僕が隣にいることいつか当たり前になってさ 歌詞。 「君がいないと僕は…」平井堅の想う、ともだちの定義。

冬唄 SKELT 8 BAMBINO 歌詞情報

僕が隣にいることいつか当たり前になってさ 歌詞

同じクラスにいた異性と付き合っていたようです。 誰にでもありそうなシチュエーションだからこそ、グッと引き込まれますよね。 後半の2行からは、すでに二人は破局していることがわかります。 もう終わった恋なのに、主人公は後悔している様子で、そのあとの部分で歌われています。 でも、未だに恋人のことが忘れられないようですね。 「いつも待たせた」と歌われていることから、当時は恋人に迷惑をかけていたのかもれません。 もちろん、本心ではなく照れや恥ずかしさから取ってしまった行動だと考えられますが、別れて相手を失った時、そのちょっとした見栄を後悔してしまうのでしょう。 消えない後悔 サビでは付き合っていた頃の後悔がストレートに歌われています。 でも上記同様、照れや恥ずかしさが壁となってうまく伝えられなかったのかもしれません。 こういう後悔は、付き合っているときはなかなか気づけないものですよね。 隣にいることが当たり前になってしまう経験は、皆さんにもあるのではないでしょうか? 別れて初めて大切さに気づいて後悔するより、そばにいる時から大切にしたいものですね。 青いベンチって? タイトルにもなっている「青いベンチ」とは一体何なのでしょうか? 楽曲中では下記の部分に登場します。 ホームから空を見ている。 青いベンチに座って思い出に浸っている。 上記の3つから考えられるのは、駅にあるベンチのこと。 二人がよく待ち合わせをしていた、思い出が詰まったベンチのことなのではないでしょうか。 ちなみにサスケの二人は埼玉県の旧大宮市出身。 この楽曲が実話なら、青いベンチは大宮駅にあるのかもしれませんね。 興味を持った方はぜひ足を運んでみてください。 みなさんには「青いベンチ」のような「過去の恋の思い出の場所」はありますか? もしあればそんな場所に思いを馳せながら、この楽曲とともにセンチメンタルな気分に浸ってみるのもいいかもしれませんね。 TEXT ゆとりーな.

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piapro(ピアプロ)

僕が隣にいることいつか当たり前になってさ 歌詞

「宝石になった日」と言えば、カルピスウォーターのCMで起用され話題になりました。 イントロの"キラキラしたアルペジオ"や"サビの高揚感"などの爽やかなイメージが、清涼感のあるカルピスとの相性がぴったりだったのでしょう。 MVの内容に関して賛否両論ありましたが、今回は僕なりの「宝石になった日」の歌詞考察をしていきたいと思います。 さらに「窓の外の夕立」という描写を施すことにより、しんみりとした情景を描いています。 建物の外の世界はおろか、中でも背を向けていることから、自分以外のモノ・コトから自ら遮断している様子が伺えます。 太陽は何も知らない顔 完璧な朝を連れてくる 丸めた背中で隠して 冴えない顔 余計なお世話 「元気出せよ」と言わんばかりの「完璧な朝」を連れてくる太陽に向かって"余計なお世話"だと言っています。 普通の状態を求めているのにも関わらず、なんとなく時間を過ごしたり、太陽にまで背を向ける主人公。 現実から背けたくなる程の何かがあったとしか思えません。 その「何か」は一体なんなのでしょうか? ・・・ 死別なのか生き別れなのか 増えていく君の知らない世界 増えていく君を知らない世界 君の知っている僕は 会いたいよ 増えていく君の を 知らない世界と歌っていることから、「君」はすでに亡くなっていると僕は考えます。 物理的に、自分に近い環境から君がいなくなった 転校や転勤、海外留学などが例として挙げられます とも解釈できます。 いずれにしろ、「僕」は「君」とお別れしています。 BUMP OF CHICKENの楽曲「グッドラック」の歌詞と比較してみると、生き別れではなさそうに思えます。 むしろ"魂の望む方へ"とアドバイスを与えています。 ほ ひとりじゃないとか 思えない日もある やっぱり大きな 寂しさがあるから グ 君と寂しさは ずっと一緒にいてくれていた グ 君がいる事を 寂しさから教えてもらった グ 君の生きる明日が好き その時隣にいなくても 言ったでしょう 言えるんだよ いつもひとりじゃなかった 「宝石になった日」では、大きな寂しさのせいで "ひとりじゃないと思えない日もある"と歌っています。 「グッドラック」では、「寂しさ」を肯定的にとらえ、君が隣にいなくても "寂しさがあることでひとりじゃないと思える大切さ"を歌っています。 ・・・ もうひとつ、別れを題材にした楽曲から歌詞を引用させていただきます。 星を読んで位置を知る様に 君の声で僕は進めるんだ さよならを言った場所には 君の声がずっと輝くんだ 上記はアルバム「RAY」収録の「サザンクロス」という楽曲の歌詞です。 この曲は別れを「南十字星」の形をモチーフにして表現された曲なのですが、お別れした場所で交わした約束が星のように輝き続ける事で、それを頼りに精神的に前へ進めるんだと伝えています。 「グッドラック」や「サザンクロス」では「寂しさ」や「別れ」を自分の納得のいく形で解決し、前へと進んでいる様子が伺えます。 しかし「宝石になった日」では、"あとどれくらいしたら普通に戻るんだろう"とあるように、主人公はなかなか前へ進めていないように思えます。 かといって生きる事をやめることはしていないようです。 ほ 全自動で続く日常をなんとなく でも止めないよ ト 震える足でも進めるように 自動的に空が転がるように ト 次々襲いくる普通の日々 飲み込まれないでどうにか繋いでいけるように 「トーチ」 RAY収録 でも同じことを言っているような気がしますね。 ・・・ 「寂しさ」と向き合う事で自分を救った主人公 "あとどれくらいしたら普通に戻るんだろう"と、「寂しさ」や「悲しさ」から解放されるのを望んでいる「僕」には何か術があるのでしょうか? 「寂しさ」を拭う為に「君」とお別れした現実を、あたかも忘れたように笑っていこうとする「僕」は、やっぱり君を忘れられず、寂しさをどうしても拭うことができません。 しかし「僕」は、「大きな寂しさ」から気づいたことがあるようです。 こんなに寂しいから 大丈夫だと思う 時間に負けない 寂しさがあるから 忘れないから 笑っていける 涙越えても ずっと君といる 人生には出会いと別れが交錯し、そこには思い出になることや、反対に忘れられてしまうものもあったりします。 「お別れした相手への想いはこの程度のものだったのか」と、忘れてしまうことに対して自己嫌悪に陥ってしまう場合だってあります。 「宝石になった日」の「僕」は、「君」とお別れした寂しさが時間に負けないものだと気付きました。 振り返らないから 見ていてほしい 強くはないけど 弱くもないから 悲しい出来事を振り返ることで普通ではない状態に陥ってしまった主人公は、「君」に対して「振り返らないから見ていてほしい」と伝えています。 お別れした「君」に心配させない為の礼儀なのかもしれません。 さらに「強くはないけど〜」と加えることで「少なからず、君とお別れした寂しさの中に留まることはしないよ」と、伝えたいことの説得力を持たせてます。 「大きな寂しさ」と向き合うことによって、やっと前に進むことの決意ができ、「普通ではない状況」から自らを救うことが出来たのでしょう。 ・・・ でもやっぱり「大きな寂しさ」はずっと残っている 「君に対する想いの大きさ」を再認識し前に進んでいくことができている主人公は、一見、寂しさや悲しみによる「精神的な滞り」が解消できたのではないかと思えます。 忘れたように 笑っていても 涙越えても ずっと夢に見る ひとりじゃないとか 思えない日もある 「君」を夢で見たり、「ひとりじゃないと思えない日もある」主人公は、「やっぱり大きな寂しさがあるから」と歌っていることからもわかるように、「忘れられない寂しさ」がどうしても残ってしまっています。 ずっとそこに留まることはせずとも、生きていく中で立ち止まって「大きな寂しさ」を感じずにはいられないようです。 しかし、ときどき立ち止まって寂しさと向き合うことによって、前へと進むことができているし、笑ってもいけるようです。 「時間に負けない寂しさ」を感じている主人公は、そんな 寂しさを自発的に感じる必要があるのかもしれません。 前へ進む為には、寂しさを感じ、自分なりの表現で「君に対しての想いの大きさ」を再認識し、ある場合には様々な形で昇華していく必要があるのかもしれません。 そうすることで、「こんなに寂しいから 大丈夫だと思う」と自分を納得させることが出来ます。 主人公は、これからも「君への想い」を再認識する機会を設け、前へと進んでいくのでしょう。 もしこの主人公が藤原さんだとしたら、「宝石になった日」という歌で「君に対しての想いの大きさ」を藤原さんなりに表現したのかもしれませんね。 ・・・ 「宝石になった日」「稲妻」「君」とは誰なのか 歌詞に何度か出てくる「宝石になった日」「稲妻」「君」というワード。 これらの意味は一体なんなのでしょうか?3つそれぞれ解釈してみました。 「宝石」から連想するワードとして、「キラキラしてる」「高級感」「特別な物」「硬い」が挙げられます。 「その日」までは特別感を感じなく、当たり前のものとして日常に存在していたのでしょう。 前述した僕の解釈から考えると、「僕」は「君」と何らかの形で「お別れ」をし、僕はそれを「死別」だと解釈しています。 「君」が亡くなれば、もう君との記憶は増えていきません。 残っているのは「君と過ごした日々」であって、「過去の記憶」です。 「君の温もり」や「何度も聴いた君の声」、そして「君がいた事」の記憶が、お別れする事で「時間に負けない寂しさ」を生む程の価値があると気付いた「僕」は、それらのかけがえのない記憶たちを「宝石」と表現したのだと思います。 すると、「宝石になった日」とは 「なんでもない君との日常が僕にとって特別なものへと変わった日」と置き換えることができます。 つまり、「宝石になった日」とは、「君が亡くなった日」になるんだと思います。 「僕を照らし出した」とあるように、「君」の存在は「僕」にとって強く輝いていたものでもあったのでしょうね。 対象が大きなものだと、「空気を撫でる」という表現に不自然さが残ってしまいます。 子供や、猫・犬などの小さな動物だと、「君の形に空気を撫でる」という行為が自然なものとして感じることが出来ます。 あくまでも僕の感覚ですし、そもそも藤原さんがあえて曖昧さを残している対象を掘り下げて、具体性を持たせるのはあまり良くないかなと思うんですよね。 聴き手が自由に解釈できるような楽曲が多いのも、BUMP OF CHICKENの良さだったりするのです。 ・・・ まとめ この楽曲の歌詞解釈をしてみて、長文になってしまいましたが、まだまだわからない難解な部分がたくさんあります。 藤原さんの書く楽曲には、それぞれ共通する内容のものがあるので、他の楽曲の解釈をしていくことにより理解できる・納得できる部分が出てくるのかもしれないですね。 気付いたこと、解釈が変わったところがあれば追記もしくはリライトしていきたいと思います。

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恋人 藤木直人 歌詞情報

僕が隣にいることいつか当たり前になってさ 歌詞

あたたかい友情を描いた曲 ともだちの定義は人それぞれ。 いつも一緒にいてくれる、話が合う、自分の言うことに反論しない…。 こうして並べてみると似たような考え方はあれ、定義がぴったり被ることは中々ないのではないだろうか。 だからこそともだち以上の存在、親友ができるというものだ。 平井堅通算21枚目のシングル『キミはともだち』はタイトルでもわかるように、ともだちとの友情をテーマに書き下ろされた楽曲。 人間的にも最悪の元プロ野球選手が成績不振の少年野球チームの監督を務め上げていく2004年放送のドラマ作品「ワンダフルライフ」の主題歌でもあった。 エンディングで流れる映像は、反町隆演じる野球監督から野球少年たち、その他登場人物たちが総出演。 楽曲に合わせて、野球ボールをキャッチボールしていく映像は友情や人の間にある繋がりを感じさせてくれる温かい出来となっている。 さらに、この楽曲を含めCDに収録された4曲には人の心の温かさを音で表そうと、手拍子など体の一部を使って出した音をメロディに入れるという試みが平井堅自身によってされている。 アニメーション仕立てとなったPVでも種別を超えた友情が描かれているので、機会があれば楽曲と一緒に聴いて欲しい。 一緒に笑って一緒に怒る、感情をぴったり共有できる似た者同士だ。 しかし、似た者同士であればともだちになれるというわけではない。 そっくり過ぎても、まるで自分を見ているようで仲良くなれないこともある。 感情を共有しながら、自分とは違う存在であること。 それが、平井堅の想うともだち像なのかもしれない。 1つお願いをするなら、寂しい時はもう少し話に付き合ってくれれば、と歌詞では描かれている。 とはいえ、これも1つのともだちの定義。 きっと答えはないだろう。 この楽曲でも、最後は次のように締めくくられている。 聴いている側としては、頷ける部分もあれば首をひねってしまう所もあるだろう。 けれど結局、何だかんだ言いながらも平井堅にとってのともだち像は。 隣にいるのが当たり前のような存在、なのかもしれない。 TEXT 空屋まひろ.

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