ヒグマ 怖い。 【野生動物の恐怖】ヒグマが怖すぎて眠れない

北海道銃砲店の恐ろし過ぎる羆(ヒグマ)ハンティングの話

ヒグマ 怖い

三毛別羆事件復元現地に再現された巨羆の姿。 手前のヘルメットと比較すると、その巨大さが推し量れる。 場所 苫前村大字力昼村三毛別 日付 (4年) - 概要 体重340kg、体長2. 7mのが数度にわたりを襲った。 死亡者 7名 負傷者 3名 対処 三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)とは、(4年)からにかけて、三毛別(現:三渓)六線沢 で発生した、クマの獣害としては日本史上最悪の被害を出した事件。 三毛別事件や 六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、 苫前羆事件(とままえひぐまじけん)、 苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)とも呼ばれる。 が数度にわたりを襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った。 事件を受けて討伐隊が組織され、問題の熊がされたことで事態は終息した。 三毛別羆事件現場 事件の現場となった北海道三毛別六線沢は、のからへ30kmほど入った地区である。 地名の「三毛別」は、で「川下へ流しだす川」を意味する「サンケ・ペツ」に由来する。 なお、六線沢の住民は東北などから移住してきた人々で、元々住んでいた人はいない。 池田家の騒動 [ ] 1915年(大正4年)11月初旬のある夜明け前、六線沢の池田家に巨大なヒグマが姿を現した。 が驚いて暴れたため、そのときの被害は保存食のとうもろこしに留まった。 村は開拓の端緒にかかったばかりの土地でもあり、このようなの襲来は珍しいものではなかったが、主人である 池田富蔵(いけだ とみぞう)はぬかるみに残ったの大きさ(約30cm)に懸念を持った。 、ふたたびヒグマが現れた。 馬への被害を避けようと、富蔵は在所と隣村から2人のを呼び、3人で待ち伏せることにした。 30日、三度現れたヒグマに撃ちかけたが、仕留めるには至らなかった。 その夜、長男・ 富吉 (とみきち)や妻に留守を頼み、次男・ 亀次郎(かめじろう・当時18歳)を加えた4人で鬼鹿山方向へ続く足跡を追い血痕を確認したものの、がひどくなりそれ以上の追撃を断念した。 マタギたちは、件のヒグマは「穴持たず」という、何らかの理由により冬眠し損ねたクマであると語った。 さらに足跡の巨大さから「このクマはあまりの巨体のため、自分の身に合う越冬穴を見つけられなかったのではないか」と推測し、「穴持たず」となったクマは非常に凶暴であることを付け加えた。 12月9日 [ ] 太田家の惨劇 [ ] からにかけ、開拓村では収穫したを出荷するさまざまな作業に追われていた。 三毛別のような僻地では、それらの作業は人力に頼らざるを得ず、男達の多くは出払っていた。 12月9日の朝、三毛別川上流に居を構える太田家でも、同家に寄宿していた伐採を生業とする 長松要吉(ながまつ ようきち、当時59歳。 通称オド)が一足早く仕事に向かい、当主の 太田三郎(おおた さぶろう、当時42歳)も(すがばし) に用いる桁材を伐り出すため出かけ、三郎の内縁の妻・ 阿部マユ(あべ まゆ、当時34歳)と太田家に養子に迎えられる予定であった 蓮見幹雄(はすみ みきお、当時6歳)の2人が留守に残り、小豆の選別作業をしていた。 同日の昼、要吉が食事のために帰宅すると、の端に幹雄がぽつんと座っていた。 ふざけてたぬき寝入りをしているのだろうと思った要吉は、わざと大声で話しかけながら近づき、幹雄の肩に手をかけてのぞき込んだ。 そのとき、要吉は幹雄の顔下に流れ出た血の塊と、何かで鋭くえぐられた喉元の傷を見つけ驚愕した。 側頭部には親指大の穴があけられ、すでに幹雄は息絶えていた。 要吉は恐怖に震えながらマユを呼んだが何の応答もなく、ただ薄暗い奥の居間から異様な臭気が漂うのみであった。 ただならぬ事態を察した要吉は家を飛び出し、下流の架橋現場に走った。 駆けつけた村の男たちは、踏み入った太田家の様子に衝撃を受けつつも、これがヒグマの仕業だと知るところとなった。 入口の反対側にあるトウモロコシを干してあった窓は破られ、そこから土間の囲炉裏まで一直線に続くヒグマの足跡が見つかった。 トウモロコシを食べようと窓に近づいたヒグマの姿にマユと幹雄が驚いて声を上げ、これがヒグマを刺激したものと思われた。 足跡が続く居間を調べると、くすぶるがいくつか転がり、柄が折れた血染めのがあった。 ぐるりと回るようなヒグマの足跡は部屋の隅に続き、そこは鮮血に濡れていた。 それは、まさかりや燃える薪を振りかざして抵抗しつつ逃げるマユがついに捕まり、攻撃を受けて重傷を負ったことを示していた。 そこからヒグマはマユを引きずりながら、土間を通って窓から屋外に出たらしく、窓枠にはマユのものとおぼしき数十本の頭髪が絡みついていた。 要吉が幹雄の死に気づいたとき、土間にはまだ温かい蒸し焼きのが転がっていたという。 そのことから、事件が起こってからさほど時間は経っていないと思われた。 また、午前10時半過ぎに三毛別の村人が太田家の窓側を通る農道を馬に乗って通り過ぎていた。 彼は家から森に続く何かを引きずった痕跡と血の線に気づいたが、マタギが獲物を山から下ろし太田家で休んでいるものと思い、そのときは特に騒ぎ立てなかった。 これらのことから、事件は午前10時半ごろに起こったと推測された。 事件の一報に村は大騒動となった。 しかし、12月の北海道は陽が傾くのも早く、幹雄の遺体を居間に安置したころには午後3時を過ぎ、この日に打てる手は少なかった。 男達は太田家から500m程下流の 明景安太郎(みようけ やすたろう、当時40歳)の家に集まり、善後策を話し合った。 ヒグマ討伐やマユの遺体奪回は翌日にせざるを得ないが、取り急ぎと、そして幹雄の実家である 現・苫前町力昼 の蓮見家への連絡を取らなければならない。 しかし、通信手段は誰かが直に出向くより他になかった。 太田家の近くに住む男性が使者役に選ばれたが、本人が嫌がったため、代わりに 斉藤石五郎(さいとう いしごろう、当時42歳)が引き受けることになった。 太田家よりもさらに上流に家を構える石五郎は、所用にて当主・安太郎が鬼鹿村(現・小平町鬼鹿)へ外出しなければならない 明景家に妊娠中の妻・ タケ(当時34歳)、三男・ 巌(いわお、当時6歳)、四男・ 春義(はるよし、当時3歳)の家族3人を避難させ、要吉も男手として同泊する手はずが取られた。 12月10日 [ ] 捜索 [ ] 早朝、斉藤石五郎は村を後にした。 残る男たちは、ヒグマを討伐してマユの遺体を収容すべく、約30人の捜索隊を結成した。 昨日の足跡を追って森に入った彼らは、150mほど進んだあたりでヒグマと遭遇した。 馬を軽々と越える大きさ、全身黒褐色の一色ながら胸のあたりに「懸け」と呼ばれる白斑を持つヒグマは捜索隊に襲いかかった。 鉄砲を持った5人がなんとか銃口を向けたが、手入れが行き届いていなかったため発砲できたのはたった1丁だけだった。 怒り狂うヒグマに捜索隊は散り散りとなったが、あっけなくヒグマが逃走に転じたため、彼らに被害はなかった。 改めて周囲を捜索した彼らは、太田家から150m離れた場所にあるの根元に小枝が重ねられ、血に染まった雪の一画があることに気づいた。 その下にあったのは、黒いを履き、ぶどう色のが絡まる膝下の脚と、の一部しか残されていないマユの遺体だった。 このヒグマは人間の肉の味を覚えた。 マユの遺体を雪に隠そうとしたのはにするための行動だった。 太田家への再襲 [ ] 当時の開拓村の家(再現) 夜になり、幹雄の両親とその知人の3名が到着。 太田家では幹雄とマユのが行われたが、村民はヒグマの襲来におびえ、参列したのは六線沢から3人、三毛別から2人と幹雄の両親とその知人、喪主の太田三郎のあわせて9人だけだった。 幹雄の実母・ 蓮見チセ(はすみ チセ、当時33歳)がの酌に回っていた午後8時半ごろ、大きな音とともに居間の壁が突如崩れ、ヒグマがマユの遺体を取り返すために室内に乱入してきた。 が打ち返されて遺体が散らばり、恐怖に駆られた会葬者達はに上り 、野菜置き場やに逃れるなどして身を隠そうとする。 混乱の中、ある男はあろうことか自身の妻を押し倒し、踏み台にして自分だけで梁の上に逃れた。 以来、夫婦の間ではけんかが絶えず、夫は妻に一生頭が上がらなかったという。 この騒ぎの中でも、気力を絞って石油缶を打ち鳴らしてヒグマを脅す者に勇気づけられ、銃を持ち込んでいた男が撃ちかけた。 さらに300m程離れた 中川孫一宅で食事をしていた50人ほどの男たちが物音や叫び声を聞いて駆けつけたが、そのころにはヒグマはすでに姿を消していた。 犠牲者が出なかったことに安堵した一同は、いったん明景家に退避しようと下流へ向かった。 明景家への惨劇 [ ] 北海道開拓の村に再現された開拓小屋の内部。 太田家や明景家の囲炉裏端を髣髴とさせる。 そのころ、明景家には明景安太郎の妻・ ヤヨ(当時34歳)、長男・ 力蔵(りきぞう、当時10歳)、次男・ 勇次郎(ゆうじろう、当時8歳)、長女・ ヒサノ(当時6歳)、三男・ 金蔵(きんぞう、当時3歳)、四男・ 梅吉(うめきち、当時1歳)の6人と、斉藤家から避難していた妊婦のタケ、巌、春義の3人、そして要吉の合計10人(タケの胎児を含めると11人)がいた。 前日の太田家の騒動を受け、避難した女や子供らは火を焚きつつおびえながら過ごしていた。 護衛は近隣に食事に出かけ、さらに太田家へのヒグマ再出没の報を受けて出動していたため、男手として残っていたのは要吉だけで、主人の安太郎は所用でへ出かけており不在だった。 太田家から逃れたヒグマは、まさにこの守りのいない状態の明景家に向かっていた。 太田家からヒグマが消えてから20分と経たない 午後8時50分ごろ、ヤヨが背中に梅吉を背負いながら討伐隊のを準備していると、地響きとともに窓を破って黒い塊が侵入して来た。 ヤヨは「誰が何したぁ!」と声を上げたが、返ってくる言葉はない。 その正体は、見たこともない巨大なヒグマだった。 を煮る囲炉裏の大鍋がひっくり返されて炎は消え、混乱の中でなどの灯りも消え、家の中は暗闇となった。 ヤヨは屋外へ逃げようとしたが、恐怖のためにすがりついてきた勇次郎に足元を取られてよろけてしまう。 そこへヒグマが襲いかかり、背負っていた梅吉に噛みついたあと、3人を手元に引きずり込んでヤヨの頭部をかじった。 だが、直後にヒグマは逃げようと戸口に走っていく要吉に気を取られて母子を離したため、ヤヨはこの隙に勇次郎と梅吉を連れて脱出した。 追われた要吉は物陰に隠れようとしたが、ヒグマの牙を腰のあたりに受けた。 要吉の悲鳴にヒグマは再度攻撃目標を変え、7人が取り残されている屋内に眼を向けた。 ヒグマは金蔵と春義を一撃で撲殺し、さらに巌に噛みついた。 このとき、野菜置き場に隠れていたタケがむしろから顔を出してしまい、それに気づいたヒグマは彼女にも襲いかかった。 居間に引きずり出されたタケは、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と胎児の命乞いをしたが、上半身から食われ始めた。 川下に向かっていた一行は、激しい物音と絶叫を耳にして急いだ。 そこへ重傷のヤヨと子どもたちがたどり着き、皆は明景家で何が起こっているかを知った。 重傷を負いながらも脱出してきた要吉を保護したあと、男たちは明景家を取り囲んだが、暗闇となった屋内にはうかつに踏み込めない。 中からは、タケと思われる女の断末魔のうめき声、肉を咀嚼し骨を噛み砕く異様な音が響き、熊の暴れまわる鈍い音がした。 一か八か家に火をかける案や、闇雲に一斉射撃しようという意見も出たが、子供達の生存に望みをかけるヤヨが必死に反対した。 一同は二手に分かれ、入り口近くに銃を構えた10名あまりを中心に配置し、残りは家の裏手に回った。 裏手の者が空砲を二発撃つと、ヒグマは入口を破り表で待つ男たちの前に現れた。 先頭の男が撃とうとしたがまたも不発に終わり、他の者も撃ちかねている隙にヒグマは姿を消した。 ガンピ(の皮)のを手に明景家に入った者の目に飛び込んできたのは、飛沫で天井裏まで濡れるほどの血の海、そして無残に食い裂かれたタケ、春義、金蔵の遺体であった。 上半身を食われたタケの腹は破られ胎児が引きずり出されていたが、ヒグマが手を出した様子はなく、そのときには少し動いていたという。 しかし1時間後には死亡した。 力蔵は雑穀俵の影に隠れて難を逃れ、殺戮の一部始終を目撃していた。 ヒサノは失神し、無防備なまま居間で倒れていたが、不思議なことに彼女も無事だった。 急いで力蔵とヒサノを保護し、遺体を収容した一行が家を出たところ、屋内から不意に男児の声があがった。 帰りの者がひとり中に戻ると、むしろの下に隠されていた重傷の巌を見つけた。 巌は肩や胸に噛みつかれて傷を負い、左大腿部から臀部は食われて骨だけになっていた。 六線沢の全15戸の住民は、三毛別にある三毛別分教場(その後、三渓小学校になるが廃校)へ避難することになり 、重傷者達も3km川下の辻家に収容されて応急の手当てを受けた。 巌は母・タケの惨死を知るすべもないまま、「おっかぁ!クマとってけれ!」とうわ言をもらし、水をしきりに求めつつ20分後に息絶えた。 この2日間で6人、胎児を含めると7人の命が奪われ、3人が重傷を負った。 重傷者たちは翌日さらに3km下流の家に移り、古丹別の沢谷医院に入院したのは12日のことだった。 12月11日 [ ] すべての住民が三毛別分教場に避難した六線沢に人影はなく、おびえながら固く戸締りをした三毛別の各農家がヒグマ避けに焚く炎が、昨夜から不気味に寒村を照らしていた。 小村の住民だけではもはやなす術はなく、三毛別地区区長の 大川与三吉(おおかわ よさきち,当時47歳)と、村の長老や有志、駐在所巡査、御料局分担区員、分教場教師らが話し合い、ヒグマ退治の応援を警察や行政に頼ることを決議した。 その一方、家族に降りかかった悲劇を知らず雪道を往く斉藤石五郎は、役場と警察に太田家の事件報告を終えて10日は苫前に宿を取り、11日昼近くに帰路についた。 下流の三毛別にたどり着き、妻子の受難を知らされ、呆然と雪上に倒れ伏しただ慟哭をあげるしかなかった。 12月12日 [ ] 討伐隊の組織 [ ] 六線沢ヒグマ襲撃の連絡はにもたらされ、保安課から長の 菅貢(すが みつぐ、階級は)に討伐隊の組織が指示された。 討伐隊の本部は三毛別にある大川興三吉の家に置かれた。 一方、死亡者の検死のため(うまぞり)で一足早く現地に乗り込んだ医師は、正午ごろ山道でヒグマのを発見した。 それを検分し、中から人骨・髪の毛・未消化の人肉を見つけて立ちすくんだ。 菅警部は副隊長に、近隣のや、志願の若者やたちにも協力を仰ぎ、60丁や刃物類、を携えた者を含め、270人以上が三毛別に集まった。 副隊長には土地勘がある(現在の)羽幌出張所古丹別分担区主任の技手である喜渡安信と三毛別分教場の教頭であった松田定一を置き、隊長の菅警部は防衛線である射止橋を封鎖する一方、討伐隊を差し向けた。 しかし、林野に上手く紛れるヒグマの姿を捕らえることはできなかった。 待ち伏せ [ ] 夕暮れが迫り、手応えを得られない討伐隊本部は検討を重ねた。 ヒグマには獲物を取り戻そうとする習性がある。 これを利用しヒグマをおびき寄せる策が提案されたが、その獲物が意味するものを前に本部内の意見は割れた。 菅隊長は目的のためこの案を採用し、罵声さえ覚悟して遺族と村人の前に立った。 しかし、説明に誰一人異議を唱える者はおらず、皆は静かに受け入れた。 事態はそれだけ切迫していた。 こうして、犠牲者の遺体を餌にヒグマをおびき寄せるという前代未聞の作戦が採用された。 作戦はただちに実行された。 銃の扱いに慣れた7名が選ばれ、交替要員1人を除く6名が、補強した梁の上でヒグマを待った。 居間に置かれた胎児を含む6遺体のの中、森から姿を現したヒグマに一同固唾を飲んで好機を待った。 しかし、家の寸前でヒグマは歩みを止めて中を警戒すると、何度か家のまわりを巡り、森へ引き返していった。 その後太田家に3度目の侵入を企てたが、隊員は立ちすくむのみだった。 男たちはそのまま翌日まで待ち伏せたがヒグマは現れず、作戦は失敗に終わった。 12月13日 [ ] この日、のからが事態収拾のために投入される運びとなり、将兵30名が出動した。 一方、ヒグマは村人不在の家々を荒らし回っていた。 飼われていたを食い殺し、味噌やなどの保存食を荒らし、さらに、やなどをずたずたにしていた。 中でも特徴的なのは、女が使っていたや、温めて代りに用いる石などに異様なほどの執着を示していた点だった。 三毛別川右岸の8軒がこの被害に遭ったが、ヒグマの発見には至らなかった。 しかし、その暴れぶりからもヒグマの行動は慎重さを欠き始めていた。 味を占めた獲物が見つからず、昼間であるにもかかわらず大胆に人家に踏み込むなど警戒心が薄れていた。 そして、行動域がだんだんと下流まで伸び、発見される危険性の高まりを認識できていなかった。 菅隊長は氷橋を防衛線とし、ここに撃ち手を配置し警戒に当てた。 午後8時ごろ、橋で警備に就いていた一人が、対岸の切り株の影に不審を感じた。 6株あるはずの切り株が明らかに1本多く、しかもかすかに動いているものがある。 報告を受けた菅隊長が、「人か、熊か!」と大声で誰何するも返答がない。 隊長の命令のもと撃ち手が対岸や橋の上から銃を放った。 すると怪しい影は動き出し闇に紛れて姿を消した。 やはり問題のヒグマだったのだと、仕留めそこないを悔やむ声も上がったが、隊長は手応えを感じ取っていた。 12月14日 [ ] 最期 [ ] 空が白むのを待ち対岸を調査した一行は、そこにヒグマの足跡と血痕を見つけた。 銃弾を受けていれば動きが鈍るはずと、急いで討伐隊を差し向ける決定が下された。 一行の他に、10日の深夜に話を聞きつけて三毛別に入った (やまもと へいきち、当時57歳。 小説『羆嵐』では山岡銀四郎)という熊撃ちがいた。 温根(現在の鬼鹿田代)に住む兵吉は、若いころに裂き一本でヒグマを倒し「サバサキの兄(あにい)」と異名を持つ人物で、軍帽と日露戦争の戦利品であるロシア製ライフル を手に数多くの獲物を仕留めた、でも評判が高いマタギだった。 彼が11月に起こった池田家の熊の出没さえ知っていたなら、9日の悲劇も10日の惨劇も起こらなかったものと、誰もが悔しがった。 孫によれば、(兵吉は)時に飲むと荒くなることもあるが、いたって面倒見もよく、優しい面を持ち合わせていたという。 兵吉は討伐隊と別れ、単独で山に入った。 ヒグマは頂上付近での木につかまり体を休めていた。 その意識はふもとを登る討伐隊に向けられ、兵吉の存在にはまったく気づいていない。 音を立てぬように20mほどにじり寄った兵吉は、の樹に一旦身を隠し、銃を構えた。 銃声が響き、一発目の弾はヒグマの近くを撃ちぬいた。 しかしヒグマは怯むことなく立ち上がって兵吉を睨みつけた。 兵吉は即座に次の弾を込め、素早く放たれた二発目は頭部を正確に射抜いた。 12月14日午前10時、轟いた銃声に急ぎ駆けつけた討伐隊が見たものは、村を恐怖の底に叩き落したのだった。 熊風 [ ] ヒグマは金毛を交えた黒褐色の雄で、重さ340kg、身の丈2. 7mにも及び、胸間から背中にかけて「袈裟懸け」といわれる弓状の白斑を交えた大物であった。 推定7 - 8歳と見られ、頭部の金毛は針のように固く、体に比べ頭部が異常に大きかった。 これほど特徴のある熊を誰も見たことがないという。 隊員たちは怒りや恨みを爆発させ、棒で殴る者、蹴りつけ踏みつける者などさまざまだった。 やがて誰ともなく万歳を叫びだし、討伐隊200人の声がこだました。 終わってみると12日からの3日間で投入された討伐隊員はのべ600人、10頭以上、導入された鉄砲は60丁にのぼる未曾有の討伐劇であった。 ヒグマの死骸は人々が引きずって農道まで下ろされ、馬ぞりに積まれた。 しかし馬が暴れて言うことを聞かず、仕方なく大人数でそりを引き始めた。 すると、にわかに空が曇り雪が降り始めた。 事件発生からこの三日間はが続いていたのだが、雪は激しい吹雪に変わり そりを引く一行を激しく打った。 言い伝えによればクマを殺すと空が荒れるという。 この天候急変を、村人たちは「熊風」と呼んで語り継いだ。 解剖 [ ] 猛吹雪に、5kmの下り道を1時間半かけてヒグマの死骸は三毛別青年会館に運ばれた。 から来たアイヌの夫婦は、「このヒグマは数日前に雨竜で女をした獣だ」と語り、証拠に腹から赤い肌着の切れ端が出ると言った。 あるマタギは、「旭川でやはり女を食ったヒグマならば、肉色の脚絆が見つかる」と言った。 山本兵吉は、「このヒグマが天塩で飯場の女を食い殺し、三人のマタギに追われていた奴に違いない」と述べた。 解剖が始まり胃を開くと、中から赤い布、肉色の脚絆、そして阿部マユが着用していたぶどう色の脚絆が、絡んだ頭髪とともに見つかり、皆は悲しみをあらわにした。 犠牲者の供養のため肉は煮て食べられたが、硬くて筋が多く、味はよくなかったという。 皮は板貼りされて乾燥させるため長い間さらされた。 その後、などとともに50円 で売却され、この金は討伐隊から被害者に贈られた。 毛皮や頭蓋骨は消息不明である。 その後 [ ] 頭部に傷を負いながらも気丈な姿を見せたヤヨは順調に回復したが、背負われたまま噛みつかれた明景梅吉は、に苦しみつつ2年8か月後に死亡した。 この少年を含め事件の死者を8人とすることもある。 同じ家でヒグマの襲撃から生還した明景勇次郎は、事件の27年後にで戦死した。 長松要吉も回復し翌春には仕事に戻ったが、に転落して死亡した。 ヒグマに受けた傷が影響したのかは定かではない。 事態は解決しても、村人に心理的恐怖を残した。 村外を頼れる者は早々に六線沢を去ったが、多くはそのようなつてを持っていなかった。 壊された家屋を修理し、荒らされた夜具や衣類の代わりに火にあたりながら、なんとか越冬した。 しかし春になっても村人は気力を取り戻せず、家族を亡くした太田三郎は家を焼き払ってへ去り、その後生まれ育ったに移ったが早くして死去したという。 六線沢は、ひとりまたひとりと村を去り、下流の辻家を除いて最終的に集落は無人の地に帰した。 ヒグマを仕留めた山本兵吉はその後もマタギとして山野を駆け回り、1950年に92歳で亡くなった。 彼のによると、生涯で倒したヒグマは300頭を超えるという。 区長の大川与三吉の息子・ (おおかわ はるよし、当時7歳)は、その後名うてのヒグマ撃ちとなった。 これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えたところでし、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を三渓(旧三毛別)のに建立した。 また春義の息子・高義も同じくとなり、1980年には、父・春義も追跡していた体重500kgという大ヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の末に仕留めている。 さらにその5年後には、他のハンターと2人で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めている。 事件の記録 [ ] 報道 [ ] 事件が紙上で報道されたのは、12月13日付の『』と『』がもっとも早く、『』が14日、『』は19日になってやっと一報を掲載した。 このような遅れは、通信手段が確立していないうえに事件が山奥の小村だったことも災いした。 ただし『北海タイムス』は13日から25日まで毎日記事を掲載し、情報が入らない日は過去の熊害事件を「熊物語り」と題して報じた。 『小樽新聞』も断続的に1月28日まで事件記事を載せ、山本兵吉へのインタビューも行った。 しかし、この事件は人々の記憶から消える。 それは、1878年1月11 - 12日に起きた の記録が詳細に残され、事件を起こしたヒグマのが保存されたうえにが観覧したことが広く報道され、これが熊害事件の代表として認知されたことが影響している。 も著作でこの事件を大きく取り上げる一方で、三毛別羆事件は補足的な採録にとどまり、被災の詳細などにも間違いが見られる。 再調査 [ ] ノンフィクション作家のは旭川・古丹別の営林署に農林技官として勤務していたから事件を記録として残すべく、調査を開始した。 すでに58年が経過し、しかもほとんど資料が残されていないなか、木村は当時三毛別に住んでいた人々をたどり、入念な聞き取りを行った。 多くの当事者はすでに世を去っており、また存命の人々も辛い過去を思い出させる取材に協力的でない者も多かったが、足掛け4年の調査を経て、報告「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」をまとめた。 これはに復刻され、さらにには共同文化社から『慟哭の谷 The Devil's Valley』()として出版された(2015年4月10日文藝春秋から文庫化)。 作家のも事件を取材し、これを小説『』にまとめた。 同作はでもされた。 同作の執筆に際し、事前の取材では木村盛武をはじめ、当時在郷した人々から事件のあらましを聞いている。 また、木村盛武の著書の一つで、に出版された『』『』にもこの事件の経緯が記されている。 事件の分析 [ ] 原因 [ ] 事件は、に失敗したいわゆる「穴持たず」が、空腹に凶暴性を増し引き起こした例と思われていた。 しかし、その後同じケースの事件は発生しておらず、近年ではこの説には多くの疑問が呈されている。 むしろ後期から続く、 製造用に薪を得るための森林伐採と以降の内陸部開拓が相まって、野生動物と人間の活動範囲が重なった結果が引き起こした事件とも言及されている。 教訓 [ ] 三毛別羆事件の現場近くにある石碑 この事件を記録したは、なぜこれほどの大惨事となったのか分析している。 最初に出没した際に手負いのままヒグマを撃ちもらしたことや、一般の農民が用いることなどまずない銃の手入れ不足が招いた不発の連続なども要因ではあるが、ここではヒグマの行動について特に言及する。 火を恐れない 事件発生後、村民は火を焚いてヒグマを避けようとしており、人々が明景家に避難した際 や分教場に退避する際に多くのが燃やされたこと が記録されている。 これらの行動は一般に言われる「野生動物は火を怖がる」というを信じたものだが、実際は太田・明景両家の襲撃にみられるように、ヒグマはや焚火などに拒否反応を示すことはない。 執着心が強い 事件はこの定説を裏づけている。 トウモロコシを何度も狙っている点や、以前に複数の女を食い殺した ヒグマが三毛別でも女の衣類などに異常な執着を示している点からも確認できる。 また、阿部マユを食害した際に食べ残しを雪に隠したこと 、太田家に何度も出没したこと なども同じヒグマの特性による。 その一方で、馬への被害は皆無だった。 また、このヒグマは女や幼い男の子の肉の味を覚えてしまったことも原因である。 逃げるものを追う 明景ヤヨらが九死に一生を得た理由は、ヒグマが逃げるオドに気を取られたためである。 このように、たとえ捕食中であってもヒグマは逃避するものを反射的に追ってしまう傾向にある。 死んだふりは無意味 明景家の惨劇において、気絶し無防備に横たわる明景ヒサノと、結果的には助からなかったが胎児はヒグマに攻撃されなかった。 これは、ヒグマが動かないものを襲わないというわけではなく、そのときにただ単に他に食べ物があっただけと考えられる。 ほかにも、ヒサノは女だがまだ幼く、ヒグマは大人の女の肉を好んだ可能性もある。 事実、妊婦を襲ってはいるが、胎児は襲わなかった。 一度人間の味を覚えた個体は危険 一般に熊は人を恐れ、人を襲うのは突然人間と出会った恐怖心からと言われている。 それを防ぐためにはなどを鳴らして人間の存在を事前に知らせ鉢合わせする機会を減らせばよいとされる。 だが、人間の無力さと人肉の味を知った熊の個体は、人間を獲物と認識するようになる。 その場合、鈴の音などを鳴らすと獲物の存在を知らせることになり、かえって危険である。 なお、「火を恐れない」「執着心が強い」「動くものを追う」などの習性は、後年発生した「」「」の加害ヒグマの行動としても確認されている。 事件の記憶 [ ] ベアーロードの看板 苫前町立郷土資料館(5月〜10月のみ営業)に展示品や記録があるほか、実際事件が起こった六線沢には町民の手によって当時の情景が再現された「 三毛別羆事件復元地」がある。 うっそうと木々が茂る一角に当時の生活を再現した家屋の復元、事件を解説する看板、犠牲者の慰霊碑、そして民家に襲いかかろうとするヒグマの像がある。 場所は古丹別交差点からを南に入り約16km、三毛別川に架かるその名も「射止橋(うちどめばし)」の先にある。 ちなみに実際に事件が発生した太田家、明景家が存在した場所から数100m上流側に離れている。 近くに民家がないばかりか、実際に熊が出没することもあるため、来訪する際は注意が必要である。 三毛別羆事件復元地• - また、この北海道道1049号は「ベアーロード」との別名がつけられ、入り口や路傍に熊の絵が描かれた看板が随所に見られる。 事件から100年になる2015年(平成27年)10月15日に、復元地で地元の有志らによる百回忌追悼法要が行われた。 関連作品 [ ] 事件を題材にした作品 [ ] 小説• 『領主』( 著) - 初出『』1964年5月号。 『羆風(くまかぜ)』(戸川幸夫 著) - 初出『』1965年8月号。 『文平とその仲間 第四話 羆荒れ(くまあれ)』(戸川幸夫 著) - 『』1975年1月25日 - 4月21日連載。 『魔王』(戸川幸夫 著、 1978年) - 『羆風』を少年向けにリライトしたもの。 『(くまあらし)』( 著、新潮社 1977年 新潮文庫 1982年) ラジオドラマ• 『 最新! 『VSリアルガチ最強生物 最強生物…史上最悪の事件! 戸川幸夫の『羆風』を原作とするが、木村盛武に取材して原作にない場面も描いている。 ビッグゴールドコミックス『野性伝説』第3 - 5巻(、1997 - 1998年)所収。 のち、(2003年、全3巻)、ヤマケイ文庫(、2018年、全1巻)より再刊。 ラジオドラマ• 正式な住所は北海道苫前郡苫前村大字力昼村三毛別6号新区画開拓部落六線沢。 川が川上から川下へ流れるのは自明だが、アイヌ語で「下す」「降ろす」を意味する「サンケ」の語を特に冠された川は、「長さの割に流域面積が広く、降雨時や融雪期には水量が急激に増える」という特徴がある。 同様の地名はの「珊内」 、の 、郊外の など各地に存在する。 木材で骨組みを作り、その上をやで覆って凍らせ、固めて完成させた橋。 明景安太郎が村を離れた用事、およびいつ帰村したかなどの行動の詳細については、出典『慟哭の谷』には記述されていない。 このむしろが巌の身体にかかっていた経緯について、出典『慟哭の谷』は具体的に記していない。 しかし、男達が室内に入ると、タケ、春義、金蔵の遺体にもまた布団やむしろなどがかけられていたことに触れている。 一説にはこの日は出動せず、14日までにヒグマが討伐されなければ出動を要請することになったとも言われる。 苫前町郷土資料館に展示されている頃の山本の写真から、日露戦争当時のロシア軍制式小銃であるライフル、だと推測される。 本銃は命中精度と信頼性、威力において高い評価を得ており、制式小銃がに切り替わって以降も猟銃として1930年まで製造された。 1915年における50円は小学校教員の初任給相当。 を茹でてから油を搾り出し、搾り滓を乾燥・醗酵させたもの。 高級なとして珍重されていた。 出典 [ ]• 盛武, 木村. 文春オンライン. 2019年10月20日閲覧。 132• 479• 85-87• 315• 89-91• 252• 253• 254• 255• 256• 258• p51 [ ]• 259• 260• 261• 262• 東芝未来科学館. 2019年4月10日閲覧。 北海道新聞. 2015年9月20日時点のよりアーカイブ。 2009年10月17日閲覧。 北海道新聞. 2015年4月27日時点のよりアーカイブ。 2009年10月17日閲覧。 共同通信.. 2015年10月15日. 2017年3月9日閲覧。 (YouTubeにおける動画ニュース)• 矢口高雄 「羆風 あとがき」 『野性伝説 羆風/飴色角と三本指』 〈ヤマケイ文庫〉、2018年6月15日、993頁。 出典2 [ ] 本脚注は、 出典書籍内で提示されている「出典」を示しています [ ]。 は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2019年4月)• 木村盛武『エゾヒグマ百科』共同文化社、1983年。 木村盛武『ヒグマ そこが知りたい』、2001年8月24日。。 『慟哭の谷』、2008年3月1日。。 『北海道の地名』、1992年6月30日。。 山田秀三『東北・アイヌ語地名の研究』、1993年8月1日。。 関連項目 [ ]• (風不死岳事件)• - 秋田八幡平クマ牧場事件• - 星野道夫クマ襲撃事件• () - 世界最悪の被害を出したクマ事件。 の近郊で発生。 少なくとも12人の犠牲者が出た。 - の漫画。 人喰い熊と猟犬達の戦いを描いた。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 事件の復元模型、資料などを展示• (Wayback Machine、2015年4月27日) - [ ]• (Wayback Machine、2015年2月22日) - [ ]• - 北海道総合政策部知事室広報広聴課 :.

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ツーリングトーク|あっても会わなくてもヒグマは怖い

ヒグマ 怖い

ヒグマとは? ヒグマ(羆)は、ネコ目クマ科クマ属に属する哺乳類です。 体長はクマの中でもかなり大型に育つ種で、成獣では500kgを越える個体も記録されています。 日本に生息する陸上の哺乳類の中ではダントツで大きな生き物といえるでしょう。 ヒグマの身体的特徴 日本にはとこのヒグマ(正確にはエゾヒグマという亜種)が生息しています。 ツキノワグマは本州と四国の全域に広く生息していますが、ヒグマは北海道にしか生息していません。 完全に生息地が分かれているので、遭遇した場所でどちらのクマか判断してしまって結構です。 北海道で出会えばヒグマ、それ以外で出会えばツキノワグマです。 見た目の違いも明白で、ツキノワグマはヒグマにくらべてかなり小さく、最大でも2メートルに届かないほど。 またツキノワグマの体毛は真っ黒で胸元に半月型の特徴的な模様があって非常にわかりやすいです。 まぁ、ツキノワグマの詳細についてはまた別のページで。 これはオスのサイズで、メスは全体的にもうひとまわり小さくなります。 しかし食事や環境によってかなり大きさに差が出ることがわかっており、アラスカの食糧豊富な土地では1,000kgを越える巨大なヒグマが発見された例もあります。 1,000kgってことは、軽トラック(750kg)よりも遥かに重いってことです。 そんなサイズのクマが存在しうるって恐ろしい話だ(汗) ヒグマの食性 クマというと川でシャケを取っているイメージが強いですが、実は雑食性で、割合的には木の実や草本を食べていることのほうが多いです。 植物は比較的安定して手に入りますし、栄養価・便通の面でもクマにとっては欠かせない餌。 もちろんヒグマは動物性の餌も狙っていきます。 ターゲットは哺乳類、鳥類、魚類、昆虫、ザリガニなど。 しかしここでも意外なのは、昆虫を食べる割合がかなり高いこと。 ヒグマはアリ、ハチなどが好物で積極的に巣を探しにいきます。 こういった昆虫たちは集団でコロニー(巣)を形成していることが多いため、一度のチャンスで多くの餌を手に入れることができるわけです。 しかしあの巨体でアリなんか何百匹食べたってお腹満たされないような気もしますが(笑) 単純に空腹を満たすためというよりは、味的に好物だからという説が強いようです。 あとこれも意外な知識なんですが、ヒグマは積極的に生きている哺乳類・鳥類を狙いません。 どちらかというと死肉を食べるケースが多く、腐敗が進んだ屍肉食なんかも食べてしまいます。 一般的には強大な捕食者のイメージが強いのでこれはちょっとビックリ。 足が速くて力もあるクマが狩りが下手とは思えませんが、この雑食性は、おそらく長い生活の中でより安定して餌にありつけるように進化していった結果なんだと思います。 ただし、これは通常のヒグマの食事の習性です。 近年のエゾシカの急増に伴い、生きているエゾシカを狙うヒグマも増え始めました。 そして一度新鮮な肉の味を覚えてしまったヒグマはそれ以降、積極的に狩りを行うようになります。 これはエゾシカに限らず人間においてもそうで、一度人間の味を覚えてしまったヒグマは大変危険です。 ヒグマの生息地 前述したとおり、日本のヒグマの生息地は北海道だけです。 本州でもヒグマの化石が見つかるため昔は本州以南にも住んでいたようですが、現在では確認されていません。 他種のクマと同じく森林を好みますが、原野も好むのがヒグマの大きな特徴。 これは山林にある固い葉よりも、原野に生える柔らかい草花を好むためと言われています。 知床の大きな原野で伸び伸びと過ごす姿には威厳とともに愛嬌さえ感じますね。 これからも守っていかなければいけない景色。 しかし近年問題になっているのは人間とクマの生活圏が重なってきていることです。 人間側は開発と称して山に近寄っていき、クマは異常気象による餌不足で里に近寄っていきます。 そのため人間とクマが出会ってしまう不幸が非常に多くなり、それは双方に不幸をもたらしています。 人間を恐れない「新生代クマ」と呼ばれる若いクマも増え始めているため、クマと付き合っていかなければいけない地域の人々にとっては深刻な悩みになっています。 追記: 餌不足で人里にヒグマが出没するっていう話をよくニュースなどでやっていますが、最近ではどうもそうではないのではないかという説が出てきました。 人里にやってくるヒグマは餌不足でガリガリかと思いきや、みな丸々と太っているらしいのです。 山の餌が不足しているのではなく「人里のほうが餌を確保しやすい」と思われているのではないでしょうか?畑では必ず美味しい野菜や果物が得られますし、ごみ置き場を漁れば人間の食べ残しが見つかります。 ヒグマたちが賢い生き方を選択し始めた結果がいまの状況なのでは、という意見が増え始めています。 冬ごもりと繁殖 ヒグマは知っての通り、冬になると穴にこもって眠るように過ごします。 よく冬眠という言い方をしますが、体温を下げて仮死状態のようになる冬眠に比べるとヒグマの眠りは浅く、あくまで穴の中でじっとしているだけという表現のほうが近いと言えます。 そのため、ヒグマの場合は冬眠ではなく、冬ごもりという言い方をされる場合が多いです。 ヒグマの発情期は初夏で、妊娠をした雌熊は冬ごもりをしているその穴の中で出産します。 一度に産むのは1~3匹の赤ちゃんで、体重は400g程度しかありません。 赤ちゃんはしばらくの間は視力も聴力もないため、穴の中で母親熊は母乳だけで育て続けます。 そして春になると穴から出てきてそのまま生活を共にし、1~2年後には子供は親離れをして独立します。 ちなみに幼少期のヒグマにとって一番の天敵は成獣のヒグマ。 ヒグマは共食いをします。 子供を連れた母熊は絶対に他のヒグマを近づけることをしません。 同族が一番の天敵ってなんだか悲しいですね。 自然界だと当たり前の弱肉強食ルールなのかもしれませんが。 ヒグマのリスク回避 やっと本題です。 ヒグマは基本的に臆病な生き物ですし、決して好戦的ではないです。 ですが、人間にとって安全な生き物ではないというのは間違いありません。 まずは 何より出会わない努力をしましょう。 人間もヒグマと遭遇したくないですが、それは向こうもそうです。 できればヒグマのほうも人間と遭遇したくないと思っています。 まずは不必要にクマが出没するような場所に立ち入らないことです。 登山、ピクニック、山菜取りなど、山に立ち入る理由はいろいろあるとは思いますが、過去に熊騒動があったような場所はやはり避けるべきです。 特に雪が残るような春先の山は、冬ごもりの穴に気付かずに近寄ってしまうケースがあって最悪です。 どうしてもクマと遭遇する可能性のある場所に入らなければいけないときには、大人数で騒ぎながら行動する、鈴や笛などの音が出るものを身に着けるなどをして、遠くのクマにこちらの存在をわからせるようにしましょう。 定期的に棒で木を叩きながら進むのも良い手です。 そうすればクマのほうから距離をとって離れていきます。 ちなみにラジオは駄目です。 雑音を垂れ流しっぱなしのものは逆にクマの気配に気付けなくなるためかえって危険です。 こちらがいつでも音を出せて、逆にいつでも静まってまわりを伺える状態を作っておくということが、遭遇リスクを下げることに繋がります。 それでも万一遭遇してしまった場合、 まずは落ち着くことです。 はっきりいって遭遇してしまったら100%の安全策というものは存在しません。 しかし慌ててパニックになってもヒグマを刺激してしまい状況を悪化させるだけです。 まずは落ち着いて冷静に状況をみて、できることをしましょう。 距離がまだ何十メートルも離れている場合は、 ヒグマから視線を逸らさずに後ずさりして距離をとります。 クマは背を向けて逃げる獲物を追いかける習性があります。 この習性はとてつもなく強く、うかつに背を向けて逃げたりすればほぼ間違いなく追いかけられます。 間違いなく追いつかれて、間違いなく背中から襲われて重傷必至です。 視線を合わせたまま音を立てずにゆっくりと後ずさりしつつ、武器の準備もしなければいけません。 クマ対策の唐辛子スプレーなどを持っているなら手元にその準備を、ないならば何か固くてリーチのある、武器になりそうなものを用意します。 どうしても何も見つからなければしかたありません、そのへんの石でもないよりはマシです。 ただしこのとき威嚇的なことは一切しないように。 あくまで距離をとって逃げ切るのが最良手で、武器の用意はあくまで最悪の展開への備えです。 それでもまだクマの方からこちらに近寄ってくるようなら、持っている食べ物やリュック等を手放します。 クマがこれらに興味を持った場合はそのまま難を逃れることができるケースがあるので、そっと地面に置いて遠ざかるようにしましょう。 ちなみにこのときに手放したリュックや食べ物は、「後でクマの脅威が去ってから回収しよう」などとは間違っても考えてはいけません。 後のヒグマの習性の項でも記述していますが、これは極めて危険な行為です。 一度クマに差し出した物は必ずあきらめてください。 うまく逃げ切れたときはいいのですが、相手がこちらに積極的に近づいてきてしまったり、もしくは曲がり角でいきなりバッタリ出会ってしまったりして、1~2メートルしか距離がない場合。 この事態になってしまったら、覚悟を決めて 戦いましょう。 そんなバカなと思うかもしれませんが、この状況になった場合に一番生存率が高いのが「戦うこと」です。 この状況から走って逃げ切るのは100%不可能ですし、死肉を食べるヒグマに対して死んだふりをするのは何の対策にもなりません。 この状況から無事に生還した人のほとんどは戦っています。 戦い方ですが、もちろん身体能力では人間はクマに絶対に勝てません。 ツキノワグマであれば「空手の有段者が正拳突きで追い払った」なんて武勇伝を耳にすることもありますが、ヒグマの場合は100%無理。 ヒグマは成獣であれば体重400kg前後であり、これは室伏広治4人分の体重です。 どんなにパンチやキックを浴びせようが、棒で殴ろうが、クマの分厚い筋肉の前には無力です。 クマとの戦いで狙うのは「倒すこと」でなく、「戦意喪失させて逃げてもらうこと」になります。 なので狙いは急所の鼻先一点。 鼻先に何か強烈な一撃をお見舞いできれば、ヒグマは未知の痛みに驚き退散していくことでしょう。 クマと対峙するのは相当な恐怖ですが、勇気を振り絞って攻撃してください。 覚悟を決めて手を出さなければこちらの生存確率が低くなるだけです。 撃退スプレー、ナタ、杖の類を持っていれば相手の前足の攻撃より先にこちらの攻撃を叩き込めるはずです。 もしジャンプ傘を持っているなら、顔の近くで勢いよく音を立てて広げればビックリして逃げてもらえるかもしれません。 どうしてもそういったリーチのある武器が見つからない場合は、落ちている石を持ったり、腕時計を拳につけたり、カギを刃が拳から出るように握り込んだりして、それで鼻先を狙います。 より接近を許すことになるので怪我をする危険が高くなりますが、多少怪我をしてでもとにかく鼻先に攻撃を叩き込めれば命を落とすことはなくなります。 そして究極に最悪の事態、突然の奇襲を受けてしまった場合です。 さきほどの武器による攻撃が失敗してしまったときも同様です。 覆いかぶされたり噛み付かれたりしてしまいますが、 とにかく抵抗してください。 じっとガードしていても殺されるのを待つのみです。 とにかく手や足を、ヒグマの目や鼻があるであろう位置に全力で出し続けてください。 一発でも入れば相手はビックリして逃げていく可能性があります。 この状況になっている時点で正直言って限りなく絶望的な状況には間違いありませんが、最後の可能性だけは放棄しないこと。 ヒグマの習性、豆知識 ヒグマの習性を知識として知っておくと不用意に襲われる事態を避けることができます。 ここではいくつかその習性を紹介しておきます。 1.自分の獲物への執着心が異常に強い ヒグマは自分が手に入れた食料に対して「これは俺の物、奪おうとする者は敵」という意識が非常に強いです。 道端に小動物の食べ残しなどがあったら絶対に近づかないでください。 このときヒグマは敵意剥き出しで襲ってきます。 福岡大のワンゲル部が襲撃された事件はこの習性を知っていれば防げたであろう事故です。 あの事件のときは、一度ヒグマに奪われたリュックを持ち帰ったために執拗に狙われてしまう結果になりました。 一度奪われたリュックは、ヒグマにとってはすでに「自分のもの」になっていて、それを回収して持って帰る行為はまさにヒグマの神経を逆撫でする自殺行為だったのです。 2.子供のヒグマを守る母熊は危険 これはヒグマに限らず大抵の哺乳類に言えることです。 母グマは自分の子を守るために、近寄るものを全て敵とみなします。 3.火を恐れない 獣は火を恐れるって知識は間違ってはいませんが、ヒグマに関しては例外です。 過去にヒグマの襲撃を恐れた事例ではみな火を一生懸命に炊いて難を逃れようとしましたが、どれも効果は全くなく、無残な結果をもたらすことになりました。 ヒグマの前に火は無力です。 ヒグマの習性を実験する動画: 動物園やクマ牧場で楽しむ ヒグマは全国で大抵の動物園で飼育されています。 クマ牧場のようにクマに特化して飼育されている施設もあり、そういう場所では餌を与えることもできます。 人に飼いならされたヒグマはとても人に慣れていて、餌を持ったお客を見つけると、こちらに手を振ったり、両手を差し出して「ちょうだい」のポーズをとったりと愛嬌を振りまくほどです。 野生のときとは違ったこういう姿のヒグマもなかなか魅力的。 あと動物園で集団で飼われているヒグマは社会性を持つことも知られています。 必ずボスとなるヒグマが現れて、ケンカの仲裁をしたり、見回りをしたりするそうです。 一匹狼での行動が多い野生の条件下ではほとんど確認できていない習性です。 環境が変わってこういうのが見えるってなんだか面白いですね。 ヒグマによる大きな事件 1.三毛別羆事件 1915年12月に北海道苫前郡苫前村で発生したヒグマによる大量殺傷事件です。 日本では最大の獣害事件であるとされています。 Wikipediaの事件描写が怖すぎるということでも有名になりました。 12月に冬眠し損ねてしまった大きなヒグマが次々に村の民家を襲撃し、重軽傷者多数、最終的に妊婦や子供を含む7人もの死者が出ました。 ヒグマは体長270cm、体重340kgに及ぶ大物で、たった数日間で何度も何度も村に姿を現し、次々に住民を襲撃して食べてしまいました。 退治のために組織された討伐隊はなんと600人規模で、ヒグマは最初の事件発生から5日後にマタギの手によって射殺されました。 家屋の入り口と比べるとその大きさがわかる。 犠牲者は5人で、他3名が重軽傷を負っており、三毛別羆事件に次いで二番目の大きな獣害事件です。 当時ちょうど開拓の最中であったこの地域では、住民とヒグマの接触事件が非常に多く、この事件はたまたま山中で羆の餌場に人間が近づいてしまったことで発生してしまったと言われています。 村の祭りが終わったその夜、深夜の山中を家路につく一行をヒグマが襲撃しました。 男性1人が死亡、もう1人の男性が生きたまま地中に埋められてしまいました。 ヒグマから逃げた一行は近くの民家に立てこもりましたが、追ってきたヒグマが再び襲撃。 女性1人が連れ去られて食い殺されてしまいました。 翌日には単身で退治に向かった猟師が返り討ちに合い死亡。 その翌日に300人規模で結成された討伐隊が山に入りました。 山中でのヒグマとの戦いにより1人の男性が犠牲になりましたが、ヒグマは無事退治されました。 登山にきていた福岡大学のワンダーフォーゲル同好会5人が次々に襲われ、最終的に3人が死亡しました。 一度ヒグマにリュックを漁られた後、そのリュックを持って帰ったしまったため、ヒグマに『自分の獲物を奪われた』という感覚を与えてしまいました。 そのため彼らのパーティーは何度も何度も襲撃を受けることになってしまったのです。 発生から3日後、地元のハンターの手によってこのヒグマは射殺されました。 ヒグマ関連アイテム 関連記事• ツキノワグマとは? ツキノワグマ(月輪熊)は、ネコ目クマ科クマ属に属する哺乳類です。 日本では […]• ニホンイノシシとは? ニホンイノシシは、鯨偶蹄目イノシシ科の哺乳類です。 日本国内では […]• イモガイとは? イモガイは、イモガイ科の貝類の総称です。 日本だけでも約120種類の仲間が確認 […]• オオムカデとは? オオムカデとは、オオムカデ目・オオムカデ科に属するムカデ全般のことをいいま […]• マムシとは? マムシは、クサリヘビ科マムシ属に属するヘビの一種です。 正式な標準和名はニホンマ […]• セアカゴケグモとは? セアカゴケグモは、セアカゴケグモはヒメグモ科に分類される毒グモの一種で […]• ワニガメとは? ワニガメは、爬虫綱カメ目カミツキガメ科ワニガメ属のカメのことです。 名 […]• サメとは? サメは軟骨魚の中でエラが体の側面にある種類の総称です。 サメは全世界で500種以上 […]• ヤマカガシとは? ヤマカガシは、爬虫綱有鱗目ナミヘビ科ヤマカガシ属のヘビの仲間です。 […]• ハブとは? ハブは、クサリヘビ科ハブ属のヘビの総称です。 マムシと並び日本ではとても有名な毒蛇 […]• ヒョウモンダコとは? ヒョウモンダコは、マダコ亜目マダコ科ヒョウモンダコ […]• マダニとは? マダニは、クモ綱ダニ目マダニ亜目マダニ科の節足動物の総称です。 全世界ではダ […]• スズメバチとは? スズメバチは、スズメバチ科スズメバチ亜科に属する昆虫のことです。 […]• カミツキガメとは? カミツキガメは、爬虫綱カメ目カミツキガメ科カミツキガメ属のカメ、またはそ […]• アルゼンチンアリとは? アルゼンチンアリは、ハチ目アリ科カタアリ亜科アルゼンチンアリ属のアリ […]• ヒトスジシマカとは? ヒトスジシマカは、ハエ目・糸角亜目・カ科・ヤブカ属に分類されるカ( […]•

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三毛別羆事件

ヒグマ 怖い

概要 を起こしたことで有名なの一種。 のワーを制覇しているのは、このヒグマである。 のも、の作中で間違えるくらいと混同されているが、胸にい模様があるまっい毛を持っているのはであり、特に模様がないの毛を持つのがヒグマである。 体長は2mから3m、体重kgからkgという巨体を持ち、の中で鍛えられたことによっての塊となっている身体から繰り出されるは人の首をで吹き飛ばしかねない威を持つ。 巨体はほとんど強なで出来ているため脚も速く、時速km(mを7程度で走り切る程度)も出る。 また、が非常に優れており、が鋭いことで有名なであるの何倍も優れている。 一度匂いを覚えればどこまでも追ってこれるのはこのがあるからである。 一応食だが、というはでもなんでも食べる性である。 本来は地帯に生息し、よりも手に入りやすいなどを食べて過ごしている。 ただしヒグマはに生息するにべると食性は強い。 よく知られているように、になるとを始める。 この間は巣の中で身体機を極限まで低下させて眠りに入り、がくるのをじっくりと待つ。 稀にに個体(もたず)が出てくると、から暴性が増す。 が、近年はの捨てた・あるいは餌付けによって甘いものなどの味を覚えてしまう個体が出始めたこと、そして何よりも破壊ので食べ物がなくなるなどの理由で、が人里に降りてきてしまうことが増えている。 特にヒグマの生息地となっているにおいてそれが問題になっているのは有名な話。 そもそもは、が残っていた頃から、上記のを初め様々な痛ましい人的が出た事件が起こりまくっている。 今でこそ人的が報じられることは稀になったが、住宅地への侵入など、やはり開発のによって、山が年々ヒグマにとって住みにくい場所になっていることがわかる。 非常に賢くもあり、例えばのにいるヒグマは、に対してどういう仕をすれば餌が貰えるかということを長年の生活で理解・学習しており、あの手この手で客の気を引こうとする。 「 こんなかぁいいが人を食い殺すなんて思えない!」というくらいくるしい姿を見せる達なので、現地に足を運んで一見る価値は十分にある。 おっかないが強く、実際恐ろしいなのだが、基本的には他の野生の例に漏れず臆病なである。 しかし彼等との付き合い方を間違えると、人側はとんでもないを被ることになる。 ヒグマの恐ろしさ 執着心 ヒグマは自分の餌、もとい所有物に対する執着心がかなり強い、ヒグマが起こした事件でが増加した原因の一つとして、を事件現場から運んでしまったなどして、ヒグマが自分の所有物と認識しているものを人が奪ってしまった、身近に置きっぱなしにしたことが原因となっていることもしばしば。 また先のように一度味を覚えるとそれが忘れられなくなり、手に入れるためなら手段を選ばなくなる。 こういったヒグマの執着心を忘れさせるには、が怖いであるということを認識させるところから初めなくてはいけない。 保護団体ではを使ってあえてヒグマを執拗に攻撃することで、の怖さを教むという方法も行われている。 学習の高いヒグマなら、これによって人里に降りてくることはなくなる。 ただしそれでも人里に降りてくる癖がなくならないヒグマは、猟友会などによって射殺されることもある。 残酷で身勝手な話ではあるが、これも人命を守るため、そしてこれ以上なヒグマを増やさないための措置である。 好奇心 ヒグマはとかくが強い。 物しいものを見たらまずは伸し掛かってそれが何かを探る。 よく分からなければ牙で中身を引き裂く。 ヒグマの前で全でると追ってくるのは、警心と同時にこの強いが理由である。 捕まったら最後、そのと体重で押しつぶされ、などひとたない。 あげく、だけで終わって、人を食べずにズタズタにして放置することすらある。 ヒグマはなので、あまりがいていなければとての対以上にはならない。 逆にそれを利用してる手段もあり、あえてヒグマがを持つものを落として去ると、ヒグマは意外とそれにを示してくれることがある。 子連れは非常に危険 ヒグマに限らないが、子を連れているはを守ろうとする本を持つ為に非常に気性が荒く、遭遇したらほぼ確実に襲ってくる。 また、子だけ見かけても近くには必ずがいるなので、絶対に近づいてはならない。 そういう状況に遭遇した時点で、 自分の首筋に物が突き立てられているようなものだということを理解しよう。 ヒグマの仲間達 ヒグマ( r, us )のはや北の他、や、小近辺やの一部に広く分布しているが、のにしているものや、北などでは既にしているものも多い。 エゾヒグマ ( us oens) に生息する最大の陸生で、前述の通りワーを起こしたヒグマである。 部を中心に広く分布する ウスリーヒグマ( U. 本記事は的に染みのあるこのヒグマを念頭において記している。 また、は「(生活圏としての)」を意味する キムンカムイ(kimun muy)と呼び、毛皮・脂・臓腑などの多くの恵みをもたらす最ものある(をった)として畏れ敬い、子であっても丁重にもてなした後にの(モシリ、muy s)へ送り返す屠殺の(マンテ、ite、送り)を行い再訪を願う。 なお、のの曲「インテの」はあらゆる面でマンテの実像とは異なっているので注意。 イマ ( U. エゾヒグマよりやや大きい個体もいるが、均ではそう変わらない。 かつての北には北部に至るまでイマの達が広く存在していたが、ではとモンタナ州の一部にいるイマや下記のコディアックヒグマ、他数種を残してしている(例えばの州旗や州章には ヒグマ( U. 何の皮か判らないが、ラッシュによる人口急増とそれに伴う畜産物の保護がこの種のの要因であり、当州はに至るまで州人口ー1だったりする)。 コディアックヒグマ ( U. ヒグマのではエゾヒグマやイマをさらに上回る最大の巨体を誇り、のものまで存在する。 ちなみにで出した中にはこいつもいた。 また、生活の大半(年間8ヶ以上)をに費やしながらも覚めた後にほとんど体が衰えていないことから、の医療により飛行士の長期間滞在などへの応用をした研究対となっているとか。 なお、『』(産等)では敵として登場し、そこそこ強い。 ヒヤヒグマ ( U. の正体の一つとされている。 ( U. 詳細は「 」の記事を参照。 ヒグマによる獣害事件一覧• 、上最もを出した。 記事参照。 上二位にあたる規模の。 の後を襲った恐ろしい事件。 上三位にあたる規模の。 中のヒグマを討ち損じて。 かつてはこれが一番有名だった。 下事件 中にがヒグマにさらわれ、で食い殺された事件。 を視して登った結果の。 ヒグマの習性を世に知らしめる結果となった事件の一つ。 のヒグマが起こしたものとしては最大の事件。 をする男が起こした、と言えなくもない事件。 その他いろいろなこと• 餌付けをしてはいけない これは大前提の禁止事項である。 山においてをするなどの行為も厳禁。 食べ物の残りの味であってもヒグマが気に入ってしまったが最後なのだ。 一度ヒグマが手をつけたものを取り戻そうとしてはいけない の的には所持者のものであっても、ヒグマにとってそんなのは関係ない話だ。 ヒグマに襲われかけててきたはいいが、荷物を置いてきてなんてことがあっても取りに戻ってはいけない。 を鳴らせ(ただし人の味を覚えていない個体に限る) を鳴らすのは、おっかない=がいるということをヒグマに知らせるためである。 しかし人の味を覚えているとむしろがいるんだ、とやってきてしまうこともある。 基本的に対策としては有効。 火を怖がる、は ヒグマどころか、ですらも火を怖がらない。 むしろ以上に人がいることをただ知らせてしまうだけの場合が多い。 は通用する?しない? ヒグマは死も食べるので別に際立った効果はないのだが、怒り狂っていなければヒグマのを削ぐ場合もなきにあらず。 基本的にはをにしてヒグマが去るのを待つのがベターだが、そもそもヒグマさんを怒らせないように注意しよう。 人の味を覚えたは殺さなければならない 再三記したように、一度味を覚えたヒグマは多くの人を襲いかねない危険な存在となる。 よって必ず仕留めなくてはさらなるになりかねないのである。 ヒグマがそういった悲しい運命を辿らないためにも、ヒグマとのはしっかり保たなくてはならない。 で殺せ! 相手の動きを、で殺すんだ!(某く)昔のさんはこれでヒグマはると話す。 これは正しいとは言えないが、を見せるである。 でしっかりと睨み、「はよりもおっかねぇんだぞ!」ということを示せば臆病なヒグマは襲ってこない。 ただし何度も言うが、人を食べたことがあるは、がそんなに怖くないことを知っているので、これだけでは不十分である。 撃退を使え! 最近注されているのがこのである。 から抽出したカプをヒグマに吹きかけることでヒグマをにさせるという手段で、命中させればほぼ間違いなくヒグマの戦意を削ぐことが出来る。 ただし所詮はであり、まず命中させるをしないと緊急時に当てるのは難しく、人にも大きな効果があるのでである。 実は臆病過ぎるもいる 一時期でになったことだが、によって撃退されたり、の上に追い詰められた個体がいたりする。 はでもとなり、が座って見上げた上でヒグマがおっかなびっくりで下をチラチラ確認している姿は正に様が降りてきた間だった。 ヒグマはっかないだけのではないのである。 何故か年配の人によく投げられる 度々で取り上げられることだが、の心得がある年配の人が、襲いかかるを投げ飛ばして撃退するという話がよく見られる。 ただしこれらは運が良かっただけに過ぎない側面もあるので、わざとヒグマと格闘しにいこうなどとは考えてはいけない。 ちなみに投げられる率はのほうが多め。 怖いだけじゃないよヒグマかわいいよヒグマ 上記であげたリのヒグマだけではなく、ヒグマは嬌を振りまいてくれるでもある。 特に小さい頃からに手懐けられたヒは、に嬌を見せていれば安定した生活が送れると学習しているのか、ジャレたり甘えたを見せてを悩殺する。 野生のヒグマではまずそんなことはない。 人工飼育されたがその悪知恵の働く賢さによって、いかに々がいいように扱われているかがよくわかる。 でも、ダメ…………キュンキュンせずにはいられない! あと下記のにもあるように、人と一緒に育ってきたヒグマは、ジャレついても加減というものを覚えてくれている。 安全とは口が裂けても言えないが、人と生身で接する姿は、まるでのようである。 関連動画 可愛いヒグマ 関連商品 関連項目•

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