらえるだけの行動をしていたことが大切になります。 宝を手に入れて帰還する 英雄譚では、 悲劇でなければ 最後に 宝を手に入れて元の世界に帰ります。 例えば、怪物の隠していた金銀財宝であったり、怪物がさらったお姫様だったり。 千と千尋の場合は、両親がそれにあたります。 千尋にとってかけがえのないものを取り返し、元の世界に帰る訳です。 とはいえ、英雄譚で手に入れているのは、もとの世界で持っていなかったものです。 千と千尋の場合、両親を異界で失って、異界で取り戻しました。 となると、英雄譚の構造が見えなくなります。 しかしよく考えてみれば、エンディングでトンネルをくぐって元の世界に戻った際、ポニーテールを結んだ 髪飾りが一瞬きらめきます。 そう、これは千尋が異界から持ち帰った宝の象徴なのです。 ものとしては髪飾りですが、これが意味しているのは、「親元を離れている間に受けた、大人からの愛情」ではないでしょうか。 愛情にも様々な種類がありますが、銭婆からの愛は見守る愛、アガペー的な愛なのです。 ただ単に甘やかすのではなく、相手を見守りながら自立するのを助ける愛です。 家へと優しく招き入れ、状況を聞きつつ、「両親のことも、ボーイフレンドのことも、自分でやるしかない」と自立を促します。 そして、見送る時には「あんたなら大丈夫」と背中を押してくれる訳です。 ここは湯婆婆から坊に対する愛情と対照的ですね。 湯婆婆は甘やかしまくりですから。 坊は坊で、千尋と出会ったことで自立へと向かっています。 湯婆婆の部屋という彼にとっての「現世」を離れ、電車という境界を経て異界 銭婆の家 へと赴き、湯婆婆に甘えるだけでない自立へと向かう自分を手に入れて帰還しました。 千尋が両親当てゲームをする前に坊が立ち上がっていたこと、そしてその姿を湯婆婆に見せたことは、自立した精神性の現れと言えます。 名前は自己の定義に必要なもの 千と千尋の神隠しにおいて 名前は大事な役割を果たしています。 異界に迷い込んだときに、千尋は湯婆婆に名前を奪われて「千」と呼ばれるようになります。 自分で自分の名前を名乗ることができない、というのは、自己のアイデンティティの喪失な訳です。 ペルソナ的に言えば、聖エルミン学園でペルソナ様遊びをして気絶した主人公たちは、夢の中でフィレモンに名前を問われます。 ここで名前を名乗るというのが非常に大きな意味を持ちます。 名前というのは アイデンティティの象徴です。 自分と、それ以外を区別するための境界のようなものです。 ペルソナの主人公は、普遍的無意識という個の概念が溶け込んでしまうような世界において、自己を定義する言葉、すなわち名前を名乗ることで、自分自身を定義し、自己の別の側面を認識したことにより「ペルソナ」を使えるようになるのです。 話を千と千尋に戻せば、 名前を失ったハクが自分を見失って暴走していた点が顕著ですね。 「ハク」の本来の名は「ニギハヤミコハクヌシ」でしたが、この名前を奪われる 忘れる ことによって自我の喪失が起こり、湯婆婆にいいように操られていた訳です。 千尋は、ハクのアドバイスもあってか、自分が「千尋」であることを忘れずにいたため、あの異界にありながらそこに染まり切らず、自分の目的を果たすことができたのです。 異界の住人の行動とはかけ離れている姿が描かれていましたね。 それほどまでに、名前は 自己を定義するのに大きな意味を持つのです。 経営者として優秀な湯婆婆 ゲーム的な話から外れますが、個人的に気になったのが湯婆婆って 経営者として優秀な人じゃないか? ってこと。 くされ神が近づいているのを見て、最初は「入れるな」と言っていましたが、それが無理と分かると見るや否や、「さっさとサービスを提供して帰ってもらおう」と判断するのです。 この辺りの判断がいいな、と。 無傷でしのぐのが無理なら、なるべくリスクが少ない方法で切り抜ける、という判断が素早く下せるのが見事。 さらに、リスクを低減させる意味で、新人の千尋と一緒に応対してサポートに回ったのもいいですね。 熟練の従業員がくされ神のにおいや汚れで倒れてしまうのを防ぎつつ、トップである自分も応対に回ることで顧客への敬意を失わず、かつ新人を現場に立たせることで仕事も覚えてもらう、まさに一石三鳥。 その後現場での作業は千尋に任せつつも、上から様子を確認し、他の社員にサポートを指示している点もすばら。 カオナシは暴走した際に従業員に危害を加えており、それを見た湯婆婆が「いくら客とは言え許せぬ! 」と波動拳で応戦したのも、従業員を守る経営者としての姿と言えるでしょう。 お金にがめつい点は、言い換えれば従業員に給料を払うためでもありますから、お金にならない仕事や無駄遣いの部分をきっちり締めるのも経営者らしいな、と。 10年前は「湯婆婆なんでこんな嫌な奴なんだよ……」なんて思ってましたが、働いてから見ると別の感想を持ちますね。 こうして受け手の年齢や成長に従って感想が変わるのもいい物語の証拠なんだと思います。 まとめ ゲーム大好きっ子の視点と言いながら、そのゲームの元になっている神話や英雄譚が話の中心でした。 すみませぬ。 大人になってからジブリ映画を見ると、子供の時とは別の感想を持つのでそれも楽しめますね。

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【ジブリ都市伝説】千と千尋の神隠しのハクの八つ裂きの真相は?名前や性別?

千と千尋 別エンディング

トンネルは異界との境界 神話や英雄譚にで必要なものは、主人公がいる世界と物語の舞台となる世界の 境界です。 この千と千尋の神隠しでは、最初にくぐったトンネルがその役割を果たしています。 トンネルを抜けた先が 異界であることは重要な要素なのです。 神話に限らず、小説でもそうですよね。 川端康成の雪国を思い出せば、トンネルがいかに重要な役割を持っているか理解できるでしょう。 世界を分けるシンボルとしてトンネルがよく見られますが、「くぐる」だったり、 視界を一度遮られることが「境界」の象徴なのかもしれませんね。 特に日本人にとってこの構造は非常に分かりやすいものです。 神社を見れば神様の領域と私たちの領域を「 鳥居」という境界で区切っていますよね。 私たちの家でも、内と外が明確に区切られています。 その境界は玄関そのものであったり、靴を脱ぐという儀式であったりします。 千と千尋の神隠しでは、この境界を明示することで、異界であることをはっきりと示している訳です。 行って、帰るのが大事 上でトンネルの話をしましたが、異界に行くのがトンネルなら、異界から 帰ってくるのもトンネルなんです。 そこで大事なのは、「 振り返らない」ということ。 ギリシャ神話のオルフェウスしかり、日本神話のイザナギしかり、神話の主人公たちは、大切なものを取り戻すために異界へと赴きますが、そこで「決して振り返るな」だったり、「見ちゃいけないよ」と言われます。 異界を振り返らないことは、 異界との決別を意味します。 もう来ないよ、の意志表示なんですね。 ただ上述の彼らは異界に行ったものの、大切なものを取り戻しかけたのに禁を破ってしまったので、それを失ってしまったのです。 そう考えると、「千と千尋」の千尋は勇敢でした。 ハクに「決して振り返ってはいけないよ」と言われ、その通りに元の世界に戻ったのです。 前を歩いてくれる母親にしがみついていた、というのもありますが、彼らを取り戻したのは千尋の尽力によるものですから、千尋は大きな力を示し、元の世界に戻ってくるという英雄の姿を実現したのです。 英雄に必要な実力の証明 英雄が必ず行わなければならないのが、 実力の証明です。 ただ振り回されるのではなく、何らかの形で自分の力を示さなくてはならないのです。 ギリシャ神話の英雄の多くは、恐ろしい怪物を倒して実力を示すことが多いです。 メデューサを倒したペルセウスだったり。 ヒュドラを倒したヘラクレスだったり。 千尋の場合はまず、くされ神の浄化が挙げられますね。 他の従業員たちが我先にと逃げる中で、 湯婆婆の命令はありながらも 客として相手をします。 その中で、くされ神に刺さっていたとげのようなもの 自転車 の存在を見抜く力を見せ、他の従業員の力を借りながら彼を浄化しました。 そこで手に入れたアイテムであるお団子によって、ハクの呪いを解いたり、カオナシを救ったりする訳です。 実力の証明は必ずしも自分だけの力で行う必要はありません。 くされ神の浄化だって、カオナシからもらった札があったからこそできたのです。 もちろんカオナシが助けてくれたのは、最初に千尋がその優しさからカオナシを招き入れたことに端を発しているので、手助けをしてもらえるだけの行動をしていたことが大切になります。 宝を手に入れて帰還する 英雄譚では、 悲劇でなければ 最後に 宝を手に入れて元の世界に帰ります。 例えば、怪物の隠していた金銀財宝であったり、怪物がさらったお姫様だったり。 千と千尋の場合は、両親がそれにあたります。 千尋にとってかけがえのないものを取り返し、元の世界に帰る訳です。 とはいえ、英雄譚で手に入れているのは、もとの世界で持っていなかったものです。 千と千尋の場合、両親を異界で失って、異界で取り戻しました。 となると、英雄譚の構造が見えなくなります。 しかしよく考えてみれば、エンディングでトンネルをくぐって元の世界に戻った際、ポニーテールを結んだ 髪飾りが一瞬きらめきます。 そう、これは千尋が異界から持ち帰った宝の象徴なのです。 ものとしては髪飾りですが、これが意味しているのは、「親元を離れている間に受けた、大人からの愛情」ではないでしょうか。 愛情にも様々な種類がありますが、銭婆からの愛は見守る愛、アガペー的な愛なのです。 ただ単に甘やかすのではなく、相手を見守りながら自立するのを助ける愛です。 家へと優しく招き入れ、状況を聞きつつ、「両親のことも、ボーイフレンドのことも、自分でやるしかない」と自立を促します。 そして、見送る時には「あんたなら大丈夫」と背中を押してくれる訳です。 ここは湯婆婆から坊に対する愛情と対照的ですね。 湯婆婆は甘やかしまくりですから。 坊は坊で、千尋と出会ったことで自立へと向かっています。 湯婆婆の部屋という彼にとっての「現世」を離れ、電車という境界を経て異界 銭婆の家 へと赴き、湯婆婆に甘えるだけでない自立へと向かう自分を手に入れて帰還しました。 千尋が両親当てゲームをする前に坊が立ち上がっていたこと、そしてその姿を湯婆婆に見せたことは、自立した精神性の現れと言えます。 名前は自己の定義に必要なもの 千と千尋の神隠しにおいて 名前は大事な役割を果たしています。 異界に迷い込んだときに、千尋は湯婆婆に名前を奪われて「千」と呼ばれるようになります。 自分で自分の名前を名乗ることができない、というのは、自己のアイデンティティの喪失な訳です。 ペルソナ的に言えば、聖エルミン学園でペルソナ様遊びをして気絶した主人公たちは、夢の中でフィレモンに名前を問われます。 ここで名前を名乗るというのが非常に大きな意味を持ちます。 名前というのは アイデンティティの象徴です。 自分と、それ以外を区別するための境界のようなものです。 ペルソナの主人公は、普遍的無意識という個の概念が溶け込んでしまうような世界において、自己を定義する言葉、すなわち名前を名乗ることで、自分自身を定義し、自己の別の側面を認識したことにより「ペルソナ」を使えるようになるのです。 話を千と千尋に戻せば、 名前を失ったハクが自分を見失って暴走していた点が顕著ですね。 「ハク」の本来の名は「ニギハヤミコハクヌシ」でしたが、この名前を奪われる 忘れる ことによって自我の喪失が起こり、湯婆婆にいいように操られていた訳です。 千尋は、ハクのアドバイスもあってか、自分が「千尋」であることを忘れずにいたため、あの異界にありながらそこに染まり切らず、自分の目的を果たすことができたのです。 異界の住人の行動とはかけ離れている姿が描かれていましたね。 それほどまでに、名前は 自己を定義するのに大きな意味を持つのです。 経営者として優秀な湯婆婆 ゲーム的な話から外れますが、個人的に気になったのが湯婆婆って 経営者として優秀な人じゃないか? ってこと。 くされ神が近づいているのを見て、最初は「入れるな」と言っていましたが、それが無理と分かると見るや否や、「さっさとサービスを提供して帰ってもらおう」と判断するのです。 この辺りの判断がいいな、と。 無傷でしのぐのが無理なら、なるべくリスクが少ない方法で切り抜ける、という判断が素早く下せるのが見事。 さらに、リスクを低減させる意味で、新人の千尋と一緒に応対してサポートに回ったのもいいですね。 熟練の従業員がくされ神のにおいや汚れで倒れてしまうのを防ぎつつ、トップである自分も応対に回ることで顧客への敬意を失わず、かつ新人を現場に立たせることで仕事も覚えてもらう、まさに一石三鳥。 その後現場での作業は千尋に任せつつも、上から様子を確認し、他の社員にサポートを指示している点もすばら。 カオナシは暴走した際に従業員に危害を加えており、それを見た湯婆婆が「いくら客とは言え許せぬ! 」と波動拳で応戦したのも、従業員を守る経営者としての姿と言えるでしょう。 お金にがめつい点は、言い換えれば従業員に給料を払うためでもありますから、お金にならない仕事や無駄遣いの部分をきっちり締めるのも経営者らしいな、と。 10年前は「湯婆婆なんでこんな嫌な奴なんだよ……」なんて思ってましたが、働いてから見ると別の感想を持ちますね。 こうして受け手の年齢や成長に従って感想が変わるのもいい物語の証拠なんだと思います。 まとめ ゲーム大好きっ子の視点と言いながら、そのゲームの元になっている神話や英雄譚が話の中心でした。 すみませぬ。 大人になってからジブリ映画を見ると、子供の時とは別の感想を持つのでそれも楽しめますね。

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千と千尋の幻のラストシーンにかかる考察、人の記憶はあてにならない

千と千尋 別エンディング

「 千と千尋の神隠し」の作品について 「もののけ姫」の公開から4年後。 「千と千尋の神隠し」は、2001年(平成13年)7月20日に公開されると、瞬く間に全国的大ヒットを記録した長編アニメーション映画です。 観客動員数2,350万人、 興行収入304億円という驚異的な数字をたたき出し、現在も 国内における興行収入歴代1位の座は破られていません。 2002年(平成14年)の第52回ベルリン国際映画祭では、 金熊賞を受賞し、2003年(平成15年)には、第75回アカデミー賞の長編アニメ映画賞で オスカーを手にするなど、数多くの輝かしい記録を保持しています。 日本アニメの魅力を世界に知らしめた、普遍的名作です。 作品の魅力 物語の舞台となるのは、八百万の神々が日々の疲れを癒しに訪れる不思議な町。 その中に位置し、千尋が働くことになる湯屋「 油屋」は、数あるジブリ作品の中でも、かなり特長的な佇まいをしています。 しかしながら、どこか昔懐かしい雰囲気を漂わせ、奇妙な既視感と共に、視聴者をファンタジーの世界へ引き込みます。 冒頭の無気力な表情から、りりしく大人びた表情へ変化していく 千尋や、白い竜に変身する白面の少年・ ハク、湯屋「油屋(あぶらや)」を経営する強欲な魔女・ 湯婆婆(ゆばーば)、飲み込んだ相手の声を借りなければ、他者とコミュニケーションが取れない カオナシといった、個性豊かなキャラクターたちも魅力的。 その他にも、超豪華な声優陣や、一度聴いたら忘れられない劇中歌など、まだまだ魅力が満載です。 あらすじ 10歳の少女、荻野千尋は、どこにでもいるごく普通の現代っ子。 引越先へ向かう途中、彼女とその両親は、森の中のトンネルを抜けた先にある、無人の町へ迷い込んでしまいます。 しかしこの場所は、 八百万の神々が疲れを癒す湯治場であり、人間が立ち入ってはならない世界だったのです。 そこで出会った 美しい少年・ハクから、すぐにもとの世界へ戻るよう言われた千尋。 しかし、町の食べ物を無断で食べた両親は、罰として豚の姿に変えられてしまいました。 父と母を救うためには、神々が集う湯屋「 油屋(あぶらや)」で働く必要があると助言するハク。 それを聞いた千尋は、強欲な魔女・湯婆婆(ゆばーば)に、「油屋」で働かせてもらえるよう頼み込みます。 名前を奪われ、「千」と名付けられた千尋は、下働きをしながら数々の困難に立ち向かい、内なるたくましさや生きる力を発見していくのです。 物語を彩る キャラクターと声優を紹介 前述の通り、同作には個性的な登場人物が数多く登場します。 ここでは、主要キャラクターと、その声を演じた声優・俳優をご紹介しましょう。 荻野千尋/千 本作の主人公であり、小学4年生(10歳)の平凡な少女。 ひとりっ子として過保護に育てられたせいか、自分の思う通りにならないと機嫌を損ねてしまう、 わがままなところがあります。 こげ茶色のポニーテールや、 か細い手足が特長的です。 湯婆婆と契約を交わしてからは、「 千」と名乗ることを強いられ、湯女(ゆな)として働くことになります。 はじめのうちは手際良く仕事をこなせない彼女ですが、ドジを踏みながらもこの世界へ少しずつ順応。 持ち前の適応力や、たくましさ発揮していきます。 すねたり、泣いたり、笑ったり成長と共にりりしく変化していく表情は、 見どころのひとつです。 オーディションを通じて、千尋役の声優として抜擢されたのは、女優として活躍中の 柊瑠美(ひいらぎるみ)さん。 NHKの連続テレビ小説「すずらん」で、母親に捨てられたヒロインの子ども時代を好演し、お茶の間の人気を集めました。 本作で初の声優を務めたあと、2008年(平成20年)に「 崖の上のポニョ」、2011年(平成23年)には「 コクリコ坂から」等のジブリ作品にも出演しています。 ハク 不思議な町に迷い込んだ千尋を助け、励ます白面の少年。 心優しい性格の持ち主です。 が、 仕事中は冷淡な態度を見せることもあります。 外見年齢は12歳程の設定で、番頭として「油屋」の帳場を預かり、湯婆婆に仕えながら魔法を学んでいますが、 本当の名前を奪われていました。 しかし、千と触れ合う中で自分自身の正体を思い出し、その正体は「 ニギハヤミコハクヌシ」という 川の神。 以前から千尋を知っているのは、 現実の世界で溺れかけた彼女を過去に助けたことが理由でした。 オーディションでハクの声優として選ばれたのは、当時13歳だった 入野自由(いりのみゆ)さん。 声優業の傍ら、俳優や歌手としても活躍しています。 本作の収録時、ちょうど声変わりの最中だったという話は、ファンの間でも有名です。 千尋の両親 父親は、建設会社に勤める38歳のサラリーマンで、無鉄砲な性格の持ち主。 道を確認しないまま車を運転し、不思議な町へ迷い込んでしまいます。 母親は、現実的で気が強く、夫とも対等に付き合う35歳の女性という設定です。 神々の料理を無断で食べた罰として、両親とも豚の姿に変えられてしまいます。 父親の声を担当したのは、1980年(昭和55年)に「ヒポクラテスたち」でデビューした俳優、 内藤剛志(ないとうたかし)さん。 母親は、NHKの連続テレビ小説「澪つくし」で人気を集めた女優、 沢口靖子(さわぐちやすこ)さんが演じています。 湯婆婆 湯屋を取り仕切る、 正体不明の魔女。 大柄で頭も大きく、強力な魔力と強欲を持って「油屋」を切り盛りし、従業員をアゴでこきつかう厳しさはあります。 しかし、高名な川の神の穢れを清めた千尋を褒めるなど、仕事をしっかり評価する目を持っており、 経営者としての度量や手腕は抜群です。 一方、 息子の坊を溺愛しており、ひたすらに甘やかす一面もあります。 「油屋」で働く従業員の労働協約を変えて奴隷とするために、ハクを魔法で操って姉の銭婆(ぜにーば)から契約印を盗ませました。 銭婆 声から髪形、服装まで、湯婆婆と瓜二つな双子の姉で、妹の湯婆婆と確執があり、疎遠な関係です。 強力な魔力を持ち、カンテラなどの無機物を魔法で使役しながら 「沼の底」という場所で穏やかに暮らしています。 湯婆婆とは対照的に、 物分かりが良く心優しい性格の持ち主。 ハクの代理で謝罪に訪れた千尋を家に迎え入れ、 手製の髪留めを贈って励まします。 貫禄たっぷりな湯婆婆、そしてその姉の銭婆の声は、1973年(昭和48年)に「絹の靴下」で歌手デビューした、 夏木マリさんがひとり二役で演じました。 歌手活動を中心に、女優としてミュージカルなどの舞台に立つ他、「鬼龍院花子の生涯」や「里見八犬伝」といった映画作品にも、数多く出演しています。 リン 湯屋で働く娘で、 外見年齢は14歳。 荒っぽい口調ですが、 サッパリした性格で、先輩として千尋に仕事を教える姉御肌なキャラクターとして描かれています。 いつか湯屋を出て、海の向こうの街へ行くことが夢で、 イモリの黒焼きが好物です。 リンの声優として役を担当されたのは、脚本家や女優、ミュージシャンとしても活躍する 玉井夕海(たまいゆみ)さん。 東京芸術大学在学中、宮﨑駿主催のアニメーション演出講座「東小金井村塾2」を受講したことが抜擢のきっかけでした。 窯爺 窯爺(かまじい)は、「油屋」の ボイラー室を取り仕切る老人。 伸縮する6本の腕を自在に操り、薬湯を調合する仕事をしています。 千尋が突然訪ねた際は、厳しい態度を取りましたが、すぐに彼女をサポートして、湯婆婆のところへ連れて行くようリンに頼むなど、 優しい一面を見せることも多いキャラクターです。 ススから生まれた黒いお化けの「 ススワタリ」に、石炭運びや釜炊きを手伝わせています。 窯爺の声優として演じたのは、2014年(平成26年)に惜しくも肝不全で亡くなった 菅原文太(すがわらぶんた)さん。 1958年(昭和33年)、「白線秘密基地」で映画デビューを果たし、新東宝、松竹時代に二枚目の脇役を演じたあと、東映に移籍しました。 主な出演作は、深作欣二監督の「仁義なき戦い」シリーズです。 坊/ネズミ 坊は、わがままで甘えん坊な湯婆婆の息子です。 赤い腹掛けがトレードマークの巨大な赤ん坊であり、銭婆に「太りすぎ」と評されています。 外に出ることを異常なまでに恐れていましたが、 魔法でネズミの姿に変えられたあとは千尋に同行。 銭婆の家まで旅をする中で精神的に成長し、自分の力で歩き始めます。 坊/ネズミ役に抜擢された 神木隆之介(かみきりゅうのすけ)さんは、当時小学校低学年の8歳でした。 現在も、俳優や声優として「ジョジョの奇妙な冒険ダイヤモンドは砕けない第一章」「サマーウォーズ」「君の名は。 」他、数多くの作品に出演されています。 「ハウルの動く城」のマルクル役や、「借りぐらしのアリエッティ」の翔役を務めたことも、ジブリファンの間では有名です。 カオナシ 千尋と同じく、 「油屋」のある世界とは別の場所からやってきた謎の男。 半透明の黒い影に、お面を付けたような姿をしています。 「己」を持たず、飲み込んだ相手の声を借りないとコミュニケーションが取れない悲しい存在です。 「油屋」入り口前の橋で千尋とすれ違ったときから、なぜか千尋を求めるようになります。 砂金を餌にして従業員を丸め込み、大量に作らせた料理で巨大化。 砂金を受け取るよう千尋に迫り、それを断られると逆上して暴れますが、飲み込んだ人々を吐き出してもとの姿に戻ったあとは、千尋に同行し、銭婆の家を訪れ、この場所に留まることになります。 「 あ……」「 え……」といった、か細い声をしぼり出すカオナシ。 声優として役を演じたのは、文学座という劇団に所属する 中村彰男(なかむらあきお)さんです。 シェークスピアの舞台劇他、様々な舞台への出演に加え、「交響詩篇エウレカセブン」のマシュー役や、「精霊の守り人」のジュロ役などのアニメで声優を務めた経歴を持ち、 ジブリ作品では、「もののけ姫」にも出演しました。 番台を預かる「 番台蛙」や、カオナシに食べられる「 青蛙」、千尋の世話で白蛇の体を取り戻す「 川の神」、おびえる千尋をさりげなく匿い、エレベーターで最上階に送る「 おしらさま」等、作中に登場する「油屋」の従業員と八百万の神々も、ユニークなキャラクターばかりです。 彼らの造形や仕草にも、ぜひ注目してみましょう。 「 油屋」の構造について 断崖絶壁の海岸に面する孤島に築かれた「油屋」は、 八百万の神々が疲れを癒しに訪れる湯治場。 ボイラーやエレベーター他、近代的な設備が備わっており、極彩色の和風建築のようでありながら、土台部分はコンクリート状という、奇妙な外観が特長的です。 最下層部には窯爺が預かる ボイラー室があり、湯量の調節や生薬の配合を担っています。 崖側には 従業員用の宿舎が用意されており、神々が出入りする正面側からは見えない構造。 男衆と女衆で分けられた居住スペースに、湯婆婆とハク、窯爺を除く従業員が寝泊まりしています。 1階のほぼ全面は浴場が占めており、 蓬(よもぎ)湯や 菖蒲(しょうぶ)湯など、効能が異なる薬湯の小浴場を配置。 また、建物内には大きな吹き抜けがあり、それを取り囲むように宴会場や客室、台所などがあり、 最上階に位置する湯婆婆の御殿は、洋風建築様式です。 従業員宿舎の真上にありますが、 連絡用通路はありません。 湯婆婆が溺愛する坊の部屋もこの場所に用意されています。 不思議な町には何がある? 千尋と両親が最初に迷い込んだ場所は、 古びた駅舎のような内観の時計塔でした。 廃墟が点々とするなだらかな草原の小川を渡った先には、 派手な配色の飲食店が並ぶ大通りがあります。 千尋の両親が豚にされたのは、屋台風カウンター付きの店です。 大通りを抜けた先には、 町のランドマーク的な大灯篭が鎮座。 湯屋へ続く大きな橋の下は切り立った崖になっており、 谷底には海原電鉄が走っています。 窯爺の話で「 過去には帰りの電車があった」ということが分かりましたが、 千が訪れた時代には、単線の一方通行になっていました。 千尋たちが降車する 「沼の底」駅に加え、他の乗客が降りる 「沼原」駅なども、作中に登場しています。 モデルになった場所は? 「油屋」に登場する広間には、天井から襖(ふすま)まで、過剰な装飾が施されています。 こうしたデザインの原点、そのひとつに挙げられるのが「 目黒雅叙園」です。 この昭和の大建築は、起業家の 細川力蔵(ほそかわりきぞう)さんが1931年(昭和6年)に創設。 東京都の有形文化財に指定されている「 百段階段」には、過去に晴れやかな宴が行なわれた7つの広間があり、そのうちのひとつ「 魚樵の間(ぎょしょうのま)」は、純金箔や純金泥で仕上げられ、色彩木彫と日本画に囲まれた内装です。 また、街の雰囲気や建築物の造形は、小金井公園内にある「 江戸東京たてもの園」がモデルになっている部分があります。 こちらは、 東京都江戸東京博物館の分館で、明治、大正時代のレトロな民家や商店などを移築・復元した施設。 昭和30年代、東京都内を走っていた都電は 海原鉄道、文具店「 武居三省堂」の内壁一面に取り付けられた引出しは、窯爺の仕事場・ボイラー室を彷彿させます。 建物の全面を銅板やモルタルで装飾した「看板建築様式」の建物は、大通りに面する飲食店に近しい雰囲気です。 こうした日本的な風景をファンタジーに転化することで、 不思議でノスタルジックな世界観が生まれました。 興味のある方は、モデルになった場所にぜひ足を運んでみましょう。 映像を豊かに彩る 音楽 音楽を担当したのは、数多くのジブリ作品に参加してきた 久石譲(ひさいしじょう)さん。 宮﨑監督が様々な要素を織り交ぜて世界観を広げるように、久石さんも、 バリ島や沖縄、中近東、アフリカなど、世界中の楽器を曲の中に取り入れました。 こうしたエスニックな音と、フルオーケストラと大胆に融合することで、世界観の広がりを表現していますが、 そうしたにぎやかな曲は、千尋の気持ちを表す静かな曲を引き立たせる役割もあります。 主題歌誕生の経緯 エンディングを彩る「 いつも何度でも」の作曲・歌を担当したのは、 木村弓(きむらゆみ)さん。 あるとき観賞した「もののけ姫」に感動した木村さんは、 宮﨑監督が描く作品のキャラクターに歌で花を添えたいという思いから、CDを同封した手紙を送りました。 監督からの返事には、企画している「煙突書きのリン」という作品のあらすじが同封されており、 これをきっかけに交流が生まれたのです。 それからしばらくして、木村さんの頭に「どこからか手渡されたプレゼント」のように、メロディーと冒頭の歌詞が浮かびました。 それを形にすべく、友人の作詞家、 覚和香子(かくわかこ)さんに作詞を依頼。 「 呼んでいる 胸のどこか奥で いつも心躍る 夢をみたい」というフレーズとメロディーを共有された覚さんは、それに情景をつなげるような形で、詩を書いたのです。 残念ながら、「煙突書きのリン」の企画は中止になってしまいましたが、完成した曲を聴いた監督は、これを本作の主題歌に採用。 「この曲がきっかけになって『千と千尋の神隠し』を作ったのかもしれない」と、彼は語っています。 小ネタ・雑学をまとめて紹介 本作の主要キャラクターのモデルが存在することや、 企画段階で影響を受けた作品があります。 ここからは、 作品にまつわる小ネタや雑学をご紹介しましょう。 企画の原点は「霧のむこうのふしぎな町」 宮﨑監督は、企画の初期段階に「 霧のむこうのふしぎな町」(講談社)という児童文学に影響を受けました。 こちらは、「 小学6年生の少女リナが、父の知り合いを探して「霧の谷」に迷い込み、外国のような不思議な町で働くことになる」という、和製ファンタジーの傑作です。 本来は、この作品をアニメ化する構想でしたが、紆余曲折の末に頓挫。 しかし、恐ろしいおばあさんや、仮面を取らないミステリアスな男の子など、 「千と千尋の神隠し」の原型となる要素が数多く含まれています。 お父さんや千尋のモデル 千尋のお父さんは、日本テレビに勤め、長きに渡りスタジオジブリとの映画製作に携わっている 奥田誠治(おくだせいじ)プロデューサーがモデル。 荒っぽい運転や、好奇心旺盛で様々な場所に出かける性格、 がさつな食事のとり方などが、作品にそのまま反映されています。 また、 千尋のモデルになったのは、奥田さんの娘である千晶(ちあき)さんです。 宮﨑監督の山小屋へ遊びに行った際、近くの小川を散策中に靴が流されたという 実際のエピソードが、作品のストーリーに散りばめられています。 湯婆婆と銭婆が双子になった理由 湯婆婆と銭婆は、全く同じ姿をした、双子の姉妹として描かれています。 当初、銭婆はスレンダーで背の高いデザインになる予定でしたが、宮﨑監督がキャラクター作りに難航。 つじつま合わせのために双子にすれば、同じ見た目でOKという機転から、現在の姿になりました。 単なる脇役の予定だったカオナシ 作中で重要な役割を担っている、 謎のキャラクター「カオナシ」。 当初は名前もなく、橋のたもとに立たせるだけの端役の予定でした。 しかし、映像を確認した監督は、「妙に気になる存在に感じた」と言います。 その結果、 カオナシは物語のキーパーソンに大抜擢され、長尺になることが懸念されたストーリーも、再構築されました。 契約書の漢字に注目 湯婆婆に指示され、千尋が契約書を書くシーン。 彼女の本名は「荻野千尋」ですが、 契約書に書かれた「荻」は、「火」が「犬」になっているのです。 真相は定かではありませんが、 「自分の名前を忘れると帰れない」という不思議な町の影響で、自分の名前を忘れ始めていたという説があります。 主人公・千尋は、美少女でもなく、か細い手足とふてくされた表情が特長的な、等身大の現代っ子を象徴するキャラクターです。 そんな 彼女が逆境の中、内に眠る「生きる力を獲得する」というのが、作品のテーマ。 「抜き差しならない関係の中で危機に直面したとき、本人も気付かなかった適応力や忍耐力が湧き出し、果敢な判断力や行動力を発揮する生命を、自分が抱えていることに気付くはずだ」という監督の言葉からも、 千尋と同じ年頃の子どもたちに、「生きる力」を身に付けてほしいという願いが込められています。 一方、豚にされてしまう千尋の両親は、適応力や忍耐力を発揮できず、神々に「食らい尽くされる側」として描かれる存在。 本作の世界観はファンタジーでありながら、先行きの分からない現代日本の縮図です。 だからこそ、 神様とも魔物ともつかない、異形の住人たちに囲まれた環境で、弱音を吐かずに奮闘する千尋の姿は心を打ちます。 これから10歳になる人も、かつて10歳だった人も、ぜひ作品を鑑賞してみましょう。 近くの映画館を検索する ・・・・・・・・・・.

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